009.伸びる影、重なる影


 何でだろう。

 自分の行為を振り返ってみたら、あの時正当と思えていたのに。

 今は間違いな気がしてならない。

 あの時の選択。

 あの時の言葉。

 あの時の感情。

 あの時の勇気。

 あの時の、希望。

 多分あの時は沢山夢を食べていて、お腹一杯になった夢を誰かに分けたくて。

 歩く道は、夢の中で見た様な光に包まれて。

 けれど。

 けれど今の道は。

 光輝いてもいない。

 暗くて、光はぽつんと立った電灯だけ。

 周りの家々は黒い塊のまま、小さい頃に見た墓標の様に立っている。

 外壁も外を拒んでいる様で無性に悲しかった。

 ついでにあたしも。

 家はあたしを拒む。

 壁はあたしを拒む。

 周りのもの全てが敵の様に見えて、悲しかった。

 泣くつもりも無いのに熱い塊が喉の奥からこみあげてきて、それを吐き出せばどんなに楽だろうと。

 楽になれる事を知っていたけど。

 唇を噛み締めるしか出来なかった。

 かつ、かつと、ヒールの音が責めたてる。

 馬鹿だ馬鹿だ、と。

 お前は馬鹿だ、と。

「……うるさいなぁ……」

 声を出した途端、一気に塊が溢れ出た。

 目をこすってもこすっても、いやに熱い涙は止まらずに、

 それでも堪えて嗚咽だけはもらさない様に、

 電灯の下で、立ったまま唇を噛んでいた。

「血、出ちゃうよ」

 場違いな程に可愛いらしい声がした。

──見られた。

 恥ずかしくて、そう、と小さく返事をして立ち去ろうとした。

「痛くないの?」

 足が止まった。

 光の領域から、出るタイミングを失った。

 可愛い声は少し近付いた。

「痛いの?」

 黙っていると、声はもう一歩近付いた。

「あのね、痛い時はね」

 あたしの足元から伸びる自分の影に、後ろから小さな影が重なる。

「いっぱい泣いたら、少しだけ痛くなくなるんだって」

 手に何かが触れて、あたしは肩をすくめた。

 それは少し暖かい、手だった。

 振り向くとその子は笑った。

「やっと会えた」

──やっと?

「久しぶりだね」

──久しぶり?

「もう忘れないでね」

 暖かい手は消えて、後ろから重なっていた影はあたしの影に溶け込んだ。

──忘れないでね。

「……忘れないでね……」

 繰り返してみて、わかった。

──ああ。

 あの子は。

 夢を沢山食べていた頃の。

 大人になる時に切り捨てた。

 あたしだ。


──いっぱい泣いて。


 手は、ほんのり暖かかった。

──うん、そうしよ。

 周りが拒んでも。

 あたしはあたしを拒まない。

 歩いて。

 帰って。

 思いっきり泣こう。

 その後はお風呂に入って、お酒を呑んで、一杯寝よう。

 うん、それでいい。

 今は、まだそれでいいね。

「……忘れない」

 あたしは、多分さっきよりも良い音をたてて歩き出した。

 ヒールの音も頑張れって言ってる。

 あたしから伸びる影も少し誇らしげで。

 あたしの影に重なる家の影も、少し優しい。

──まだ、いける。

 だってほら。

 あたしの影を見てみなよ。



終り


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