すっぽかすなんてしないでね。いっそのこと命令口調で行けと言われた方が清々しい。逃げ道をなくして追い込み漁のように頷かせる母親の手腕には敵わなかった。自分にもこれだけの技量があれば対抗しようもあるが、と考えてみて肩を落とす。そうすれば今以上の本領を発揮して母親は応戦しかねない。ならばこちらに許される道は頷くことだけだった。
 話を聞くだけで、いやな臭いはしない。どこか拭えない不安感はあるものの、すっぽかして母親に大目玉をくらうほうがよっぽど怖かった。ならばその謎の友人とやらの弟に会って、さっさと話を聞いて済ませてしまおう。ただ働きなあたりは腹が痛むところだが、友達割引というところで話を決着してしまえばいい。
 どうにか自分を納得させて母親に了承の旨を告げる。すると母親はぱっと顔を輝かせて、しきりに良かったわ、と繰り返した。
「本当は行くかどうかわかりません、って言ったんだけどね、やっぱり気になっちゃって。じゃ、私からも電話しておくから」
 嵐は目を丸くして問い質す。母親はばつが悪そうに笑っただけで、仔細が書いてあるらしい紙を渡すと、よろしくねとだけ言ってそそくさと家の中に戻っていった。
 すっぽかすなんてしないでね。しかし行かせると断言したわけではないらしい。──ということは。
「たばかられたな」
 靴箱の下から低い声がする。目を向ければ白い目がこちらを見上げており、にやりと細めた。
「あの女、いい狸だわい」
 低い声は笑いを堪えきれずに喉を鳴らして笑った。途端に玄関のそこここから忍び笑いが聞こえ、中には馬鹿めと指差す小鬼までいる。一部始終をとっくり見物していた彼らは事の真実を知りながら、面白いというだけで放っておいたのだ。
 悪さをしないからとそのままにしておいたのが甘かったのか。自身の性に忠実な彼らの良い笑い者にされた嵐は顔をひきつらせた。
「……いい根性してるじゃないか。帰ったら覚えてろよ」
 玄関の隅々まで睨み付け、嵐は腹立ち紛れに扉を滑らせる。がしゃん、と扉が悲鳴を上げたがそんなことに構っているほど心に余裕があるわけでもなかった。誰も彼も、どうしてこう自分に面倒事を押し付けたがる。その上見逃していた奴らに笑われたとあっては、腹が立たない方がおかしい。開けた時と同様に、乱暴に扉を閉めた。
 怒りを地面にぶつけるようにして歩き出した時、不意に黒い影が足元をすくう。
「馬鹿めが! 門に不逞を働くとは何事か!」
 しわがれた老人の声がしたと思った瞬間、途端に足元を何かに持ち上げられ、嵐はなす術なく無様に転んだ。途端に玄関の向こうや庭からも笑い声が爆発する。立ち上がり、痛む膝をさすりながら声の主を探した。一言文句を言わねば気が済まぬ、と鬼の形相で辺りを見回す。すると荒く閉めた扉を穏やかにさする小さな影がある。いやに頭の長い、ついでに耳も長く、濃い茶色で染め上げられた着物をまとった小鬼がこちらを向く。ぎょろりとした目を向けられて、嵐は怒りがしぼんでいくのを感じた。
──無理だな。
「……後で何か持ってきます。それで勘弁願えますか」
 ふん、と鼻をならして小鬼は背中を向け、扉をすり抜けていった。やれやれと背中を伸ばして埃をはたく。門の神に出くわすとは珍しいこともあるものだ。普段ならば台所の裏口にいる彼が表に出てくるなど珍しい。
 珍しい、と一口に感嘆しきりでいられないのが悲しかった。嫌なところを見られてしまったな。
 寒い懐が更に寒くなるのを予感し、嵐はとぼとぼと歩き出す。その背中を生暖かい風がなで、早く行けと急かしているようだった。


一章 終り

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