前編



一般論なんて関係ない.2





 『油楽屋』の一室で、フィンネルは窓を開け放ち、窓枠に腕をもたれさせながら星を眺めていた。
 問題は山積みだ。大地の心臓のこと、ソーマのこと、自分の命のこと。それらは何もしていなくても、むしろ何もしていないからこそフィンネルの心に重くのし掛かってくる。

 辛い時は星を眺め、その美しい輝きで疲れきった心を癒やしていたが、今日はそれでもフィンネルの気持ちは晴れなかった。

『彼女はさーしゃ。ボクの古い友人で、腕の良いエンジニアなんだ』

 昼間、町を散策している最中、「行きたい所がある」と言うタツミの後に付いて行き、にゃにゃ屋へと顔を出した。
 そこにはタツミと同じ年頃の女の子がいて、タツミはその店主の少女をフィンネルにそう紹介したのだ。

 あの年頃でエンジニアだというのも驚きだったが、それよりもフィンネルは『タツミの古い友人』だということに強い衝撃を受けた。

 フィンネルは一度、タツミに『友達になってください』と申し込んだことがあった。その時、タツミは少しも躊躇わずに『ごめんなさい』と、他人に興味がないから友達は募集してないと即答したのに。
 その少女は、自分がタツミの友達だと称する訳でもなく、タツミから友達だと言われたのだ。

 深く、ため息を吐いた。

 にゃにゃ屋でのタツミの顔を思い出す。
 普段のそっけない表情ではなく、どこか安心したような柔らかい自然な微笑み。

 どんどんと暗くなっていく自分の心にうんざりして、フィンネルは腕に顔を突っ伏した。

 コンコン、と控え目なノック音が耳に入り、フィンネルは我に返る。アオトかと扉を開けると、予想外な人物が瞳に映ってフィンネルは言葉を失った。

「やあ、フィンネル」

「タ、タツミ!?」

 小柄な体格に、何となく機嫌の悪そうな顔を飾る、暗紫色の髪。トレードマークの帽子とヘッドホン。やって来たのは間違いなくタツミだった。
 アオトが一緒なんじゃないかと、思わず廊下をキョロキョロと見回したが、それらしい姿はない。
 そんなフィンネルを見て、タツミはバツの悪そうに少し視線を落とした。

「アオトがさ……フィンネルが退屈してるだろうから、何か話でもして来いって」

「そ、そうなの……」

 タツミが自分を気にしてくれたのかと期待に胸を踊らせていたフィンネルだったが、その来訪がアオトの差し金だと聞いて、少し落胆した。

 どうするべきか。

 自分のことは気にしないでと、アオトの所に帰すべきだろうか。しかし、タツミが自分の所に来てくれることなんて滅多に無い。せっかくの2人っきりになれるチャンスを棒に振って良いものかと思案していると、タツミは眉間に僅かにシワを寄せた。

「……やっぱりアオトが良かった? お邪魔なら帰るよ」

「そんなことないよ! 入って!」

 慌ててタツミを部屋に招き入れると、タツミは備え付けの椅子に躊躇い無く向かって行き、それに腰掛けた。
 自分はベッドの縁に腰掛け、タツミの表情を窺う。いつもと変わらない、すましたような顔。

 綺麗に整った顔立ちは美少年と称するには少し違った雰囲気だが、フィンネルはそこが魅力的だと感じていた。
 仲間達の中では一番小柄なのに、態度は最年長の五条に劣らぬくらい大人びている。そのギャップが、タツミの独特の雰囲気を生み出していた。

 ――格好良いな。

 明後日の方向に視線を向けていたタツミが、不意にこちらに見た。目が合って、苦しいほどの胸の高鳴りに思わず顔を逸らせる。

「……ね、タツミ」

「何?」

「今から外に行かない? その、嫌だったら断ってくれても良いんだけど……」

 特に用がある訳ではない。密室での沈黙に堪えかねた、フィンネルの作戦だ。外を歩いていれば、沈黙も景色や夜空を見ているからだと自分に言い訳出来る。
 それに、昼間過ごしたデートのような瞬間を、もう一度味わいたいと思っていた。

 断られると予想していたが、意外にもタツミはあっさりと承諾し、椅子から立ち上がった。

「構わないけど。でも夕飯まであんまり時間がないから、行くなら早く行こう」

「うんっ! ありがと、タツミ!」

 タツミの後に付いて部屋を出る時には、先程までの暗鬱な気持ちは流れ星のようにするりと何処かに消えてしまっていた。

 ちょっと待っててと言い、タツミが自分の部屋に戻って行く。出掛けることをアオトに告げる為だろう。
 待っていてくれと言われたのでフィンネルは扉の前で大人しくしていることにしたが、部屋の中からは何やらアオトとタツミが言い争っているような声が聞こえてくる。
 会話の内容までは流石に聞き取れず、どうしたんだろうと心配していると、ほどなくして苦虫を噛んだような顔のタツミが部屋から出て来た。扉を開けた時に僅かに覗いた隙間からは、ニヤニヤ笑いながら手を振っているアオトが見えた。

「な、何かあったの?」

「……別に。ちょっとからかわれただけ。ホントにアオトはぷーなんだから……」

 からかわれたという言葉に、先ほど見えたアオトのように口許が緩みそうになる。アオトは分かってくれているんだと思うと、少し勇気が出てくる。

 ちらりとタツミがこちらを見たので、フィンネルは全力で平静を装った。表情の緩みを悟られはしないかとハラハラしたが、タツミは気付いた風もなく、宿の出入り口の方へと体を向けた。

「行くよ、フィンネル」

「あっ、待ってよタツミ! 並んで歩こうよっ!」


 すたすたと早足で歩いていく小さな背中を追い掛け、少し体を屈めてその表情を窺うと、戸惑ったような瞳は思いの外優しい光を湛えていた。
 その光が瞬く。

「……で、何処に行くの?」





→後編へ続く




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