眼鏡を外し、手で顔を上から下になでる。いくらかすっきりした面持ちで眼鏡をかけ直すと、嵐が心配そうにその顔を覗き込んできた。
「あの、ごめん」
 すまなそうな孫の頭を軽く叩き、座るよう言う。
「いいよ。あの人はね、おじいちゃんの友達だよ」
「友達?」
 縁側に座った嵐は道具を膝に足をぶらぶらとさせた。
「そう。和正で、かず、って呼んでいた」
 ああ、と嵐が合点がいったような声をあげる。
「じゃあ、さく、っておじいちゃんのことなんだね」
「あいつが?」
「うん。さくによろしくって」
 さく、とは斉藤が彼を呼ぶ時の呼び名である。和正をかずと呼んだように、頓道朔太郎をさくと呼んだ。懐かしい響きに朔太郎は目を細める。
「それでね、短冊は書かないのかって。書かないの?」
 自分の言を親身に聞いてくれる祖父に対して嬉々として話す。その口から発せられた言葉もまた、驚愕に値した。
──お前の願い事は?
 ふ、と顔の筋肉をゆるめて、嵐の膝の上から道具を二人の間に下ろす。散らばった折り紙から白いものを引き抜き、半分に折った。
「書くよ。お母さんからお水貰っておいで」
 間延びした返事を返し、嵐は立ち上がる。
 朔太郎は半分に折った折り目に爪をたて、跡をつけた。二、三度それを繰り返したところで紙を開き、丁寧に裂いていく。少し大振りの白い短冊が二つ出来上がった。
 願い事は、と聞かれたあの時、朔太郎は答えなかった。願い事がなかったわけではない。あの時、堂々と自身が信じるものを論じる斉藤の前で、信じるべきものを見失っていた自身が願いを口にするのがひどく恥ずかしく思えたのだ。
 だから口にしたのはただ一言である。
やがて水の入ったコップを持って嵐が戻ってきた。その水を硯に注ぎ、頭の丸くなった墨を黒光りする硯の上で滑らせる。墨と硯がぶつかりあう涼しげな音と、墨独特の香りが漂った。
「その短冊は?」
 墨を磨る祖父の横に白い短冊が二つ並んでいる。朔太郎は微笑んでそれを見た。
「あれはおじいちゃん用」
「ふうん。じゃあぼくも二つ」
 嵐は折り紙を広げ、何色にしようか物色を始めた。
 しゅ、しゅ、と墨が硯の海にたまっていく。磨りながら何を書こうか考えた。だが一つは既に決まっている。
 あいつよりも綺麗に、平和が欲しいと書いてやろう。
 もう一つは、と考える朔太郎の遥か上を星の大河が絶えることなく流れ続けていた。闇夜を縦断する星星の集合体であり、人が見ることを許される天上の光景だ。それは今も昔も変わらぬ流れである。
 七夕には伝説上の恋人の通い路を作る橋がかかる。晴れた今日、二人は会うことを許されるだろう。そしてまた曇天を嘆いた友人に向かい、現在から橋がかけられた。とうとうと流れ続ける大河は変わらぬその双眸で、夏の一夜をこれからも流れ続ける。


──お前の願い事は?

──かずが帰ってきたら一緒に白い短冊に書くよ。


白い短冊 終り

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