第一章 二人



 少し歩いてから振り返り、少年は親切のつもりか忠告する。女たちはそれぞれ思い出した風に口に手を当て、男への挨拶も──勿論料金など払うはずもなく、帰路についた。

 寂しくなった店先を通るのは風のみである。夕刻近くの喧騒も何も男には聞こえていない。

 ただひたすらに怒りの矛先をあの少年に向け──向けようとしていた。しかし恨み言の一つでも呟いてやろうと思って、はた、と気付く。

 何という名前だったのか思い出せない。確かに聞いたはず、と、しきりに首を捻るが、どこからもその名前がこぼれてくることはなかった。

 それが彼の欠点であることに、彼は店をたたむまでついに気付かなかったのである。

 ただ自分だけが話して満足しているという、欠点に。


+++++


 街には大きな図書館がある。町並みと同じく石で造られたそれは堅牢な構えでもって人々を迎え、彼等が要求する知識を惜しみなく与えていた。蔵書数にかけては街が属する国家、エルダンテにおいて王城の書庫に次いで多いと言われている。

 樫の木で作られた観音開きの玄関をすぎれば、すぐさま沢山の本棚が人々を迎える。余計なものはない。本棚に書見台、そして数多の知識を蓄えた書物。極めて簡素な造りだが、それでもここは街の人間にとって憩いの場でもあった。

 港街として活気溢れるなか、静謐な空気に触れられるのは図書館と協会ぐらいだったのである。

 だから、人々は古紙とインクの匂いに溺れながらも気が知れた仲間同士、暗黙の了解というものがあった。それぞれが図書館を憩いの場としているのなら、固い規則は必要ないだろうという考えからである。

 誰かに怪我をさせなければ走ってもいい。食べ物を持ち込んでもいい。

──そして、走ってくるライを注意するな。

 彼が走ってくる時は、なにかしら嬉しいことがあった時であり、それを相棒に教える為である。

- 4/862 -

[*前] | [次#]

[しおりを挟む]
[表紙へ]



0.お品書きへ
9.サイトトップへ

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -