「ごめん」
 武文の言葉を聞いた途端、笹山の姿が大きくぶれた。そして頬に僅かに赤みが差し、少し目を見開いて後、顔をくしゃりと歪めて困ったように笑う。
「……仕方ないなあ」
 明るい声を残して笹山の姿は霧散した。思わず武文が伸ばした手の先にはその名残が残り、まだあの困ったような笑顔が暗闇に残像として見える。
──「会いたい」。
 笹山が埋めたのは呪詛の為の紙ではなかった。嵐はほう、と溜め息をついてジーパンの後ろのポケットに四つ折りにして突っ込んでいたルーズリーフを取り出した。
 土で汚れたそれはともすれば破れそうな脆さでどうにか嵐の手の中に収まっている。開いてみると、走り書きの文字で簡潔に書かれていた。
『宮森武文 ごめん』
 ボールペンで掘り込むように書かれたそれに溜め息のような笑いをぶつける。
 確かに、笹山が託した言葉は返されたのだ。
「今ならお前の言う、老爺も助け出せるぞ」
 一部始終を見守っていた少女に向かって言う。肩の力を抜いて障子の外れた壁に寄りかかっている嵐に向かって、少女は笑った。
「人間にしては天晴れな働きをするの。第一印象は撤回してやろう」
 大人びた言葉に嵐は苦笑する。
「そりゃまた、随分な印象を持たれてたんだな」
「自分の胸に手を当てて聞くことだ。……神の名はどうした」
「そのままだ」
 怪訝そうな顔で少女が嵐に向き直る。
「……そもそも、子供達が想いを託した相手は誰でもないんだよ。自分自身だ」
「ふむ?」
「小難しく考えすぎてたんだよな、これが。いくらなんでも氏神が呪詛の真似事なんざするわけないだろう。塚の主……老爺っていうのか、そいつにだって力は残されていなかった。塚の周りに埋められた紙で目を奪われてたんだからな」
 いたが、いない。塚の主が繰り返した言葉の意味が今になればわかる。
 名前を消された神は自身の姿すらも前後不覚となり、何者にも見出されぬまま曖昧な存在としてそこにいただけだった。神としての己を自覚出来ないのだから、つまりは神としての力も自由にならなかったに違いない。それが塚の主の自由を奪うのに繋がった。
 父親の話から塚に何らかの力があり、それを封じ込めているのが氏神だと思ったのだろう。笹山は氏神の名を消すことで封じているものを消し、自分の代わりに武文へと想いを告げるように紙を埋めた。
 そう、自分の代わりに。
 それが発端だったのだ。誰もが自らに降りかかった些細な不運を追いやるべく、自分には出来ないそれを、不可能と思えることを何かに託した──「こうありたい」と思い描く自分へ。
「三つ氏に呪詛の代行をする者はいなかった。だけど相乗効果ってやつか、紙に託した想いの強さと、氏神の力の残滓みたいなものが笹山をああいう形に表したんじゃないか」
「名を消した神だからこそ、その微弱な力で関与出来たというわけだな」
「そうだ。神の力が健在だったら、人間の願い事なんかそれこそ吹き飛ばされるさ。紙の内容はあまり誉められたもんじゃないし」
「掘り返したのか?」
 驚いたように少女は目を丸くした。嵐は片膝をたてて頬杖をつく。
「一部はな。えらい多くて全部は無理だ。あれだけやる気力は俺にはねえよ。……人間が埋めたものだから、人間には簡単に掘り返せるみたいだな」
「面倒だのう、お前たちは」
 苦笑して顔を武文の方へ向ける。つられて嵐もそちらを見た。
 卵色の月が黒い庭を照らし出す。その下で立つ武文の輪郭も白く浮き上がり、そこからは今まで感じ取ったような怯えも恐怖もない。武文は自分の足で立とうとしていた。
「その面倒さが面白いんだよ」
 小さく笑って、嵐は畳んだルーズリーフをポケットに仕舞い込んだ。


七章 終り

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