Piece20



 扉の向こうは暗く、短い通路の先に小さな部屋があるようで、そこから青白い光が漏れているのが見えた。ヤンケの部屋を思い出したが、静けさから言えばこちらの方が異常に音が少ない。機械音も聞こえるものの、人の気配というものは全くなかった。
 デイディウスに続いて部屋に立ち入ったサムナは最初、目に飛び込んだ光景の理解に苦しんだ。
 認知済みの物であればすぐにそれとわかる。見たことのない物でも、過去の知識と系統だてて推測すれば、概要くらいは浮かび上がるものだ。しかし、サムナが目にしている物はそのどれにも従わなかった。
 三方の壁に沿って高低差のある機械が立ち、自らの仕事ぶりを訴えるかのように低く唸っている。表面には計器や操作卓のようなものが見えるが、工業用と言うより病院で見る物に近い印象だった。色合いは清潔な白からは程遠い黒であったが、それらから伸びる数多のケーブルの先にある物を見れば、色から受ける清潔さの印象など一瞬で破砕する存在だと知る。
 蛇か大樹の根っこを連想させるケーブル群は全て、天井に届くほどの培養カプセルに繋がっていた。そしてそれらが労力を捧げるべき対象は、カプセルの中に浮かぶ女の首だった。
 人であれば嫌悪感を催したかもしれない。独特の性癖を持つ者でも状況を飲み込むのに時間を要する光景であろう。女は瞼を閉じ、そこだけを切り取って見ればただ眠っているだけにしか見えない。それほどに生々しく、頬には血の気さえ通っているように見えた。波打った長い髪が首から伸びる脊髄を含め、首を生かすためなのであろう細いケーブルを隠すため、一見しただけではグロテスクさを強調するものでもない。
 デイディウスは彼女を見つめ、サムナもまた見つめた。恐ろしさや嫌悪はサムナとは無関係の代物である。ただ、「これが何なのか」を理解する必要があった。
──そうしなければならないような切迫感が、サムナの中に湧き出ていた。
「これでも生きている」
 デイディウスは場所をサムナに譲った。サムナは首を見つめたまま前に進み出る。
「どうだ」
 サムナは吸い寄せられるようにカプセルの表面に触れた。首の生々しさに反して、カプセルはやはり無機質な手触りを寄越す。しかし、触れた瞬間に微かな電流を感じたことが気にかかって、サムナは手と女を見比べた。
 微動だにしないサムナへ小さじ一杯ほどの期待を寄せていたデイディウスが嘆息し、戻ろうとサムナへ声をかけた時、機械の一つがけたたましい音を立てた。部屋に沈殿していた静寂を一瞬にして吹き飛ばすそれは脳波を計測するもので、ある一定の領域を超える動きを示したらアラームが鳴るように設定されている。
 機械は忠実に仕事を果たした。いつか来る時のために仕事を怠らず、常に監視していた。そして、今日が「その時」だったのだが、デイディウスによって一世一代の大仕事はすぐに音を切られてしまう。
 ただし、その手は震えていた。
 デイディウスは反射的にカプセルの中を見つめた。培養液に浮かぶ首は変化がない。波打つ髪も張りのいい肌も、長い睫は未だに頬へ影を落としたままである。結ばれた口は動く様子もない。
 万感の思いを込めて見守った分、変わらない現実による裏切りは手ひどいものだった。その上、彼を一番裏切らないはずである機械によってもたらされたという点が、デイディウスを深く傷つける。肘掛を掴む手が白くなるまで力を込め、デイディウスは衝動的な破壊欲求を押し込めた。壊して解決するものでもないと理性が囁くのに従い、デイディウスは最後に残った怒気の熱を吐き出すように言う。
「出るぞ」
 抑えた声で言えたのは理性の賜物と言うべきか、狂気のなせる業と言うべきか。声に含まれた色をサムナが感じ取れることもなく、デイディウスに従ってサムナはカプセルから踵を返した。
 この時、彼らがもう少し注意深く見守っていたら、機械は真っ当な働きをしたのだという認識を得られたであろう。
 機械は一世一代の大仕事を間違えてはいなかった。彼に与えられた仕事はただそれだけで、煩雑な処理に悩まされるような仕事ではない。だから間違いようもなく、その可能性があってもすぐに演算を修正出来るだけの経験則が彼にはあった。
 不当な評価を下されても文句を言えない、物言わぬ従業員は、封じられた口からどのようにして現状を届けるべきかなど考えない。言うな、と言われたのだからそのように従う。
 だから、誰もが気づけなかった。
 永遠に閉ざされたままかと思われた女の瞼がゆっくりと押し開かれ、濃緑色の瞳が世界をとらえ始めたことを。



Piece20 終

- 357 -

[*前] | [次#]

[しおりを挟む]
[表紙へ]




0.お品書きへ
9.サイトトップへ

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -