「風が吹いた日」
「不定期?」
「うん。色々あるから」
「色々ねえ……」
たった一言に含まれた沢山の意味を図り取ることは出来ず、曖昧に言葉を返しながら財布の中をあさって小銭があるのを確かめた。おごる、と言った手前、お金がないなどと言えないなと思っていたため、幾分ほっとする。
嵐は足元のダンボールを抱え、席を立った。座ったままの丁が見上げる。
「じゃあね。また、なんて無いといいけど」
いつだか聞いた言葉に嵐も微笑した。だが、今はあの時よりずっと穏やかな気持ちで聞くことが出来る。
「あるかもしれないな、多分」
かもね、と返して丁は笑った。
しかし、歩きだそうとする嵐に、あのさ、と声をかける。
「あの時、何で澤地さんがあんたを連れてきたのか、言おうか」
自分でも忘れていた問いを丁が覚えていたことに驚いたが、なにより、それに対する執着が既に薄れている自分にも驚いた。
少しばかり目を丸くして、それから嘆息する。
「いいよ、考えとく」
そう、と丁はつめていた息を吐いて微笑んだ。
「じゃあ」
軽く手を上げてレジに向かう。丁度の料金を払い、ドアを開いた。生暖かい風が髪をさらう。頬を撫でる風の暖かさは微かに夏を匂わせた。そろそろ半袖を出さねばなるまい。
そんなことを考えながら財布をしまい、軽いダンボールを抱え直した。その背中でドアにつけられていたベルが、からんからんとけたたましい音をたてる。ただ口うるさくしか聞こえなかった鈴の音が、とても心地よかった。
ふ、と笑って歩きだし、窓の向こうで座る丁に軽く頷いてみせた。
視線を向けた先、足を向けた先に沢山の人が行き交う。不快なだけだった人混みに苦笑をもらした。こうして歩いてみれば、それほど悪いものではない。
「さて、どうするかね……」
呟いてみるも考えはない。それでも歩き始めた足は止まることを知らず、目はそこここにいる、あちら側の者を自然に見出だしていた。
――なに、のんびり考えてみるさ。
例えどんなに、あちら側とこちら側の境で足取りが揺らめこうとも、気持ちを確かにするものは得た。幸い、時間もたっぷりある。
不敵に笑い、青になった信号を渡る。
ゆっくりとした足取りの男の姿はやがて、人混みにまぎれて見えなくなっていった。
終り
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