愛とは




※「沫」さんのコンテストで「愛とは」をテーマと題として、投稿したものです。
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 孝は膝の上に抱えたバッグを、いっそう強い力で抱え直した。まるで、そこに込められている想いを零すまいとするかのように。


 単線しか乗り入れていない駅舎は辛うじてストーブつきの待合室がある程度で、改札も駅員もない無人駅だった。待合室に入って1時間の孝が見たものと言えば、30分前に来たバスと、そこから駅に入ってきた老人ぐらいである。そのバスもどうやら昼間の運行は少ないらしく、駅には閑散とした空気が漂っていた。時折、ちんちんと湯を沸かし続ける金たらいが寂しげに住民の存在を訴えかけてくる。
 ストーブの上のたらいの中からは次々と湯気がわきおこる。始めは何となしに見ていた孝だったが、やがて、水は気づいた者が補給しないといけないのだと悟り、水道らしいものも見当たらないことから、冬場は雪を入れるのだと察しがついた。
 握り締めたバッグとたらいを見比べ、のろのろと立ち上がり、たらいの中を確認する。水はしっかり減っていた。どうやらその役目は自分に回ってきたようだ、とバッグを手に待合室を出ようとした時、寒さに文句を言いながら入ってくる老人と出くわした。
 お互い道の譲り合いを繰り返し、ようやく孝が外へ出ると、老人は「あんた、ちょっと」と声をかける。
「待合室使ってたんなら、次に来る人に気いつかいなよ」
 ほら、とたらいを指差した。
 ここを出ると思われたのだろう。あまりに無遠慮な言葉にどう返せばいいのか考えていると、老人は続けた。
「外にスコップあるから、それでちょっと雪集めてな。そんでここの窓を俺が開けるからよ、そこからバケツに入れるんだ」
 そう言うと待合室の隅にあるバケツを取り、呆然と立つ孝に「さっさと行け」と顎でしゃくった。
 急かされるままに外へ出て、雪山にささっていたスコップを硬く凍りついた雪に突き立てる。
 びくともしなかった。都会でぬくぬくと育った細腕にはスコップすら重く、塊どころか欠片が飛び散る程度である。
「……あー、ったく。ちょっとどいて」
 一向に成果の上がらない孝にいらいらとし始め、待合室から飛び出した老人はバケツを孝に押し付け、スコップをひったくって掘り始めた。地元民らしく、手早く塊を掘り出す。
「あんたこっちの人じゃないね。スコップってのはさあ、腰を上手く使わないと。腕だけじゃ疲れるだけだよ」
「……すみません」
「なに、旅行?」
 バケツを置くように言い、スコップで小片に砕いた雪を乱暴に入れる。地面へ零れようが、スコップがバケツを傷付けようがおかまいなしの動作には手馴れたものと、孝へのちょっとした自慢が見え隠れしていた。
「そんなものです」
「でも、こっちの人じゃないね。……どっか行くんじゃなかったの?」
 いえ、と短く答えた孝を不思議そうに眺め、スコップを雪山に戻し、雪で一杯になったバケツを手に待合室へ向かう。道々、勘違いして乱暴な物言いをしたことを詫びた。
「てっきり、出るんだと思って。悪かったね」
 バケツ半分くらいの雪を入れたところで、たらいは一杯になった。
 老人は手の平をストーブに向けながら、所在なさげに座る孝を振り返る。今度は気のいい老人の話し方だった。
「何もない所だろ。バスだって昼間なんか、あってもなくても同じようなもんでさ。かろうじて電車が走ってるのが奇跡ってなもんだ」
 固く押し黙る孝に、老人はけらけらと笑う。
「まあ、旅行っつったって、はっきり言って何もない所だよ」
「……人に会いに来たんです」
「あ、じゃあ」
 思いついたように老人は体を孝の方に向けた。孝はびくりとする。
「富さん所の倅かい。……うん?でも、あそこのはもっと歳くってたか……」
「いえ……友達に」
 老人は孝を上から下までじっくり見回した。
「あんた、東京の人?」
「……その近くです」
「それでその荷物?」
「……」
 いくらなんでも少なすぎる、と老人の目が語っている。防寒具の類も含めれば、もう少し大きなバッグが必要だ。
 孝にもそれはわかっていた。だが、大きなバッグである必要はなかった。彼が抱えた小さなバッグには彼の想いと、それを伝えるための「道具」しか入っていない。バッグを強く握り締めると、「道具」の硬い感触が肌に伝わった。
 そうと知らない老人は、黙り込んだ孝を再び不思議そうに眺めながら、頬をかく。
「ま、言いたかないならいいけどよ」
「あの」
 ストーブに向きかけた老人へ、孝は思わず声をかける。
「おじいさんはどこか行くんですか」
「俺?俺は病院。ジジイにもなりゃ、あちこち悪くなって当然だけどさ、どうも腰が悪くっていけねえ。それが昨日から痛み出して、とうとう我慢出来なくなってこのざまだ」
「……さっきはすみませんでした」
 スコップで雪を掘るなど、随分な重労働だっただろう。
「あんなの、赤ん坊の頃からの習慣みたいなもんだから大したことないよ。それにな、腕だけでスコップ使おうなんざ素人のやることよ」
 赤ん坊とは無茶のある言い方だが、孝は老人のその快活な言動が嫌いではなかった。
 煙草いい?と聞いた老人に頷く。皺くちゃになった煙草を取り出し、手馴れた様子で火をつけた。老人は煙を吐き出し、煙草を持った手で頭をかきながら孝を見る。
「……俺の間違いじゃなきゃいいんだけどさ、あんたもしかして崖に行く?」
 老人は困惑と不安に、心からの気遣いを覗かせて呟く。
「一年に何人かはいるんだよ。ここでぼーっとして、しばらくすると崖に行く人」
「近いんですか?」
「バスで10分くらい。あそこはどうも無くし物が見つかりにくい所でさ」
 孝はピンときた。彼は孝を自殺志願者と思っているのだ。
 そしてそう思えるほどに、ここで座り込む人間は多いということだろう。それも皆、孝と同じような顔をして。
「俺はほら、もう先がねえから、こういうの簡単に言えるんだろうけど。もしそうなら、やめときなよ」
 思ったことをそのまま言ってしまう性分なのだろう。これまでの態度も悪く言えば不躾なものだった。その老人が、言葉を選ぼうと苦心しているのが申し訳なかった。
──違うんです。僕はこれから人を殺しに行くんです……
 バッグの中には狂気と「凶器」が詰め込まれている。姉を奪い、なのに簡単に刑期を済ませ、この町に住んでいるあの男へ復讐するために。
 それを口にした時、周囲は当然のようにやめろと言った。姉さんはそんなことを望んでいない──しかし、望んでもいないのに易々と命を奪われた姉の何がわかるという。
 孝にはわかった。わかる、と思い込もうとしているのでもいい。
「自分で死ぬなんて、んなもん痛いだけだ」
 老人の声が孝の耳に届く。
──痛いだけ。
 孝は顔を上げた。
「いや、死ぬってのはいつか来るもんさ。あんたより俺の方が先だしな」
 でもさあ、と続けてやはり困ったように顔をかく。
「やっぱり人間、暖かい所で死んだ方がまだ幸せかなって思うんだよ。俺はね、少なくとも俺は。それをあんたみたいな若い人が、俺より先にこんな所で死のうなんて、余程の事だと思うよ。だけどさ、それは大変な事じゃないの?そんな事するんだったらさ、生きてやってやんなよ」

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