「ヒトト、セ……」
「俺の贈り物は届いたか、マ法使い穂積」

穂積と呼ばれた美女は、黒い髪を揺らし妖しく微笑んだ。

「はぃい、私の思想に同調して材料を提供したいというマ法使いさんということでしたよねぇ。でもぉ、アナタにもらったソレはマ法使いではないといってたのですよねー」

春夏秋冬は二ノ前をコンクリートの地面に落とし神妙な顔になる。

「おい二ノ前、お前囮なんだからマ法使いじゃないことバラすなよ、時間稼げ馬鹿」
「そういうことは、先に言っとけ、よ……じゃない、なに人を勝手に敵に、渡してんだ、バカぁ!」

二ノ前が荒い呼吸をしながら春夏秋冬を見上げると、白髪の男は、片眉を上げ、少しだけ苦しそうな表情を作った。

「……奴がマ法使いを殺すまで数日かけることは知っていた。それを考えると一番安全だと思ったんだが」
「は」
「俺の意識の及ぶ範囲でないとお前を守ってやれないから、な」

ぽつりと呟いたかと思うとすぐに穂積に向き直り、いつもの厭味ったらしい笑みを顔に張り付ける。

「さて、マ法使い穂積。マ法使いをさらって殺害、その死体と《杖》を材料に、そのマ法を"奪って"きたな。協会がずっと追ってたらしいが」

まさか俺の担当区域で、しかもくまが切っ掛けで見つけるなんて思っても見なかった、そう言って春夏秋冬が指差した先に目を向けると、無造作に置かれたくまのぬいぐるみが雨に晒されていた。

「……協会?あらら、もしやあなたは審問官。私、はめられたんです?」
「ご明察。今なら楽に死なせてやるから大人しく投降しろ」
春夏秋冬の足元から橙の炎が湧きあがる。
「ふふふ、炎ですかぁ……」

ならこれですよねぇ、と眼鏡をゆっくりはずして穂積は微笑んだ。光を発し、女の足元の水たまりが音を上げて、うねる。

「『我、白き《杖》の降り手にして、清廉なる水の遣い手。空の器を満たすは我。顕現せよ、水蛇《シュランゲ》』」

ゆうらり。優雅に立ち上がる透明な蛇、蛇、蛇。穂積の言葉に答えるように、彼女を守るように、水で出来た蛇がその腕にまとわりつく。

「正式な《杖》なしで不利な状況を戦う気ですか?しかもこの雨の中で?」
「……《Fasyagwndank》――!」

口から飛び出す意味を持たない音。攻撃とは、要は"気合い"だ。かつての言葉通り、手から橙の炎が飛ぶ、が、迫る水蛇の口にぱくりと難なく飲み込まれてしまう。

「がっ……!」

そのまま蛇は肩に鋭い牙を立てる。

「『突き刺すは牙、注ぐは毒。』」

白い杖を振りかざし、女は笑う。

「殺しちゃだめですよぉ、栄養状態が悪いとうまくマ法が抽出できませんん」

春夏秋冬は牙から逃れようともがき、拳に炎を纏わせ顔面に叩きつけようとするが、蛇はすぐに水に戻り、避ける。再び蛇の形を取ったかと思うと春夏秋冬の身体にきつく巻きついた。苦しそうにくぐもった男の声、ヒトトセ、と二ノ前が弱弱しく名前を呼ぶが、春夏秋冬は視線を寄越さない。

「借りモンの《杖》だと調子が出ないか」

黒い眼帯を押さえて小さく舌打ちをする。肩の傷口から流れる血が雨粒に流され薄い赤の水たまりを作った。穂積は息の荒い春夏秋冬を見てニコニコ笑う。

「では、あなたの《杖》を使えばいいじゃないですかぁ?」
「断る、お前なんざこの《杖》で充分だ」
「あれを見てもそう言えますぅ?」

春夏秋冬は女が指差した方に視線を向ける、屋上の手すりにシ人の手が次から次へとかかるのが見えた。血の匂いに誘われてここまで這い上がってきたのだ。肉の削げた顎、マ力を注がれ続けた人間のなれの果て。

「……やっぱり、マ法使いなんか嫌いだよ」

どこか悲しげにそうつぶやいて、突然二ノ前がふらりと立ち上がった。おぼつかない足取りで、蛇に締め上げられている春夏秋冬に向かって、歩く。く、る、な。そう唇でなぞる春夏秋冬を見て、布の下の顔を歪めた。

「人間は引っ込んでいてくださいませぇん?」

穂積は興味なさそうに二ノ前を一瞥し、両手を打つ、水蛇が新たに生まれ舌を出す。水蛇、這い上がってきたシ人がその首筋をねらって飛びかかる。が。

「……きもちわるい」

それらは何か見えない壁に阻まれたように先端から崩れた。衝撃でぱさり、と彼の顔を覆っていた印入りの布が地面に落ち、大きく引きつった傷があらわになる。

「なあ、ヒトトセ。俺は人間だよ」
「……知ってる」
「でもさ、どうしても必要なら、使え」

二ノ前は光の映らない目をぼんやりと開く。心臓の辺りで何かが廻る気配。ぎゅうと己の胸元を掴む。瞳から血のように昏い紅が溢れ出し、彼の全身を包む、固める。大きな紅い塊が、まばゆい光を放出し、そして。

『……俺はお前の、《杖》なんだろ』

二ノ前の声と共に終息した光の中、一本の杖がそこには在った。




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