003.サクラ咲く
──例えば、美しいものを美しいと知らしめるには、その美しさを真に知り、讚える何かが必要だろう。
村を横断するささやかな川の畔に、見事な桜がある。
根は太く、地を潜り、幹は大人四人が手をつないでやっと囲めるほどで、太い枝は天蓋の如く空に広がる。
夏は青々と葉が茂り、秋の物寂しさから転じて冬は美しい白の衣装をまとう。そうして春になると、枝がしなるほどにゆったりと桃色の小さな花達が覆いつくすのだ。
しかし今年は、と人々は口々に囁き合う。
土の栄養不足か、病気なのか、花が咲かない。
楽しみの少ない村において、貴重な娯楽を提供する桜が咲かない。
村は自然と、陰鬱な気配に覆われた。
ある日、寂しい桜の元に佇む男が居た。
村の者ではない。
旅の者でもない。
誰とも知れぬ男を、村人は気に留めなかった。
──また、ある日。
桜が、咲いた。
村人が気付くより先に、その男が広めた。
──桜が咲いた。見事な桜だ。滅多にお目にかかれぬ。
見事、見事と囃したてる男。
ならば、と見に行く村人。
確かに見事。
いつもより花が多く、枝がしなっている。
──おお凄い。
──これは見事な。
──絢爛な。
口々に誉め称える村人に、男は更に言い募る。
──これほど見事な桜は見たことない。目にした者は一生分の幸を手にしたと思え。
一生分とは大袈裟な、と人々は笑う。
しかし、その言葉通りであった。
時間を止めておけるならば、このままにしたいと思う程に、今年の桜は見事であった。
だが、はて、とある男が気付く。
──今まで咲かなかった桜が何故に今。
もしもし、と聞く。
──どうしてだい。
──そりゃあんた、遅咲きなのさ。
──遅咲きにしても、これは見事すぎる。
──栄養が足りず遅咲きだったんだ。
──待て待て。それなら俺らも、充分に肥料をやったぞ。
──おれのは特製だ。
──馬鹿言うな。そんな肥料があるものか。
──あるのさ。試してみるかね?
二十日経っても、桜の花は衰えを知るどころか美しく咲き誇る。
既に集まるのは村人だけではなく、近隣の村から町から人々が集まり、桜の男はそれらから観覧料と称して少々の金銭を頂いていた。
人々は酔っていた。
その美しさに。
ある男が尋ねる。
──しかし長いこと咲くねえ。
──凄いだろう。肥料が良いんだ。
──あんたの懐も凄いねえ。
──桜のお陰さ。
──ところで、一体どんな技を使ったんだね。
──肥料が良いんだ。特製のね。
──ほう、どんなのだい。教えてくれんかね。
──駄目だよ、駄目。
──ケチな奴め。
そこで、ふと気付く。
──そういや、最近、兵助を見掛けねえな。ここによく来てたんだが、知らんかね。
──少し、力を貸してもらってるんだ。
──あいつが?へえ。
──これでおれのサクラとしての腕も上がるってもんだ。
──何言うんだね。あんたが咲かせたんだろう。
──いいや。特製の肥料があるって言っただろ。
男は声をひそめた。
──おれが肥料をやって人を集める代わりに、こいつは花を咲かせる。
花がひらりと散る。
──こいつは自分の美しさを人に見せ付けたいのさ。
また、ひらり。
──お互いの利害は一致してるってわけだ。
──おいおい、そりゃあどういう。
また──ひらり。
──ああ、肥料が足りなくなってきたな。
男はにこりと笑う。
──あんた、肥料になってみないかね。
村を横断するささやかな川の畔に、見事な桜がある。
共に、その美しさを讚える男も有名だった。
人々は集い、酔う。
そうしてある日、気付くのだ。
おや、最近誰それを見掛けないね──と。
サクラ咲く。
そしてまた、人が消える。
終り
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