00)名前を知らない恋の話

 城塞都市の外れにある花街

 王城にほど近くありながら化外とされる此処は華美な建物が立ち並び、煌びやかに着飾った女たちが犇めく、他都市とは全く異なる独特の文化を進んできたのが花街だ。

 己の身一つでこの街で生き抜く女たちは、やはりその身を売って男と渡り歩いていく。
 
 時に惑わせ陥れ、より地位のある男へと糸を伸ばして絡め捕り、その肥やしとする様子は蜘蛛と呼ばれ蔑まれる事もあった。
 
 だが自身の価値を高め最大限に生かすその様は潔い。
 
 意志を持って来る者、女衒に連れられて来た者、捨てられた者様々であったが、楼閣の女達は誰もが高い自尊心を持って生きていた。
 
 化外と賤視される反面、この街を支えているのは多くの財界商界を支える者達で。
 
 彼らと対等にあろうとする女郎達は、やはり愚かではない。
 
 陽が沈む頃に起き出すこの街は、夜の街と言われながら夜を知らないように思えた。
 
 寝静まっていた楼閣に段々と明かりが灯り始める夕暮れ時、カナエは頼まれていた買い物を済ませ帰路を歩いていた。
 
「おや、花隈のカナエちゃんじゃないの珍しい」

 ふいに呼び止められて足を止めた。
 大通りの逆端に立っていたのは、カナエがいるのとは別の妓楼の女だった。
 
 顔見知りだが、はて名前はなんだったかと首を捻る程度だ。
 相手の方だけがカナエをきちんと認識しているという事はなにも珍しくない。
 
 花街にあって自分の存在はいささか異端であると自覚していた。
 
「お使い頼まれたの。今帰るところです」
「あらまぁ、人使いの荒い店主様だことねぇ」

 幾らかの嘲笑を含んだ言葉にカナエはムッとした。
 カナエが籍を置いている楼閣「花隈」の店主は女だ。
 
 女性が中心として形成された街だが、裏方となる仕事は基本的に男が受け持つ。
 
 店を切り盛りするのが女だというのは意外と珍しい事だった。
 女が経営に口出しするのを良しとしないのだろう。

 だが花隈はこの街でも一二を争う大きな楼閣だ。
 その手腕は評価されて然るべきではないのか。
 
「……急いでいるので」

 軽く会釈をしてカナエは走った。
 無駄に費やしてしまった時間を取り戻すように。
 
 ドサリ

「え?」

 何かが倒れる音が近くでしたのは聞こえた。
 だが走る事に専念していたカナエは咄嗟に反応し損ねてしまった。
 
 突然目の前を遮ったものを避けられず。
 
「ギャン!!」

 結果として、地面に横たわるものに思い切り足を取られてこけてしまったのだった。
 
 滑り込むように地べたに身体をこすり付ける羽目になったカナエは、ギッと原因のものを睨みつけた。
 
「顔!! ムボーに顔からいっちゃったんですけど! 怪我したらどう落とし前つけてくれるんで……す、か? え?」

 自分の足元に蹲る物体を確認し言葉を失った。
 
 店先に立てかけてあった荷物が倒れたのだろうと決め込んでいたのだが、そこにいたのは人間だった。
 
 ピクリとも動かない人に冷や汗が流れる。
 
「な、なになに、こんな往来で、行き倒れ!? つかまさか、私の蹴り所が悪かったとか!?」

 ゆすってみても一向に覚醒する様子を見せずに焦る。
 もしかして大きな怪我でもしているのかもしれない。
 
 今度はそうっと身体を仰向けに動かして、息をのんだ。
 
「何ぞこの美人!!」

 驚きそのままに、大きな声を出してしまい慌てて口に手を当てる。
 顕わになった顔は青年のもので、歳はカナエと同じくらい。
 
 血の気が引いて青ざめてはいるものの、きわめて整った容姿をしていた。

「ヤバイヤバイヤバイ」

 うわ言のように呟いたのは、無意識だ。
 
 気を失っている青年と同じように気色を失くす。
 
 このまま青年を放置しておくわけにはいかない。
 
 楼閣へ連れて帰りたいのだが、自分で背負うにしろ人を呼ぶにしろ、何と説明すれば良いのか。
 
 状況を説明すれば「あんたが悪い」と皆に詰られそうだ。

 相手が急に飛び出してきたんだ、私とは関係なく倒れたんだと言ったところで、カナエが蹴り飛ばしたことには変わりない。
 
 姐達はカナエを悪者にしてしまうだろう。
 
 総じて美意識の高い彼女らは美しいものの味方なのだ。
 
 もう一度ぐったりとしている青年の顔を覗き込む。
 女性的とは言えないが、あまり男性らしさも感じさせない綺麗さだ。
 
「まつ毛も長い……」

 目を瞑っていると余計に際立つ。
 
 見惚れてしまうほどだが、いつまでもこうしているわけにもいかない。
 
 カナエは気合を入れて、自分よりも大きなこの青年を背負って帰る事に決めた。
 



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