「そうだろうか?」
「え?」
「私たちは、人の心の深いところに触れなければならない。その時に相手の心に共鳴するのは悪いことかな?……私はむしろ、とても大切なことだと思うよ」
「……」
神儺は無言でラエルを見つめた。
そんな神儺に、ラエルは花の微笑を向ける。
「どうかその気持ちをずっと忘れないで。今の君の優しさを、ずっと持ち続けて欲しい。…きっと君は立派な天使になるよ、神儺」
ラエルの言葉に、
「ありがとうございます」
神儺も花がほころぶようにほほ笑んだ。
「では、行きましょうか」
神儺がそう言うと、老夫婦は揃って頷いた。
しかし一寸だけ寂しそうに表情を曇らせると、
「ワシらがいなくなったら、この桜は誰が見てくれるんだろうなぁ」
「そうですね…、それにあの狸の親子も気になりますねえ」
口々にそんなことを言う。
神儺が困ったようにかすかに眉尻を下げると、ラエルがゆったりと言った。
「桜も狸たちも、きっと立派に生き抜いていきますよ。でも、どうしてもお二人が心配だというのなら、一年に一度、桜の咲くこの季節に、誰かに様子を見に来させましょう」
そのラエルの言葉に、老夫婦はぱっと顔を輝かせた。
「そうしてくれるとありがたい」
「本当に。――でも、いったい誰が?」
老婆が尋ねると、ラエルは傍らの神儺にそっと笑いかけた。
神儺もにっこりと頷いて、優しく二人の手を取った。
「毎年、私が必ず地上に降りて、お二人の代わりに桜と狸親子の行く末を見守っていきます」
きっぱりと神儺が告げると、老夫婦もやっと安心したように笑った。
その日、咲き誇る桜の花に見守られて、二人の人間の魂が天に召された。
長く連れ添った老夫婦は、その最期のときまで二人仲良く一緒だった。
そして、それは一人の若い天使にとって、初めての魂の導きでもあった。
二人が去ったその後には、古い大きな家の焼けた跡と、一本の桜の木。
そして、いつまでもいつまでも空を見上げる狸の親子の姿。
それらを優しく吹き抜けていく春風。
ただそれだけが残っていた。
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