ブルーベリーにはちみつを | ナノ

ほしいものにあと少し届かない
「紫乃ちゃん!」

 確かに昨日、またねとは言っていたけど本当に、しかもこんなに早く来るとは思わなかった。にっこり笑顔の彼は確かに、一般的に見ればかっこいい部類の人だと思う。けど残念ながら私の好みとは何もかも正反対だ。バスケ部の古賀さんとやらはやっぱり暇人らしい。またもや授業後の渡り廊下で待ち伏せをしていた。部活しなくていいのか。

「何でしょう?」
「昨日、話し足りなかったからさ」
「え、ちょっ、と……っ!」
「あっちで話そうよ」

 ちらりと渡り廊下の扉を見た彼は私の腕を掴んで、どこかへ引っ張って行こうとする。ので全力で、抗ったのだけど全然敵わない。掴まれた二の腕も痛かったけど、踏ん張ろうと力んでしまった膝がズキンと強く痛んで、思わずふらついてしまった。

「おっ、と」
「っ……!!」

 タタラを踏んだ先に待ち構えるようにいた彼の胸に、飛び込むように思い切りぶつかってしまった。あまりにも強すぎる香水の匂いがしてめまいがしそうだった。その匂いも、ひょろりと長い身長や顔も、そのじっとりとした視線も、何もかも好みじゃない。むしろ嫌いだ。何故ならだって彼は先輩じゃない。

「意外と積極的?」
「っち、ちがっ……!!」

 そんなわけがあるか!背中に回った両腕が気持ち悪くて、とにかく距離を置きたくて腕を突っぱねたのに、全然離れていかない。それどころか手がなぞるようにねっとり私の背中を撫でるので、あまりのおぞましさに吐き気すらしてきた。いつも頭を撫でたり肩を叩いてくれる先輩の優しい手と何もかもが違う。気持ち悪い。

「いいじゃん。彼氏いないんでしょ?」
「好きな人いるので!!離して!!」

 このハプニングが先輩だったら嬉しいのに、よりにもよって何でこの人なんだ。いや、そもそも先輩はこんなに力づくで容赦なく人を抑えつけたりしない。何もかもが違う。なんでこの人に、こんなことされないといけないんだろう。まだ出会って2日目の人に。なんでこんなにずけずけと、平気で人に触れるんだろう。だんだん腹が立ってきた。

「顔赤いけど、照れてるの?」
「違う!!」

 私は怒ってるんだこの分からず屋ナルシストめ!!さっきから話も通じない!!あちこち痛いし、気持ち悪いし!!全然全くこれっぽっちも!!好意も、ときめきも、そもそも興味も感じない!!のでただただ不快で気持ち悪い!!世の女の子が全員自分に一目惚れしてるとでも思ってるのか!!なんておめでたい頭なんだと褒め称えたい!!なのに無理矢理顎を掴まれて、視線を合わせられた。今度こそはっきりと、ぞわりと全身鳥肌がたった。

「いやっ!!」

 身を捩ってなんとか逃れようと暴れているのに、なぜ腰を引き寄せるんだ!とにかくこの人のする行動全部がイタい。そして痛い。力加減というものを知らないのか。腹も立つし、なんだか話が通じなさすぎて泣きたくなってきた。人の言う事聞いてくれないタイプだ。気持ち悪い。とにかく気持ち悪い。全部気持ち悪い。もう気持ち悪いしか考えられなくなってきた。

「おい、一年」
「!!」

 地の這うようなその声は、聞き覚えがある。ものすごくある。むしろ聞きたかったし恋しかったはずなのに、強烈に恐ろしくて冷たいものが漂ってこなかっただろうか。

「嫌がってるだろ、離せよ」

 途端にぱっとあっけなく離された腕に、下がろうとしていた足がもつれて思わず地面に尻餅をついてしまった。足が動かない。膝が、めちゃくちゃ痛い。ぶわりと嫌な汗が吹き出した。痛くて伸ばせない。何度も経験がある。ロッキングだ。

「紫乃!」

 そう駆け寄ってきてくれたその人に、古賀さんは「ヒィ!」と言いながら脱兎の如く逃げ出していた。さすがバスケ部、足は速いらしい。足は足でも逃げ足だけど。あっという間に見えなくなってしまった。確かにあの声は私に向けられたものじゃないと分かってても、結構というかかなり怖くて凍り付きそうだった。っていうか凍り付いた。

「大丈夫か!?」

 よりにもよって?これ幸いに?駆け寄って来て、私を覗き混んだのは孝支先輩その人だった。先輩、あんな声も出せるんだ、となんだか変な方向に感心してしまった。











 体育館へ向かう途中、馴染みのある声が飛び込んで来て、思わず俺は足を止めた。

「好きな人いるので!!」

 その言葉一つでドクン、と心臓が跳ね上がったのが分かって、その場に立ち竦んでしまった。俺がその声を間違えるはずがない。子供の時から家族同然に過ごして聞いてきた声だ。そして、分かってたはずだ。分かっていたはずなのに、不意打ちで本人の口から聞いてしまうのは、あまりにも衝撃がデカかった。

「離して!!」

 紫乃の切羽詰まった悲鳴のようなそれに、ハッと弾かれたように声のする方へ慌てて走り出した。紫乃のあんな声、はじめて聞いた。一体何してるんだ。何されてんだ。

「顔赤いけど、照れてるの?」
「違う!!」

 いやいや、紫乃が離せって言ってるだろ。なんでそういう受け取り方になるんだ。紫乃は本気でキレてる時にも顔が赤くなるんだよ。そんなことも知らない奴が気安く紫乃に話しかけんな。

「いやっ!!」
「おい、一年」

 昨日と同じ体育館横の裏庭で、男に抱き込まれている紫乃が必死に逃れようともがいていた。今にキスでもしそうなその密着度愛に、早鐘を打っていた心臓が、沸騰しそうだった血液が、一気に冷え込んでいくのが分かった。

「嫌がってるだろ、離せよ」

 そいつが命令通りにすぐ手を離してほっとした途端、紫乃が崩れるように地面に倒れ込んだ。膝をおさえていて、明らかに痛めてしまったのだと分かるのに、その野郎は事もあろうに紫乃を放って逃げ出しやがった。マジで次来たらぜってぇ許さねぇ。締める。

「紫乃!大丈夫か!?」
「っだ、……だいじょうぶ、です」

 駆け寄っても紫乃は動かない。立ち上がれないのかと焦っていると、紫乃が歯を食いしばりながら、小刻みに震えている自分の膝を掴んで捻った。多分だけど、どうやら外れた膝の、恐らく関節を自分で無理矢理戻したらしい。

「いったぁ……っ!!」
「!!」

 かくんと揺れた膝とスカートの裾に、慌てて目を逸らす。めちゃくちゃ痛そうだけど、俺的には紫乃の姿がそれどころじゃない。かろうじて下着は見えなかったけど、一瞬だけ見てしまったそのあまりにも綺麗な白い脚を、しっかりと目に焼き付けてしまったのは許してほしい。俺も健全な男なので。

「あ、もう大丈夫です。これ、ロッキング、て言ってよくあるので」
「よくある!?」
「戻しちゃえばもう全く痛くないです」

 笑顔で額の汗を手で拭う紫乃に絶対めちゃくちゃ痛いだろ、とやっぱりさっきの奴を締める前に、全力で呪いの念を送る方に全力を尽くそうと心に決めた。紫乃はおもむろに立ち上がって、確かめるように何度か膝を曲げ伸ばししている。本当に痛みは治まったらしい。とりあえずはよかったと息を吐いた。

「他に怪我は?」
「ないですありがとうございます」
「あいつ、昨日言ってた奴?」
「……はい、」

 俺がそう聞いた途端、紫乃はあからさまに嫌そうに顔をしかめた。紫乃がこんなに負の感情を露わにするのは珍しいなと苦笑してしまった。いつも笑顔で、ニコニコしていて、そうやって嫌なものや辛いもの、全部胸の内に溜め込んで覆い隠してしまう。それこそ、俺にだってこんな大きな怪我を黙っていたように。

「あんなに好かれてるなら、試しにでも付き合ってみればよかったのに」

 俺は一体、何を言っているんだ。そう気付いた頃にはもう、口から飛び出してしまった後だった。紫乃に拒絶されるあいつを自分に重ねて、明日は我が身のように感じてしまって。いつの間にかムカつくはずの男の肩を持っていた。へらり、誤魔化すように笑って見せると、驚きに見開かれていた目が険しくなって、キッと俺を睨み付けた。

「じゃあ先輩は、私が”試しに”付き合ってくださいって言ったら、付き合ってくれるんですか」
「……ごめん、」

 そうだよな当たり前だよな、付き合うのはちゃんと自分が好きな奴とがいいよな。そう続けようとする前に、紫乃はもう、俺に背を向けてしまっていた。あからさまなその態度は、俺が何よりも畏れていたそれだった。

「もういいです」
「っ今のは、そういう意味じゃなくて!」
「スガ先輩。今日私、用事があるので一緒に帰れないです」

 突き付けられた明らかな拒絶の言葉に、引き止めようとした手は空を切った。その声音に、紫乃は泣く前も頬が赤くなるのを思い出したけど、気付いた頃にはもう遅かった。そのまま行ってしまう紫乃を、追いかけられる言葉が出せなかった。

 怒らせて、そして傷付けた。

 いつも喧嘩した時でも、いつだってなんども紫乃は真っ直ぐにぶつかって来てくれていた。こんな風に避けられるのは珍しくて、どうしたらいいのか分からなくなった。紫乃ならそうしてくれると、紫乃に甘えていた。そして俺は、踏み出すことが、そして踏み込むことが怖かった。そうしてしまうことで、紫乃自身を失う事が、何よりも怖かった。

「あー……クソ、かっこ悪りぃ……」

 紫乃が何かにムキになったり、感情を剥き出しにして怒るのは俺だけにだと思っていた。そう、自惚れていた。そして俺が何年も躊躇っている境界線を軽々しく呆気なく飛び越える、あんな奴に嫉妬した。だから思わずあんな事を言ってしまった。完全に八つ当たりだ。思わず頭を抱えて呟いた俺の独り言を知ってか知らずか、ちょうどやって来た大地が「おース」と言いながら後頭部をはたいた。今はそれが少し、有り難かった。



(ロッキングは関節が外れる訳じゃないので先輩の勘違いです。でもどっちみち超痛い。)

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