「……疲れた」

いつのまにか雨は止んでいた。まるで力の入らない身体を乱雑に運ばれながら、二ノ前は男の肩にすがりつき小さく咳こむ。

「疲れた、痛かった、怖かった……!」
「一万じゃ割に合わなかっただろ?」

二ノ前は地面に乱暴に落とされ唇をへの字に結んだ。ひゅうと冷たく吹き抜けていく風。春夏秋冬はいつものようにくつくつと笑い、二ノ前の"目"を、布を拾い、投げる。顔にあたったそれを手さぐりで結び付け、二ノ前は燃え続ける廃ビルに顔を向けた。

「火加減が面倒でな」
「……それは、俺も」

煌々と燃える青い炎、照らされて月のように輝く白い髪。春夏秋冬の黒い眼帯に目を向け、自分の"目"が見えていることを確認する。

「ま、くまは確保したから大丈夫だろ」
「くまちゃん持ったヒトトセ……なんで俺カメラ持ってこなかったんだろう」

すっかり乾いた土に全身を投げ出して、きもちわるいと小さな声で呟く。春夏秋冬は厭味ったらしい笑みを浮かべ、新しい煙草を取りだし、火をつけ、咥えた。

「……もし、全部終わったら」

――なあ、今、殺せ、って、言った?
ぽつり、と声がこぼれた。二ノ前はいまだ男の足元でくすぶる炎をじっと見つめる。もし、全てが終わったら。ぎゅうと握りしめた手のひらに、爪が食い込んでいく。

「全部終わったら、俺に全てを教えてくれるのか」

ゆらりと炎が揺れる。二ノ前は何も知らない。マ法使いの事もあの日の事も、春夏秋冬の事も、彼の発言の真意も、自分が何であるのかすらも。穂積ですら何かを知っていたのに二ノ前は何も知らない。春夏秋冬は何も教えてくれない。今まで自分が避けていたことのはずのに、そのことをなぜか、ほんの少しだけ、寂しいと思った。

「……いつか、な」

春夏秋冬はそれ以上何も言わずにゆっくり右目を閉じて煙を吐き出す。ぬいぐるみの赤いリボンが、白い煙と共に夜風に揺れた。



******



くまのぬいぐるみを抱きしめると、少女は花がほころぶような笑顔をみせ、春夏秋冬にぺこりとお辞儀をした。

「くまちゃん取り戻してくれてありがとう、おじさん!」
「おじさんじゃ、ない」

春夏秋冬はその四文字に少し眉間にしわを寄せた。ずいぶんと珍しいものを見たものだ。二ノ前はこっそり笑いながら溶けたマシュマロにココアパウダーを振りかける。

「どうぞ」
「……くれるの?」

少女に熱いココアの入ったカップを差し出すと、少女はきょとんとした顔をする。その意味が分からずに首をかしげると少女はソファにちょこんと座ってカップに手を伸ばした。

「おにいちゃんはマ法使いが嫌いでしょう?」
「なん、で」
「おんなのカンー」

ふうふうと息を吹きかけてココアを冷ましながら、少女はこともなげに言う。

「マ法使いが嫌いなのに、私においしいココアをくれて、わらうのねー」
「……本当だ」

 少女はカップに口をつけ甘さにへにゃりと顔を緩めた。

(マ法使いなんて嫌いだよ)

そのはずなのに、同じ空間にマ法使いが二人もいるのに、二ノ前はいつの間にか笑んでいる。マ法使いが嫌いなのに。怖いのに。

(俺は知ったから?知っているから?)

この少女が自分を傷つけないことも、春夏秋冬が彼なりに二ノ前を守ろうとしていることも知っている、だからなのかもしれない。二ノ前はそっと自分のコーヒーにミルクを投入する。ほんのり甘く香る白い液体が黒に一瞬轍を描いて、消えた。

――いつか、全てを知り、この黒い感情が消える日が来るだろうか。

ふわりと白い煙の向こう、春夏秋冬がくつくつと喉を鳴らして笑う気配。白髪の男はいつものように鎖のついた眼帯を指で弄び、部屋に漂う香りに右目を細めた。

「二ノ前」
「な、に」
「俺にもコーヒー」
「……応」

二ノ前は少し色のやわらいだコーヒーを手に立ち上がる。甘い匂いと香ばしい香りが混ざり合ういつもの事務所。窓からのぞむ空は、誰かの瞳のように蒼く高く澄んでいた。



Glut



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サークルの厨二病企画なるものに提出していた作品を加筆修正したものになります。加筆修正といいつつほぼ全部書き直してる罠。
私の思う厨二要素をこれでもかというほど詰めてみました。楽しかったけどこの恥ずかしさはなんなんでしょう。


2013.3.3 sato91go




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