012.360℃の世界


 あいつをころして

 あいつがいることが

 このよのつみだ



──言われなくてもわかってるさ。

 男はにやりと笑う。

 彼は知っていた。

 既に自分が、この世界を構成する分子ではなく異分子であることを。

 望んでいたわけではない。

 彼が分子として組み込まれていた世界の中で生き

 妻を得て

 この世界を新たに構成する分子を生み出す。

 それだけの幸せも、彼には得る権利はあった。

 あった、筈なのだ。

 どこで歯車が狂ったのかはわからない。

 どこで歯が欠け

 余計な歯が生まれたのか。

 足りないなら補え。

 余計なら排除せよ。

 彼は余計だった。

 この世界にとって、余計なものにならざるを得なかった。

 それは彼の望む望まないに関わらず。

 異分子であることが世界の選んだことであり、弾き出されるのも時間の問題だった。

──寒い。

 いや、熱いのか。

 異分子である恐怖は彼を震え上がらせる。

 しかし彼を弾く力は紛れもなく、熱い。

 少し調子の落とした照明は、物憂げに吊り下がっている。

 周波数が遅いのか、古いのか、ちかちかと目障りだった。

 急かしている様で。

 早く行けと。

 あの点滅は彼の背中を押す。

──ああ行ってやるさ。

 こんな世界を構成する一分子であるならば

 たった一つの異分子であることを選ぶ。

──あいつをころして。

 言い方に芸が無い。

 壊れたおもちゃの様にただ、それだけを繰り返し、涙を流す。

──大事な娘を殺したあいつを。

 あの女も一分子でしかない。

 だから盲目的だ。

 世界の真実どころか、目の前の真実にも気付かない。

 観衆は皆、彼の体に電流が走る姿を望んでいる。

 狂気と好奇心、そこに見え隠れする僅かな正義感。

 ひたり、と水が垂れてくる。

 そうして黒い幕がおろされた。

──早く、ころして。

 彼はにやりとした。

 この世界の異分子は、自身が確かに無実であり、それを「冤罪」と呼ぶことを知っている。

──気楽なもんじゃないか。

 代わりの分子はいくらでもいる。

 唯一の異分子の排除で安寧を得る世界。

──これから死んでやるぜ。

 間違いだらけの中、間違いを背負って。

 異分子は実際何度かわからない電流で弾き出される。

──有難く思え。

 そして後で気付いて、絶望するんだ。

 自分も異分子にすぎないことに。

──水は、摂氏100℃で沸騰するんだっけ。

 では人間は。

 動物は。

 植物は。

 心は。

 分度器使って半円後は180。

 もう一越えで360。

 変わらない、心。

 何度で焼かれようと

 彼の心までは変わらない。

 例えば摂氏360℃であっても。

 しかしながら一つ

 気になることがある。

 摂氏360℃。

 華氏では

 列氏では

 一体いくつであらわされる。

 彼を弾く力だ。

 知る権利はあると考えた。

──まあいいさ。

 一足先に行って神様にでも訊いてやるよ。

 なあ、あんた。

 間違いを間違いとしない温度は何度だい?

 ってね。



終り


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