邪剣の旅路



「何にだってなれるさ、お前が望む物になら何にだって。」

それは遠い日の夕暮れ。戦いと己の同胞を愛する炎の国のその外れ。薄暗い洞穴の入口から、僅かに差し込む光に照らされ彼は嗤う。

「お前の同胞たちの血が俺を目覚めさせた。そしてお前が俺を引き抜いた。お前が俺のたった一人の契約者。ならば、何にだってなれるさ、お前が望む物になら何だって。さあ俺を使うが良い。」

彼の地から解放された邪剣ヘルムートは、泣きじゃくる私に向かってそう告げて、涙でぬれた黒い刀身をきらりと輝かせた。



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始、敵を望む邪剣の話。


邪剣ヘルムートは泣きやんだ少女に向かって言いました。

「さあ俺を使うが良い。何を殺したい、敵か、仇か、いっそ全てを滅ぼすか。」

邪剣ヘルムートは人語を解する大剣でした。誇りを賭けた戦いではなく一方的な殺戮を望む邪悪な剣でした。悪事が過ぎてやがて封印されてしまったけれど、いつか邪悪な人間が再び殺戮に己を使う日を信じて永い永い眠りに耐えていた剣でした。幾千幾万幾億の人間の血を吸った刀身は、千年の永い眠りから目覚めたばかりの今も血を欲するように黒く煌めきます。飢えていたのです。ただひたすらに血に飢えていたのです。
しかし、少女はぱちくりとどんぐり眼を瞬かせて、不思議そうに邪剣を見つめるばかりです。

「何故分かるのかという顔をしているな。お前は俺を引き抜いた。お前が俺のたった一人の契約者。だからさ。それがすべてだ。」

邪剣はいかにも悪い剣ですという声でくっくっくと笑います。少女は納得がいかないと邪剣の柄をぺしぺし叩いていましたがそれもすぐに飽きてしまい、ぼうと空を眺めました。少女の住んでいた村を襲い義両親を嬲り殺した反乱軍はもうとっくに紅の軍に鎮圧されてしまいましたので、仇と呼べる者はもう生きてはいないでしょう。少女も色々と事情があって、そのことで村の大きな子供たちに苛められたり、大人たちに疎まれたりもしていましたが、もう彼らも此岸にはいないでしょうし、そもそも敵と呼べるほど彼らを憎いと思ったこともありません。それに、少女は生来争いを好まない性質でしたので、物騒なことばかり言うこの邪剣はやっぱり元あった場所に戻してこようと思いました。

「待て、では悪を見つけよう。お前が殺してやりたくなるくらい悪い奴を見つけようじゃねーか。」

少女の考えが伝わったのか、邪剣ヘルムートは少し慌てたように言い繕いました。なるほど、争いは好きではありませんが、悪い人をやっつけるなら絵本の中の英雄と同じです。それならまあいいかと少女は思います。剣とはいえ自分とおはなしをしてくれる相手を失うのも惜しくはあったので、お別れする理由が無いに越したことはありません。妥協です。妥協すべきことというのは、人生においてそれなりの頻度であらわれるのだと少女は知っています。少女も幼いとはいえ武を愛する炎の国の子、剣の扱いはそれなりに心得ていましたから、転がる男たちの死体から手ごろな大きさの鞘を見繕って抜き身の邪剣を収めました。自分よりも大きな、けれど不思議と重さを感じさせない彼を抱いて、少女は立ち上がります。


かくして、少女と邪剣の旅は始まったのです。




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