本章

 なぜ自分はこんなところに座って人の足を眺めているのだろうと、嵐はややうんざりした面持ちで考えた。
 賑やかな繁華街の真っ只中にぽつりと存在する神社の階段はおそろしく冷たい。夜という時分の所為もあるだろうが、むしろ聖域独特の静謐さに由来するものに思えた。けらけらと笑いながら通り過ぎる女、顔を赤くしておぼつかない足取りで歩く男、そんな男に声をかける男。見ていて飽きはこないが、その騒々しさに微かに眉をひそめる。
 暗闇を切り裂く光の洪水は目を閉じていても脳裏を刺激し、始めは疎んじて顔を背けていた嵐も、人間の順応性の良さにありがたく乗ることにした。
 ちらりと視線を転じれば繁華街の先には大通を一つ隔てて大きな劇場が門を構え、およそこの風景ににつかわしくない正装の人々がこちらから劇場に向かっていた。本当はあの大通りから劇場に向かうのだろうが、どうもこの繁華街は近道にあたるらしい。しかし使い勝手が良くとも風紀の乱れには臆するところがあるのだろう。逃げるようにして劇場に向かっていた。
 そう、本来ならば嵐もあの流れに乗って劇場へ向かう人間の一人だったはずなのだ。決して正装とは言えぬスーツ姿にしろ、普段の格好からすれば努力賞ものである。
 神社のお賽銭箱の前に座り、嵐はどこか幻めいて見える喧騒に向かって溜め息をついた。
 不要となったネクタイはとうに外してある。申し訳程度の電灯の明りもうるさくない。春めいた気温は穏やかに体を包む。
 長話の用意は出来ていた。
「……それで?」
 ちらりと視線を横にやる。隣に座る男はすまなそうに笑った。
「悪いね」
 体格はよく、短く刈り上げた髪と口を囲む髭だけを見ればどこぞの組から来たのかと思いたくなるが、その服装に視線を転じれば人を外見で判断してはいけないという良い例になる。
 嵐よりも正装らしい正装に身を包み、それは一般的にタキシードといわれるものだった。
 そうして全体的に男を眺めると、思いのほかタキシードが似合う男なのだと知る。誤解を与えかねない風貌も品良く見えた。似合う、というよりも着慣れているとの方が正しいかもしれない。
 それが嵐の男に対する第一印象で、嵐を立ち止まらせた要因でもあった。
──あの、すみません。
 のんびりと繁華街を歩く嵐に低い声がかけられる。客の呼び込みかと思っていた嵐は視界の端に映るその姿に思わず足を止めた──止めてしまった。
──チケット、一緒に探してもらえませんか。
 足を止めてその顔を直視してしまった手前、無視するわけにもいかない。
 チケット探しに付き合うこと一時間、ここだあそこだと男がつける目星は沢山あれど、一向にチケットは見付からなかった。開演まで時間はあるものの、長時間同じ場所をうろうろして不審者呼ばわりされるのも癪である。

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