二人─2

 彼が山に赴く理由を「山が好きだから」と述べた通り、彼は毎日、その山道で黙々と足を運んでいた。

 何となしに彼女は出向き、そのたびに彼に出会うと彼の顔には笑顔が浮かぶ。

 それまで陰欝に足を動かしていた彼に笑顔が訪れることが嬉しくもあり、また、それが出来るのが自分だけなのだと思うと誇らしくもあった。

「村はどんなところ?」

 ある時、何となしに聞くと、一瞬表情を曇らせた彼はすぐに笑って「いいところだよ」と答えた。

 その笑い方も答えもどこか用意されたもののようで、少しむっとしながら言葉を返す。

「そう。どんな風に?」

「どんなって。いいところはいいところでしかないさ」

 困ったように笑う姿がまた何故か勘に障り、彼女は幹から背中を離して彼に向き直った。

「嘘。あなたわからないだけよ。自分の故郷なのに」

「馬鹿なことを言う……」

 苦笑しかけた彼の視界の端で、黒髪が揺れる。

 彼女が仁王立ちになり、傾きかけた太陽を一身に受けてこちらを見ていた。

 その凛とした眼差しと爪の先まで意志の強さが通ったような姿は感嘆に値する。本当に、美しい女性だ。

──ずるい。

「馬鹿なことですって? 自分の生まれ育った場所を目に焼き付けることは、そんなに馬鹿なこと?」

 険を含んだ眼差しからは今にも涙が零れそうである。何故、彼女が泣きそうなのか、彼にはわからなかった。

「……泣くのかい」

「泣くわよ、泣いて悪い? あなた、寂しすぎるもの」

「僕が?」

 きょとんとして彼は彼女を見返す。心底、驚いたような表情だった。

「参ったな、僕は寂しい人に見えるのかな」

「家族の多さで本当の寂しさは紛らわせないわ」

 きっ、と見据えた彼女の目を彼は静かに見返す。その目にあまりにも揺らぎが見えないものだから、彼女は一瞬だけ怯んだ。

 だが、自分は間違った事を言っていないという確信がある。彼は知らないだけだ。山道を黙々と歩く中で、足元しか見えていない彼に彼の真実がわかっているとは到底思えない。

 足元を這うのは熊笹。

 そ知らぬ顔をして囁く、干渉しない隣人だ。

「あなたの目にはいつも暗闇がある。誰かと一緒にいたって……私と一緒にいたって、あなたは誰も見ていないんだわ。誰かを見たって、あなたをちゃんと映してくれる人なんかいないって絶望してるのよ。でも、そんなの勝手な絶望だわ」

 ほぼ一息に言い放つ彼女を、彼は尚も静かに見つめ続ける。まるでそうすることで贖罪にでもなるかのように、じっと見つめる姿は少なからず彼女を動揺させた。

 だが、彼女は彼の目以上に静かに続ける。

「人は鏡だわ。あなたが人に絶望しているから、誰もあなたをちゃんと見れないのよ。あなたと同じ理由で」

 言ってから口を閉じる。

 彼は相変わらず黙ったままだ。気分を悪くしたのだろうか。

 少しだけ不安になった時、彼は一時視線をずらしてから彼女に戻した。

 そして言っていいものか逡巡した後に、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「……人は鏡と言ったね」

「そうよ」

 一つ息を吐き、彼は「同じだよ」と続ける。

「何が?」

「僕が君に抱いたものとさ」

 彼女は軽い眩暈を覚えた。

「鏡か。いい例えだね。僕の目に暗闇があると君は言った。否定するつもりはないよ。言い当てられてちょっとびっくりしたけどね。ただし、君の比ではないよ」

 確かに人は鏡だ、と少し疲れたように彼は言う。それを聞きながら彼女は足元がぐらつくのを感じた。

──駄目、それ以上言わないで。

「僕の目にある暗闇、それは僕の目に映った君自身じゃないのか?」

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