第二十三章 麦の穂
小柄な人影は軽い足取りで城の敷地から出て行く。淀みのない足の運びには目的があるように見えた。
そうして月明かりの下に出た顔は他でもなく、アスのものだった。
「……アス?」
呟いてみて、どうするか考える。熟考の必要はない。
窓を閉めたライがそっと部屋を出るのを、横になったロアーナは静かに見送った。
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城の側に蹲る森へ入っても、アスの足取りが乱れることはない。この半年ほどの旅路で足が慣れたようだ。幼い頃、自分が手を引いて走っていたことを思い出し、お互いに変わったことを痛感する。
木立の間をすり抜けていくアスの後に続き、ライは歩を進めた。何故か気付かれてはならないという気にかられ、踏み出す足も恐る恐るといった体である。こちらも旅路に慣れた足と目のお陰でアスを見失うことはない。
やがて、木々が絡まりあって出来た壁を前にして、アスは足を止める。おもむろに掲げた左手には手袋も何もつけられておらず、ライは初めて目の当たりにした刻印の濃さに目を見張った。
──あれは。
まるで呪いのようだ、と息を詰めて見守るライの目の前で、アスの掲げた左手から力が波のように伝わり、壁を成す木々の「時間」を「戻して」いく。
不思議な光景だった。古木然とした木々が段々と背を縮め、木肌を滑らかなものにし、細い若木に戻る頃には壁の向こうに通路が見えていた。アスが作り出した壁なのだろう。黙々と先へ進む背中をライも追う。
森の中よりも一層暗い通路はさすがに歩きづらく、申し訳程度に差し込む月明かりが唯一の頼みだった。通いなれている道を歩くアスは早く、あっという間に引き離された。
「何やってんだか……」
歩を速めつつ、目の前に飛び出た小枝を手で避けて進む。
自分でもどうして追いかけようと思ったのかはわからないが、先だってイークと口論した時の顔が気になった。
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