第三十章 暁の帝国



「……おあつらえ向きだな」

 少しだけ視線を上げて空の様子を見る。おそるおそると雨粒を落とすだけだった曇天から、無数の雨粒が落ちてくるのに時間はかからなかった。

 外套のフードを上げる手間も惜しみ、アスは更に馬の速度を上げる。地面に溜まった泥水を蹄が弾いて足を汚しても、止まる暇はない。少しでも早い方が良かった。

 ライと決別した時は道に並ぶ木々すらも呪ったが、今は無愛想なその顔にも笑みを返すことが出来る。

 全てが始まった場所へ全てを終わらせる為に再び戻るとは、あの時誰が予想出来たであろうか。そう思うと不思議だが、迷いはない。これでいいという確信があった。

 やがて潮の匂いが近づき、目の前の風景が開けてくる。港街の高台に出るこの道からだと、そうすぐには港街の様子を窺い知ることは出来ない。段々と濃くなる潮の匂いに促されて気持ちが逸る。

 すると、雨に紛れて高台から港街を臨むようにして立つ白い姿があった。

 濡れそぼった姿はともすれば立像のようで、しかし、蹄の音に気付いた顔がこちらを振り向き、その印象を払拭する。

 高台に至ったアスは馬を止めて降りた。そして馬だけを帰すと、一歩進み出る。

「……来ると思ったよ、ヘイルソン」

 フードを被ったヘイルソンは、紅い瞳を細めて笑う。まともに視線を交わすのは二度目だが、一度目よりもその瞳に光が戻ったように見えるのは気のせいではないだろう。

 自分から分けた感情の内、二つが命を落とした。ガットに感情の全てが行った一方、微量ながら本来の持ち主であるヘイルソンへ戻ったとしてもおかしくはない。

 ヘイルソンの笑みは、そんなアスの考えを嘲笑うかのようだ。

「それはこちらの台詞だな。よく生きていたと誉めてやりたいところだが」

 半分だけ向けていた体を全てアスの方へ向け、腰に下がる剣へ目を止める。

「『欠片』がないようだ。……加えてここへ来たということは、やはりわたしの邪魔をするのかね。アルフィニオスのように」

 ヘイルソンには全てわかっているようである。

 しばらく口を閉ざした後、アスは低く言い放った。

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