イエスマンの命日

イエスマンは死んだというけれど


全校集会後、E組の隔離校舎に戻る前に自動販売機へ足を運ぶ事が何となく、だがすっかり恒例となりつつあって、やっぱりこの日も僕は幾つかの小銭を握ってぱたぱたと足音を踏み鳴らす。
ぴたり、と。自販機から少し距離を置いた場所で足を止めてしまったのは先客の姿があったから。加えて見覚えのある人物の影であったから。僕の気配を視界の隅に知覚したらしく、見覚えのある人物から視線をこちらに寄越される。相手は僕を理解して、僕は遅れ気味に相手の名前を思い出す。数瞬の間を置いてから、「あっ」と僕とその人とで声が揃った。

「みょうじさん」
「渚君……あっ、ごめん、先買っていいよ」
「えぇ? いいよ、みょうじさんの方が先だったでしょ」
「でも私何本か買わなきゃいけないから」
「待ってる」
「ごめんね」

――本当は少し、僕は戸惑っていたのだ。何に対してかはわからない。正体が見えない、掴めない違和の毛布に、今現在すっぽりと脳が覆われている。
とても変化とは呼べない、小さな、子供の掌で握り潰されればあっけなく形を崩してしまいそうなぐらいに小さな――もしかすれば人はこれを成長と呼ぶのかもしれないという一種の理解を、ほんのわずかに感じながらも、しかし確信を持てない僕はただの気のせいとして胸に落ち着ける。

「いる? よかったら」
「押し間違えたの?」
「ううん、二本でてきたの。当たりかもしれない」
「でも何本か買うんじゃなかったっけ、確か」
「オレンジ頼まれたのは1本だけなんだ。ちゃんと買わないと怒られちゃう。それとも渚君、もしかしてオレンジ苦手だったりした?」
「嫌いではないよ。貰っとくね」

パックの表面に無数の水滴を貼り付けたオレンジジュースにはでかでかと割られた柑橘フルーツの断面が印刷されており、舌の上に酸味を錯覚してしまう。
使わず終いになってしまった数枚の小銭が制服のポケットの中でちゃり、と金属同士の擦れる薄い悲鳴を鳴らした。

「ありがとう、みょうじさん。じゃあ行くね、僕、そろそろ」
「うん。ばいばい」

ひらひら、とみょうじさんから振られた掌。子供じみた挨拶に思わず破顔してしまう僕もつられてひらり、と振り返す。
せっかくの頂き物が緩くなってしまわないうちに、と足に急ぐよう言い聞かせた。


2017/06/02

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