第六章 その陰を知らず



「……フィルミエル」

 ただ漂うだけだった球体が、明滅を繰り返しながら声を発する。子供の声だった。

「国軍だ。戻れ」

「……そうね」

「いやに素直だね」

 別に、と呟くと、フィルミエルは道の向こうから聞こえる鎧の数に耳をすませた。鎧がこすれる音の数から、かなりの数の兵士が向かっていることがわかる。この人数を相手に立ち回りを展開するのは面倒だ。

 浅い呼吸を繰り返すアスに一瞥をくれ、低い声で言った。

「もっと強くなって、もっと汚くなりなさいよ。でなきゃやりがいがないわ」

 頭の上から降ってきた言葉に尋ねようとする。しかし、口を開いても空気が漏れるだけだった。フィルミエルは驚く風でもなく、口許を歪めて笑う。

「あたしね、あんたが大嫌いなの。だからよ」

 言うや否や、音がする方とは反対側に走り出し、だが、響く足音は途中で切れた。気配も一緒に消えたことから、また何か尋常ではない力を以て消えたのだと察した。その瞬間、全身の汗腺から汗が噴出す。犬のように呼吸をしながら、額に滲んだ汗をぬぐう。だが、すぐに汗が滲みだし、鼻をつたって地に落ちた。

 立ち上がらなければと思う。周囲の光景は地獄と言っても過言ではない。同じ格好の人間が幾人も血を流して倒れ、その中に混じるようにして倒れる一人に至っては首がない。おびただしい量の血が路上を染め、地面のくぼみに沿ってささやかな川を作り始めていた。

 とろとろと足元に流れていく血を指ですくいとる。外気にさらされて冷たくなり、粘性の高いそれは人の体に流れているものに見えなかった。月明かりに照らされて鈍く光るそれを握り締め、次いで視線を剣に転じる。鎧の音は近い。剣が何者かの目に晒されるのは避けたく、緩慢な動作で剣を引き寄せ、鞘におさめた。かしゃん、とおさまった音がようやく安堵をもたらす。未だに心臓は動き回っていたが、無理をすれば起き上がれそうだ。

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