Gatto nero | ナノ

042


苦しい。辛いの。
愛して欲しいんだ。
けれどきっと、
それよりももっと
愛されることが怖いの。









 何か夢を見ていた気がしたのだけれど、何かの物音と人の気配を感じた瞬間、考えるより先に体が勝手に飛び起きた。そしてそこにいた侵入者に驚くと同時に、脇腹の痛みで思わず蹲りそうになるのを堪えた。無意識に握っていたナイフをこっそり枕下に押し戻す。

「わり、起こしたか?」
「えーと、……何をしてるのかなディーノ」

 何故かディーノは扉からではなく、泥棒宜しく窓枠に足をかけて今まさに部屋に入り込もうとしている所だった。何やら大きな荷物を背負ってるので余計にそれっぽい。手に持った鞭をどこかに引っ掛けて登ってきたのだろうか。流石リボーンの教え子だ。器用だなぁと感心してる場合じゃないけどしてしまった。何故ならここは3階だ。入ってくる風が気持ちよかったのでメイドに窓を開けたままにしておいてもらっていたのだが、すっかり日が落ちてあたりは暗く、空気は冷え切っていた。

「誰かさんが邪魔して屋敷に入れてくんねぇからな。強行突破した」

 しゅるしゅると鞭を巻き取りながらあっけからんと答える彼に、そしてその誰かさんの心当たりがあり過ぎて頭痛がした。仮にも同盟ファミリーに対して何をしてるんだと詰め寄りたいのだが、当の本人はここにはいない。そして仮にも同盟ファミリーのボスも負けず劣らず一体何をしているのか。

「今度からはちゃんと通すように言っておくね……」
「そいつは助かる。もう何日もいないだの取り込み中だの聞き飽きたんでな」
「”何日も”?」
「ああ月華がボンゴレに帰ってから毎日」
「毎日……!?」

 更に頭痛がして思わず頭を抱えてしまった。私の知らない間にそんな事があったのか。忙しいだろうに、まさか毎日来てくれていたことにもびっくりだけど、それを堂々と嘘ついて追い返していたというのはどういう了見だ。でもだからって毎日。せめて私へ話を通すべきじゃないのか。懲りずに来ていたディーノもすごいけど。とりあえずヴィルを問い詰めておいたほうがいい気がする。あれ私ってボンゴレに帰ってきて何日経ったっけ。仮にもボンゴレが同盟を軽々に扱うのはとても良くないと思う。……ああもう思考がとっ散らかってる気がする。落ち着け。

「それは、うちの者がとんだ失礼を……」

 額をあてこすって溜め息をついたら、その手をついと退けてディーノの大きな手が私の額を覆った。「結構あるな」と私の顔を覗き込んだディーノの顔色が曇る。頬から首筋と確かめるように手が辿っていくと同時に反対側の頬に柔らかいものが触れて、思わず動きも思考もついでに呼吸も止まってしまった。ディーノが触れた所が酷く熱い気がするのは発熱のせいか、いや、そういえばスクアーロの拳が掠ったっけ。

「見舞い持ってきた」

 ディーノは何事もなかったかのように離れて、脇に挟んでいたそれを私に差し出した。今のは気のせいか。そうに違いない。顔色ひとつ変えず渡されたのは、色とりどりの花束だった。驚いて浮いて固まったままの手でなんとかそれを受け取った。とりあえず呼吸だ。呼吸の仕方を思い出せ。慌てて吸いすぎて肋がビキビキと音を立てると同時に、青い爽やかな草花の香りが入ってくる。

「前に好きだって言ってただろ、花」

 私自身いつそんな話をしたのか、言ったかすら覚えてない事を覚えててくれたのか。黄色と白とオレンジ、ピンクと水色。大小バランスよく配置されたやさしい色の花たち。花に顔を近付けてなるべくゆっくりゆっくりと呼吸した。本当にいい匂い。

「うん、すき。ありがと嬉しい」
「種類は花屋に見繕ってもらったけどな」
「メイン通りにある?」
「そう。あのガタイのいいおっさんがやってる所」

 そういえば前にディーノの車に乗せてもらって、キャバッローネ9代目の墓参りに行ったか。その時にもそこで花を買った気がする。なんだかとても遠く昔のことのように思えた。もう帰らないと思っていたのに、今ここに私が帰ってきていて、更にディーノが会いに来てくれるだなんて、本当に不思議な気分だ。

「メシもろくに食ってないって?」
「誰からそんな……」
「勿論じいさんだよ。代わりに様子見てきてくれだとよ」

 ディーノはそう答えつつ、背負っていた巨大なリュックから更に保温バッグのようなものを取り出した。中を開いて見せてくれたそれには、ものすごく見覚えがある蓋付きの容器が入っていた。

「これはジェンから。”これなら風邪だろうが何だろうがあいつなら鍋3個分食う”って」
「そんなに食べませんー!」

 ものすごーくお腹が空いてた時に、結構な量食べた事ある気がするが流石に3つは盛りすぎだ。確かにジェンのリゾットは私の大好物だし有り難いけど、あの人を馬鹿にした笑みを思い出して少し腹が立ってきた。……確かに彼の料理は美味しいので多少食いしん坊に拍車がかかっていたかもしれないが。

「あと残りは置いてくから、元気になったら」
「ううん、大丈夫。他にも何か持ってきてくれたの?見せて教えて」
「見たらちゃんと大人しく横になるか?」
「うん、なる」

 一体何をそんなにたくさん詰め込んで背負ってきたのか気になって、身を乗り出してコクコクと頷いた。どうやらディーノは泥棒じゃなくて、サンタクロースだったらしい。

「じゃあ、まずこれがうちの食堂の連中から。日持ちするように硬めに焼いてあるってさ」
「クッキーとスコーン!食堂の人達が焼いてくれたの?あ、ラッピングはメイドさん達?」
「当たり。ジャムもいくつかあるぜ」
「ブルーベリーとマーマレード?」
「と苺と杏」
「すごい!全部手作り?」
「レモネードも食堂の奴らが作ったやつだな。こっちのどでかい瓶は野郎どもから。ビオワイン用の葡萄で作ったジュースだってよ。あと市場の奴らから」

 そう言って出されたダンボールの中を覗くと、メロンやバナナ、パイナップル、リンゴにオレンジとフルーツが山盛り満載だった。しかも珍しい、

「柿と梨まで!」
「好きだろ」

 まるでなんでも出てくる魔法のカバンのように、次から次に出てきては机の上に並べられていく品々に泣きそうになった。全部私が好きなものばかりだ。口に出して言ってないはずのものもあるのに、どうして皆分かったんだろう。いつの間にそんなに私のことを、皆して見てくれていたのだろう。

「それと、手紙預かってきた」

 引っ張り出されたそれはリボンで括ってあって、机に乗せるとぐらぐらしそうな高さだった。一体誰が、何人が、わざわざ私に手紙なんて書いてくれたのか。まだ半月も経っていないのに、キャバッローネに居たのがもう昔の事のように感じてしまって恋しくなった。皆に会いたい。皆も、そうだと思っていいのだろうか。

「最後にこれが俺から」

 そう言ってふんわりと肩にかけてくれたのは、白に近い淡いクリーム色のブランケットだった。毛布と呼んでもいいくらい大きいのに驚くほど軽くて、ものすごく肌ざわりがいい。さりげなくタグを見ればやはりカシミヤ100%で作られた有名ブランドだった。こんな高級なものもらってしまっていいんだろうかと頭の片隅によぎったが、誘惑に負けてすりすりと頬ずりしてしまった。とても気持ちよくてあったかいと安心する反面、自分が凍えていたことすら気付いてなかったことに、気付いてしまった。じわじわと体があたたまると同時に、涙腺がまた緩んできてしまいそうになる。ブランケットに顔を埋めてぎゅっと強く目を閉じて押さえ込んだ。

「すっっっっごく嬉しい!めちゃくちゃ嬉しい!ありがとう、ディーノ」

 パッと顔を上げて、頬が高揚してしまったのは抑えきれなかったかもしれないけれど、ちゃんとした笑顔はディーノに向けれたと思う。途端にディーノが私の頭を抱えるように抱き締めてくるので、「ひ」と情けない声が出てしまったのは許してほしい。ああそれにしてもせっかくもらった花が潰れそう。

「…………いいか?いや、ダメだよな」

 と何やら頭上で小さくぶつぶつ言っているのはどうやら独り言みたいなので、聞き流してもよろしいでしょうか。聞くのが怖いのでそうさせていただきます。と現実逃避しているうちにディーノは比較的すぐに離れてくれた。ふぅ、と私の口からも彼の口からもため息が溢れて、少し笑ってしまった。

「やっぱり月華は白が似合うな」
「は、えっ……そう?」
「うん、かわいい」

 そんなことはじめて言われたので、おずおずと羽織ったブランケットを見下ろして改めて確認してしまった。ディーノからみた私は、こんなにやさしくてあたたかい色が似合う人に映っているのか。こんな綺麗な色に例えて選んでくれたのはとても嬉しいけど、少し恥ずかしくてむず痒い気持ちになった。ディーノも白が似合うと思う。いや、彼ならばどんな色を身に付けても似合ってしまうし、全部とても様になると思う。

「こんなに持ってくるの重かったでしょう?」
「いや全然これぐらい、リボーンの修行なんかに比べればな……」

 途端に遠い目をしだしたディーノに私自身も、数々の超スパルタ教育を思い出して乾いた笑いになってしまった。足に重りを括り付けられて素手だけで崖登りしたことを思い出した。あれで爪剥がれて拷問で何故爪を剥がすのか実感したなぁ。思い出すだけで辛い。痛い。きっと男のディーノはもっと厳しい修行をさせられているに違いない。

「皆にもありがとうって伝えておいてね」
「ああ言っとく」
「手紙の返事書いたら、皆に届けてくれる?」
「書くのは元気になってからな。ほら、見たら横になる約束だろ?」
「でも花、生けないと」

 そういって抱えていた花束を見せたら取り上げられてしまった。どうやらディーノがやってくれるらしいので棚の花瓶とバスルームにある洗面台を教えてお願いすることにした。とりあえずそのまま水につけておいて、明日朝になったらメイドに花切りバサミを持ってきてもらって綺麗にしよう。

「こら」

 待っている間、机に置かれた手紙の内容や誰からのものなのかがどうしても気になってうずうずしてしまい、ベッドから降りようとしている所を戻ってきたディーノに見つかって怒られてしまった。そのたった一言の威力たるや。

「月華」
「はいっ」
「約束は?」
「ごめんなさい……」

 でもでもだって、手紙の中身はまだ”見てない”し、と続けたかったが、迫力に圧されて大人しく言うことを聞くことにした。そっと促されて、ブランケットに包まり直し、布団も被って横になった。まるで子供を寝かしつけるように髪を梳くように頭を撫でてくれる手が心地よくて、目を閉じていると今度は瞼にやわらかい感触を感じた。驚いて目を見開くと、私に覆い被さるようにして今度は額に口付けが降ってくる。ぎしりとディーノの体重がかかって軋んだベッドの音に心臓が跳ね上がった。私に触れる事に遠慮や躊躇が一切なくなってないだろうか。距離を詰められて私ばかりそわそわどきどきしていて少し狡いなと思うけど、昨日のアレでは今更なのかもしれない。

 そう、昨日の、アレ。

 突然昨日のディーノ言動の数々が蘇って、一気に全身が沸騰したように熱くなったのを感じて、慌ててブランケットを顔の上まで引っ張り上げた。

「月華?」
「な、なんでも、ない」
「……いやか?」
「い、……え、ええと」

 もごもご喋ってたらブランケットを引き剥がされてしまったので、咄嗟にそのまま行き場を失った両手の甲で顔を覆ったが、耳や首まで死ぬほど熱いので多分赤くなってるのを隠しきれていない気がする。

「目を見て話したい」

 今、この状況で、それはとても、かなり、めちゃくちゃ反則だと思います。
 恥ずかしさとドキドキと緊張とあとよく分からない何かで固まったまま全く動けない私の手を、ディーノはゆっくりゆっくりと確かめるように片手ずつ指を絡めて、外していく。そっとベッドに縫い留めるように押さえられて、吐息が顔にかかって、堪らずぎゅっと強く目を瞑った。金縛りにあったように動けなかった。

「月華」
「……や、じゃない」

 ギリギリまで追い詰められて、胸が苦しくて、それだけの言葉を絞り出すのでいっぱいいっぱいだった。こんなに至近距離でディーノの低い声で囁かれて。あの綺麗なディーノの瞳でじっと見つめられてるのが、目を閉じていても分かっていたたまれない。のに、全然抵抗できない。私に触れる手が、あまりにもやさしくて。簡単に振りほどける筈なのに、逃げられる筈なのに、できない。

「キスしていいか?」
「も……もぅ、ん……っ!」

 もうとっくにあちこちしているでしょ、と言う台詞は、ディーノの口で塞がれてしまった。ただ唇同士が触れ合っただけなのに、ぶわりと全身を衝撃のような何かが駆け抜けていった。びくりと震えた私に、繋がれたままのディーノの手に少しだけ力が篭った。

「っは、……っ」

 一瞬だけ離れたと思ったら、すぐに戻ってきて甘く食まれた。何かを確かめるように、ゆっくりとやさしいやわらかなそれに、呼吸をするのを忘れていたらしい。しばらくしてそっとディーノの唇が離れて、肺が求めている通りに酸素を思い切り吸いたいけど、脇腹が痛い。

「大事な事を言い逃してた」

 かろうじて閉じたままだった私の瞼に抗議するように、促すように、ディーノの手が私の頬を撫でている。何度も繰り返されるそれがふいに耳を掠めてひくりと震えてしまった。なかなか呼吸が整わなくて胸が苦しい。昨日あれだけの事がたくさんあって、まだ何かあるのか。なんとかゆるゆると瞼を持ち上げて、後悔した。

「月華、好きだ」

 鼻先がふれるほどの距離で放たれた言葉と同時に、その余りにもあまくて熱い、深くひたむきな瞳に射抜かれて、完全に捕らわれて目が離せなくなってしまった。分かっていた。昨日からずっと、これほどまでに、あまりにもまっすぐに向けられたそれに。私や周りに対する言葉や行動、表情や仕草、その何もかも全てに。彼の覚悟をもう知っていた。

「完全に、順番間違えたな」

 ええ全く、仰る通りです。ふいにくしゃりと笑った彼の熱烈な視線からやっと解放されて、呼吸というのは吸ったら吐き出さなくてはいけないというのを思い出した。熱が上がった気がする。ディーノのせいだ。ゆるゆると息を吐きながらぐったりと枕に沈み込んだら、疲れた私に気付いたらしいディーノが慌てて起き上がってブランケットと布団をかけ直してくれた。

「おやすみ。また明日」
「明日も来るの?」
「ああ。まだ山ほどあるからな、街とファミリーの連中からの見舞い品」
「そんなにたくさん、処理しきれるかな……」
「そん時はそん時だ。」
「忙しくない?」
「全然、全く、忙しくない」

 きっぱりと、ここまではっきり言われてしまうと、来なくていいとも言いづらくなってしまった。そして何より、すでに楽しみにしてしまっている自分がいる。しかし二度三度と私の髪を撫でたディーノが、扉ではなく来た道を行こうとしていることに気付いて、慌ててその服の裾を掴んで引き止めた。

「また窓から帰るの!?」
「……俺は正面から堂々と帰ってもいいんだけどな。ただ、夜更けに月華の部屋から俺が出てきたなんて知れたら、あいつ……今度は月華を地下室とか檻にでも監禁するんじゃねぇか?」

 振り返ったディーノのぎらりと光る瞳の鋭さに、思わずすぐに手を離してしまった。一体本当に、私が知らない所で何があったんでしょうか。聞きたいけど知るのが怖くなってきた。とりあえず口喧嘩でもしたのだろうか。……してそうだ。

「ごめんね」
「なんで月華が謝るんだよ」
「あんなのでも一応、うちのファミリーなので」
「…………」

 どうやら言葉を間違えた、らしい。わかりやすいくらいにむすっとしてしまったディーノにどうしたものかと途方にくれてしまった。ので、再びガバリと私に覆い被さったディーノに、咄嗟に顔を腕でガードしてしまったのは許してほしい。更に怒っているのは雰囲気でわかる。

「ぜってーいつか、本当に浚ってくかんな」
「っい……っ!」

 がぶり、と手首に噛み付かれた。そんなに強くない力で痛くはないが、硬い歯が皮膚に当たる感触に思わず更に身構えてしまった。のにその噛み跡をぬるりとしたものが這うので、もう限界だとディーノの口を両手で塞いで押し返した。

「わ、かった……っ!わかった!から!」

 これ以上は無理。絶対無理。心臓が破裂するのが早いのか、呼吸困難になって倒れるのが早いか。そんなことを真剣に悩んでしまった。美しい人に凄まれるのは本当に心臓に悪い。そしてその迫力に圧倒されて怖さすら覚える。

「何がわかったんだ?」
「うぅ……」
「月華」
「ディーノの、気持ち、が……わかった」

 ただ名前を呼ばれるだけで、落ち着かなくさせられてしまう人。何度この瞳に、声に、手に、絆されればいいんだろうか。どんな言葉で例えても足りない、どんなものも彼には敵わない。そんな、何もかも全てがあまりにも美しすぎる人。しかも、その熱が、私に向けられている、だなんて。考えただけでくらくらとしてきてしまった。甘い甘いめまいが。

「ん、ならいい。……とりあえず、な」
「!!」

 強調されるとりあえずに、とりあえずよかったと思い直して、もう何も考えまいと言いきかせ、もう考えることを全て放棄して、とにかく私の手を掴むディーノの手を遠ざけようとぐいぐいと押して遠ざけた。

「おやすみなさい、ディーノ。気を付けて帰ってね」
「ああ、おやすみ月華」

 一瞬緩んだ力にぐらついた私に、不意打ちにまた頬に触れるだけのキスをしてから、ディーノは空のリュックを手に軽々と窓から飛び降り、帰って行った。なかなか上がってしまった動悸と身体中の熱の治らずに、永遠とそわそわし続ける私だけが残された。それでも包まったブランケットからは、どうしても出ることができなかった。

(23.04.20)


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