第十三章 幾多の夜 一つの朝
一通り怒気を言葉にし終えたジルは、夕飯の準備と言って三人をメルケンの元へ行かせた。ジルの思いが伝わったかどうかを不安にさせるような欠伸を残しつつ、ヴァークもアスも大人しくカリーニンの前を通り過ぎていく。
掃除の甲斐もあって広くなった薄暗い店の奥に三人の背中が消えると、ジルがカリーニンに向き直って腕組みをする。
「何かあったよね、あれは」
母親の目にも彼らの変化は如実に映った。頷いてから、カリーニンは奥に視線を投げかけ、再びジルに戻す。
「あったみたいだな。見当つくか」
「さあね。でも悪い事じゃなさそうだ」
「だろうな」
相槌を打ちながら、カリーニンは知らぬ間に肩に圧し掛かっていた荷物が、するりと落ちる気分を味わった。その瞬間の解放感と言ったらなく、妙な責任感で縛られた気持ちが本来の形を取り戻していく。
様々な感情を伴って吐き出した息は心地よいものだった。
それを見たジルがくすくすと笑い、店を外界から遮断する垂れ幕を天井から下ろす。
「まるでお父さんだね」
「手のかかる娘だな。やれやれだ」
おどけて応じ、分厚い幕の裾を石や木箱で押さえる。無用心な気もするが、メルケンが言うにはこれで充分だという。裏道に入って盗みをするほど奇特な人間はいないそうだ。なるほど、表に比べて質の劣る品を盗んでも何の得にもなりはしないということか。
夜気をしめだした店の中でジルは店を照らしていたランプを手に取り、奥で待つ夕食の席へ促す。ああ、と言ったカリーニンの耳には、幕越しに小さく聞こえるどこかの旅芸人の音楽が耳に届いていた。
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