Gatto nero | ナノ

011


本当は会いたくて仕方なかった。
彼等の作る町を見たかった。
愛された人々を見たかった。
そうすることで
救われる気がしたから。
許される気がしたから。
















どろどろになるまで疲れて寝ると、いつも必ず同じ夢を見た。昔の夢、小さい頃の夢。あるいは最近の。
必ず出てくるのは血の色。死んだ目をした子供。
悪夢から覚めようと何度ももがいて、ようやく無理矢理目を開いた。 反射的に上体を起こそうとしてからやっと全身の傷の痛みを思い出す。耐え切れず倒れ込んでベッドに逆戻りした。 豪奢な作りのベッドは私の体重をいともたやすく飲み込んで軋みもしなければたわみもしない。


「…くっ、」


胸を締め付けれられる感覚がすぐに激しい痛みに変わった。
これも副作用だろうかとぼんやり考えながら、波のように襲う呼吸すら許さないようなそれに耐えた。 ひたすら息を詰まらせて身体を硬直させることしかできず、そうしてやり過ごしていく毎に呼吸は不規則になっていく。 荒くなったそれを抑えようと何度も呼吸を繰り返し、深く息をしようとしても痛みに強張った身体は思うように動いてくれない。
息苦しさから胸元を掻き毟る様に服を握りしめた。
熱が高いのか、皮膚の感覚が鋭敏になっていて衣擦れだけでも痛みを伴った。

喉が渇き切っていてベッド脇の水差しに手を伸ばしたが、もう片方の腕が身体を支えきれずずるりと落ちた。
膝の感覚がない代わりに全身の打撲や切り傷擦り傷が嫌に気になる。
もう一度起き上がろうとして手をついたらふいにずるりと滑った。ベッドの淵に体重をかけていた所為で、そのままシーツと一緒にベッド下の床へと滑り落ちた。シーツを巻き込んでずり落ちた形だったので衝撃はあまりなかったが、身体が床に着いた瞬間身体はそれを痛みと受け取った。


「………なさけない」


たった数日寝ていただけで体力の低下が酷くて、それは筋力も同じで自分の体重ですら支えることができなくなっている。
起き上がろうとして水差しが置いてある台に掴まろうとしたら、手が当たったのかコップが転がり落ちた。
がしゃんと派手な音がして、ガラスのそれは見事に砕けてしまった。


「ああもう…!」


自分の身体を満足に動かせないことがこんなに苦痛でこんなにもどかしい事だと思わなかった。
どうせ動けないのだからこのまま寝てしまえ。起きたらもしかしたら少しくらい動けるかもしれない。そう半ば自棄になって上げていた手と首を床に落とした瞬間、突然部屋の扉が開いた。
突然の来客に驚いて視線をそちらにやると、扉の前にはつい先日知り合いになった人物だった。


「っ大丈夫か!?」


そういって駆け寄ってきて肩に触れる温かい手でも、信じるのが怖いと思う。
染み付いた警戒心が安心するのを許してくれない。意識してるのではなく身体が脳が勝手に警告を出す。したくもないのに全ての外界からの刺激に身構える。そんな自分にどうしようもなく情けない気分になった。大丈夫だと分かってるのに、安心していいと何度も言い聞かせないと身体は常に緊張してる。自分ではどうしようもない。それはもうすでに習慣化してるものだ。


「…どうしてここに?」
「廊下歩いてたらここから大きな音が聞こえたんだ。てっきりまた何かあったんじゃないかって…」
「はは、ベッドから落ちただけだよ。…本当に何から何まで騒がせて申し訳ない」


私がこの屋敷に来てからろくな事はない。
私が、黒猫がここに居る事によって部下達の信義が揺らいで結束は乱れ、その隙を突いたかのように敵が敷地内に侵入した。それも私を追って来ての事。
リボーンもディーノ自身も何も言わないがきっと被害は出ているだろう。広大な屋敷の、しかもマフィアの本拠地である建物の門扉に警備の人間がいなかった筈がない。そして敵に踏み込まれたということは少なくとも警備の人間は無事ではない。


   まるで疫病神だ。

昔、誰かが言っていたのを思い出した。
親族だったか、赤の他人だったか、あるいは自分の言葉だったか、それともその全てか。


「いや、騒ぎには慣れてる。なんせ常日頃側にいる家庭教師がアレだからな。リボーンの無茶苦茶な性格は知ってるだろ?」
「自分が楽しむためには手段を選ばない性格」
「そうそう。教え子で遊ぶとか、ひでー奴だよな」


2人で内緒話でもするように笑った。
差し出された手を一瞬戸惑いつつ取った。力強いそれに縋って何とか立ち上がり、再びベッドに戻ったが寝ずに座った。人前で横になるのは何となく躊躇われる気がした。枕をクッションに凭れると少し楽になった。
割れたグラスまで片付けようとする彼を慌てて制したが、「いいから」という一言で逆にこちらが困ってしまった。
…仮にも一ファミリーのボスにこんなことさせたいいのだろうか。


「ありがとう。ちょっと力が抜けちゃって」
「いや…何もなくて良かった」


表情がコロコロ変わる彼はやはりボスと呼ぶにはあまりにかけ離れた人物だった。
けれどそれが逆に面白かった。まるっきり彼の父親と同じで。
否、それがキャバッローネの特徴といってもいいのかもしれない。


「それで、外の方の様子はどう?」
「それが…消えたみたいだ」
「消えた?」
「ああ、外で張ってた敵全員な。ファミリーの連中に外も探らせたんだが…この町にももういないらしい」
「……」


やはり何かがおかしい。ファミリーをつぶされた人間がそんな簡単に諦めるだろうか、その敵の居場所まで突き止めたというのに。
そして以前も同じことがなかっただろうか。私が気を失う直前に。


「暫くは町中様子見とくから安心して休んでくれ」
「ありがとう。でも…」
「不安か?」
「ううんそうじゃなくて…おかしいと思わない?せっかく居場所まで突き止めたのにここで手を引くなんて」
「…機会を狙ってるんじゃないか?」
「うん…」


感情的に私を追っていた、しかもアジトから離れていた下っ端の残党がそんなこと考えるだろうか。
しかも今回だけならともかく、ディーノの言う絶好の機会に彼らは姿を消さなかったか。


「そう、だといいかな」


忙しいのだろう、ちらりと扉を見やったディーノに退室の意を汲み取ったが、開きかけた彼の口をいつの間にか自分の言葉でさえぎっていた。


「ねぇディーノ。少しでいいから何か話をしない?」
「…体調は大丈夫か?」
「喋ってる方が気が紛れるから」


何をしてるんだ私は。思うよりも先に口が言葉を発していた。
立ったままもなんだからと窓際に置いてあった椅子を指指すと、ディーノは大人しくそれを持ってきて座った。
自分で言っておきながら何を話そうか悩む。共通の話題はいくつかある。彼の父の事、リボーンの事、キャバッローネの事。
初めて会った人間と同じ人物の記憶を共有しているのは、なんだか嬉しいようなむずがゆいような不思議な気分だ。


「…ずっと、ゆっくり話をしてみたいと思ってた」
「ずっと?」
「前に九代目から貴方の話を色々聞いてたから」
「親父から…?」
「そう、会うたびに息子の自慢話ばっかり」


少なくとも私にはそう聞こえた。
息子の愚痴を言っている筈なのに、あまりに楽しそうに嬉しそうに息子のことを語るのだ。
いつも深い愛情がその言葉に見え隠れしていた。恐らく皮肉めいた言葉は照れ隠しだったのだろう。
何か有事があっても同盟ファミリーの救援の申し出を断るほどの頑固者だったから、溺愛してるだなんて思われたくなかったのかもしれない。(家族愛の強いことが彼のいい所だったというのに)
親馬鹿な彼を思い出して思わず笑みが零れた。
私の思い出話にディーノが照れたように頬を掻いて、その手の甲の刺青が露わになる。
それは九代目の腕にあったものと同じものに見えた。


「ねぇそのタトゥーって…九代目と同じ?」
「ああ、ボスに代々受け継がれるものなんだ」


ディーノはそう言って腕を捲って見せてくれる。それをじっくり見るのは初めてだった。
一番に目に入るのはやはり跳ね馬のタトゥーだ。その頭上に輝く太陽、足元の有刺鉄線、青と黒のコントラストは炎か水と硝煙のようにも見える。
触ってもいい?と聞いたら頷いたので、神聖なものを触る気分で馬の彫られた部分に触れてみた。 刺青というものは不思議な感じがする。 肌の色が違うから違う感覚で触れていたけれど、実際触れた腕は手と同じようにあたたかかった。
あんまりベタベタ触っちゃいけない気がして、すぐに手を離した。


「ありがとう」
「ああ。」


否、不思議な感じがするのはタトゥーだけなんかじゃない。
彼が袖を戻すのを見るともなしに眺めて思った。
改めてキャバッローネを見て、十代目を見て、奇妙な違和感を感じた。 ファミリーが相変わらず、何も変わらずそこにいるのに、ボスだけが違う人間だということ。
逆に言えば、ボスが変わったというのに、それ以外のものは九代目の時と何ひとつ変わっていない同一のものばかりだ。 先代と現在のボスが親子ということもあるのかもしれないが、統治者が変わるのならば多少なりとも他のものだって変わるのが必然ではないのだろうか。
否、久しぶりに懐かしい場所に来たというのにどことなく人が余所余所しいのはボスが代変わりしたからなのかもしれない。

ひとつわかったのは、彼は先代と違ってそこまで自己主張しない性格だということだろうか。
会うたびにおいきいてくれよと話しかけてきた九代目とは違って、彼は静かに穏やかな瞳で私の話を聴いている。
否、私と同じように彼も緊張しているのかもしれない。なぜかわからないけれど、彼と話していると独特な違和感と気恥ずかしさがある。
今まで九代目の息子とかリボーンの現生徒ということで親近感があったけれど、彼自身のことは何も知らないからだろうか。


「おーいボスー」
「っかしいな、何処行ったんだ?」


ふと開いた窓の外から聞こえてきた声と足音に、ディーノはぎくりと肩を竦ませた。
その声が彼を探しているものだと分かると、見る見るうちに顔を青くさせていった。


「やべ、ここにいるってバレたらあいつらに何言われるか…」


気まずげに呟いて彼は慌てた様子で立ち上がった。
確かにこんな夜中に男女が二人っきりでいることは、やましいことなどなくても人に知られたくないと思うのが普通だ。
変な誤解をされかねない。
バタバタと扉に向かった彼が思い出したようにこちらを振り返った。


「それじゃあ、おやすみ」
「うんおやすみなさい」


ぱたりと閉まったドアに一気に力が抜けるのがわかった。慣れない人といるのは疲れる。
別に彼が苦手なわけじゃない。むしろ好感を持っている方なのだけれど、そう簡単に生き方や考え方が変わる筈もない。
体の反応一つ一つにまで染み付いた反射神経みたいな警戒心。
全ての出来事に身構えていれば対応できる。油断しなければいい。この世界ではそうやって生きて行く事が正しいのだと思っていた。けれど、残るのはいつだって相手を信じない自分に対する嫌悪感と罪悪感だけだ。誰だって悪い人じゃないことはわかってる。けれど心からの善人なんてこの世には存在しない。傷つく前に傷つける。それが一番苦しまない生き方。そしてそう思っている自分が何よりも愚かな人間なんだと、あの新しいボスを見ていると思い知らされるみたいだった。


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