038.図書室(2)


「ちょっと休憩しましょうか」

 メモを丸イスの上に置き、彼に飲み物をいるのか問おうとした時、刺すような視線が彼女を射抜いた。

 圧倒的な殺意。

 恐る恐る顔をあげた先で、彼は微笑して彼女を見据えた。

「あんたさ、空っぽだよね」

 まるで明日の天気でも訊くような気軽さで言う。あの殺気は既に失せていた。気のせいだったのだろうか。

「あんたの中には図書館も何もない」

 決め付けられるような言い様に彼女はさっと顔を赤くし、怒気を露にした。

「どういうことよ。あたしはおかしくてあなたは特別とでも?」

「あんたが特別なんだよ。初めてだ。まるっきり空っぽな奴なんて」

 彼女はもはや休憩に移ろうとしていたことなど忘れていた。

 問い質さなければ。問い質し、彼女が正しいことを知らせなければ。彼は創造物であり、彼女は造物主の一員なのだから。

 彼女自身がクローン開発に携わったわけではないが、そう思う権利は人間の誰にでもあると考えていたし、クローンはクローンでしかなく、人間の一部であると彼女の中では位置付けされていた。

 そう、クローンは心の中が読める超能力者ではない。

 ただの人間の一部だ。一部でなくてはならないのだ。

「凄い心理構造だね。俺の崩壊振りにひけをとらないよ」

 心の内を次ぐように彼が言う。さも楽しそうに。おもちゃを手に入れた子供のように。

──馬鹿な。

「既存の常識に捕われすぎだ。生物は進化する。ましてや現在稼動中のクローンはほぼ遺伝子操作されているんだよ?突然変異の一つぐらいあってもいいと思わないかい」

 ありえない。そんなことが。

 彼らが、あたしを超えるなんて。

「人間はいつだって弱者を求めている。あんたはそんな心理構造の権化みたいだ。俺たちクローンは進化はしてもね、退化はしないんだよ」

「あの、質問は?本能的な」

「あれも本当。あんたは妄想だと思ってたみたいだけど。なかなか楽しかった。表情一つ変えずにとんでもないこと考えてるんだもんな」

「壊れていたんじゃないの?どういうことよ!?」

 どうにかなりませんか、と白衣の男たちは彼女に助けを求めた。男たちを通じて彼も彼女に助けを求めていたはずだ。

 あたしは、助けを求める者全てに安寧を与える役のはずだ。こんな道化のような役は求めていない。

「そうそう、そこなんだよねえ。そう思い込んでいる人を俺らは探していたんだ。誰だって道化なんだよ。誰かにとってでもあれば、自分にとってでもあるね。あんたはそれに気付いていない。実験に最適だった」

 にやり、と彼は笑って布団をまくり、彼女に向かって座りなおした。

「俺たちは進化する。突然変異なんて誰も予想出来ない。だから白衣の連中は驚く反面喜んだ。こいつは使えるってね。クローンの第二世代を作れるんだから。その為にはその能力の本当の開花と限界を知らなければならない。知るためにはどうするか。あいつらは自分らが生贄になるなんて露ほども思ってない奴らばかりだ。だから他に生贄を用意する。適度に壊れていて柔軟性のない人間。あんただよ」

 彼女はそろりと後退した。嘘だ。生贄なんて嘘だ。

「あいつらもよく見つけたもんだ。いくら人でなしでも図書館は持ってるのにさ、あんた見た時凄く興味をひかれたね。何もないんだもの。だから何も感じないし、いつだって自分が正しい」

 後退する彼女にあわせ、彼も立ち上がる。

 足が震える。力が入らず、しっかり立っているはずなのに地面が揺らいでいる気がする。彼を見据えているつもりだったが視界が白濁し、ふらりと壁に背をつけた。何故助けが入らない。何故誰も気付かない。何故誰も入ってこない。

 すぐそこのドアが開き警備が彼をとりおさえるのではないのか。それでお騒がせしました、大丈夫ですか、と優しい声をかけてくれるのではないのか。

「俺の能力ってのはね、他人の心をちょこっといじくることが出来るんだ。修復したり、ずたずたに壊したりね。ところが自分の意思をしっかり持った奴にはそれなりの図書館があってさ、そういう奴の心には入れない」

 けどさ、と彼はまた一歩歩み寄った。

「図書館のない空っぽの奴は初めてなんだ。だから何が出来るのかわからないし、試してみたい。もしかしたら俺の図書館がもう一つそこに作れるかもしれないんだ」

 心臓が体の外に出たがっている。それを必死に押し留める彼女の体からは冷や汗が噴出していた。

 怖い。怖い。彼等はいつから異種になってしまったのか。彼等はいつから人間から独立するようになってしまったのか。

「あんたも災難だったね」

 ふと、彼の目に微かな哀れみがよぎったがすぐに消えた。それは対等の者に対する哀れみではなく、下等の者に対する侮蔑だった。

 その時である。固く閉ざされていたドアが開き、白衣の男数名がなだれこんできた。その中には彼女に依頼した男もいる。心臓がようやく落ち着きを見せた。

 なんだ、皆して脅かして。芝居だったのね。ここで彼等はあたしに優しい声をかけてくれるんだわ。

 彼女はふらつく足を叱咤し、男たちの方に歩み寄った。百メートルを走りきったように体が重い。

 軽く会釈して男たちの脇を通ろうとした時、その腕を掴まれた。

 驚き振り返ると、冷ややかな表情で彼女を見据える男の目があった。そうして抑揚のない声で彼に言う。

「まだなのか」

──そんな。

 彼は苦笑し、ゆっくりと獲物に近付くのを楽しむように歩み寄り、腰の抜けた彼女の前で膝をついた。

「だから言っただろう。災難だったね、って。誰かの意見を蔵書として保管しておかないからさ。よかったら俺の図書館から少し蔵書しようか?」



終り


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