「恭也、おかえり」
「名前?」

彼は、目の前にいる私の姿に驚いているようだ。
それもそうか、この道は私たちの家から少し離れている。
私の背後に見える町並みのどこかに、それぞれの家があると思うと、少し嬉しかった。

夕暮れがやって来る。
蝉の声はおとなしくなって、もう遠くにしか聞こえない。
ひぐらしがなくにはまだ少し早いから、きっと夜になって鈴虫が音色を奏で始める頃まではもうしばらく静かなのだろう。

「なにやってんの、こんなところで」

彼の声は、心なしか少し弾んでいる。
暗くなる前に急いで帰ったきたせいか、私が突然現れたせいか。
できれば後者ならいいのに、なんて希望を捨てられない。

「恭也を迎えに来たの」

最近よく出かけてるみたいだから。
とわざとらしくぼかして口にすると、彼の方もそれ以上のことは言わなかった。

「ごめんな、寒くなかった?」

季節は八月に入ったばかりだが、今日はなんだか日が傾いてから急に気温が下がったみたいだ。
嫌な蒸し暑さはない。
街から少し離れているせいか、多少肌寒くもあった。

「ん。着なよ」

私の隣でマウンテンバイクから降りた彼は、薄着な私を心配したのか、自分の上着を私の肩にかける。
ふわりと、草木の匂いに混ざって、恭也の香りが鼻をくすぐった。

「ありがと。ちょっと汗臭いけど我慢する」
「ごめんって」

本気で傷付いた様子もなく彼は私の頭をぽんと叩く。
いつもの言葉のじゃれあい。
私はそれだけで満足。

私が来た半袖の上着から恭也の匂いを奪っていくかのように、優しい風が頬を通りすぎる。
その匂いを忘れないように、私は隣で自転車を押して歩く恭也に一歩だけ寄る。
決して気づかれないように。

「今日の晩飯何かなー」
「さっき恭也んちにもよってきた。カレーだって」
「うわー定番!」

でもなんか今日カレーの気分だったんだよなー、と少し歩調がリズミカルになる。
本当に、お子様なんだから。
そんな話をしていたら、あの街のどこかから本当にカレーの匂いがしてくるような気がして、私は大きく深呼吸をした。
香るのは、全部恭也だけだ。

アスファルトの地面を見つめながら、車も通らないような細い道を歩く。
時々、遠くで電車の走る音が聞こえるくらいだ。

「夏休み、あと半分位?」
「んー日数的にはそうかも。でも多分すぐ終わっちゃうね」
「そうだな」

私と同じ会話をしている彼の頭の中には、きっと私の知らない人のことがあるんだろうなぁと、気づいていた。
女の勘はとても鋭いのです。
それにしても恭也が鈍感すぎるのが良くないんだけれど。

夏休みのはじめ、どっかのオカルトサイトに載ってた面白そうな場所を探しに出かけて行って、それからたまにそのあたりに通ってるみたい。
そんな怖い場所じゃなかったって恭也はいってたけど、私にとってはそういう問題じゃないんだよね。
なんか、その場所に行ったら負けっていうか、そんな感じ。

ああきっとこれは、恭也の心をつかむような何かがそこにあったって事なんだろう。
夏休みは毎年二人で暇してたのに、今年はその回数も減っているような気がする。
私だってほかの予定がないわけじゃない、けど。でも、その暇な時間がわりと大事だったのも事実なので。

「なんか名前、今日元気ないな?」
「・・・そう?」

暗いから、顔まで暗く見えるだけでしょー。
そうわざとワントーン高い声を出して、恭也の脇腹に肘鉄を入れる。

「いって」
「ふふふ、体ががら空きだよ恭也くん?」
「お前、俺が両手使えないからって調子に乗ってるな?」

頑張れば自転車くらい片手で押せるんだぞ!ほらみろ!
と子供みたいに自慢げに片手押しを見せつけてくる恭也の表情に、今度は自然と笑い声が漏れた。

恭弥とは、このままが一番いいと思った。
進展も、発展もしなくていい。
今のまま、このままの二人を切り取って、どこかに保存できていたら私はそれで満足だ。

本当に、カレーの匂いがどこからか漂ってきた。
気がつけば、私たちの街はもうすぐそこだ。きっと付近の家でも同じようにカレーが出来上がっていってるのだろう。
両脇に畑の多いこの道から住宅街へとつながって、その先はもっと・・・。
だんだんと街の中心に近づいていることが、少し残念だった。
ふたりだけの時間が終わってしまうから。

「ねえ恭也」
「ん?」
「明日は暇?」
「そうだなー、今んとこ暇かな」

その言葉に、ほっとしている私を悟られてはいけない。

「じゃあこの間買ったゲーム、やろうよ」
「あー!そういえばそうだった!うっし、やるか」

本当に、何も分かってなんだから。
私だってもうすぐ、子供みたいな趣味から卒業する年なんだけどなぁ。
それがいつまでたってもできないのは、自分のせいだって、彼は一生気づくことはないだろう。

街の向こうに、夕日が沈んでいく。
家の窓から漏れる明かりが、綺麗に光を溢れさせる。

私の知らない恭也が増えていく。
あの明かりたちのように、どんどんと数をまして、綺麗になりながら。

その場所はきっと、ここよりもずっと暖かいのだろう。






20140520

あえか

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