「うっわぁ・・・」

気温も相まってか、嫌な汗が流れる。
私はたった今二度見した時計を再び凝視した。
8時50分。完全に遅刻だ。

網戸のままのベランダから、セミたちがこれでもかというくらい大合唱を聞かせてくれる。
太陽の位置から言って、この時計は正しい時間を刻んでいるようだ。

社会人にもなって寝坊はいわゆる無断欠勤ともいえるのでは?
医院の朝出が9時だから、普段であれば8時には起きているのだけど、
これは今からどうあがいても今から数百年後に開発されるタイムマシンを待っていたのでは間に合わない。
突然世の中の時計全部がぶっ壊れる事件とかないかなぁ・・・。

五分ほど放心していただろうか。
ふと、院長先生のとさかにきた顔を想像して、反射的に布団から飛び起きる。遅い。
超行きたくないいいいいい!!!!!
引きこもりてええええええええええええええ!!!

「・・・行くかあぁ・・・」

いい年こいて寝坊という理由はないよなぁ。
なにかほかにいい理由ないかなぁ。
道端で妊婦さんが臨月を迎えていたので病院まで連れて行ってあげましたとか。

「って、私が今から行くんだよ!病院に!」

一人ツッコミは、素早い着替えを行いながら済ませた。
化粧と髪の毛はこの際今はすっ飛ばして、病院でやろう。
とりあえず早くつくことが先決だ。

適当な上着をハンガーからひったくって、走りやすいスニーカーを足に引っ掛けた。
通勤(ダッシュ)しながら病院に連絡を取ろうと思ったのだが、こんな時に限って携帯電話は電池切れだった。
電池が回復するまで待つより、おそらく走ったほうが早いだろう。

(これが踏んだり蹴ったりか・・・)

玄関を出ると、エアコンもなにもついていない部屋の中よりは幾分涼しい風が通りすぎる。
ここから勤務先の病院までは、走って10分くらい。
毎朝ギリギリの出勤で、よく走っているから足に自信はある。
いやでも、さすがに全力ダッシュは経験ないなぁ。病院で汗だくの看護婦さんが診察してくるってどうなの。
やっぱダメなんじゃないかな?

と思いながらも、足は自然と駆け足になる。
思い切り疲れない程度ならどうってことはない。

そうか、今の時期は夏休みだった。
周囲の家からの子供の声を通り過ぎざまに聴きながら、セミの五月蝿さにも納得した。
空が、とても高く、青い。

しばらく体育会系の素晴らしい身体能力を駆使していると、前方にひときわ目立つ白い建物。
腕時計を確認すると、9時10分。
まだ、ギリギリいけるか!?もう遅刻は確定したけど!

病院の正面玄関を通り過ぎて、日陰になっている裏口に回る。
ふと、少し向こうにある日当たりのいい庭に、目立つものを見つけて立ち止まった。
こんなことをしている場合では、ないのだけど。

「先生!」
「・・・名前?」

思わず呼び止めてから、しまったとおもった。
普段ならまだしも、今日の私は遅刻犯だった。
しかしもうバッチリ視線もあってるし、どうしようもない。
このまま無視して出勤するわけにもいかないし、一言謝って急いで中に入ろう。

小走りで先生のところに向かう。
先生は何をするでもなく、私を待っていた。

「先生?こんなところでなにしてるんですか?」
「いや、少し・・・でかくなったなと思って」

先生は、まぶしそうにさっきまで見ていたものを再び見上げる。
私も釣られて、視線を追った。
それはとても大きな花で。
特に珍しい花ではなかったけれど、確かに一段と大きく成長したものだ。

「んん・・・ダリア?」
「だな」

どうにかひねり出した花の名前は、どうやらあっているようだった。
牡丹の花と、少し悩んだ。

「こんなに大きくなるものなんですか」
「運が良かったんじゃないか。きっとほかの花の養分まで奪ったな」

またそういう夢のないことを言うんだから。
ちょっと口を尖らせて先生と見上げると、反して彼はとても楽しそうだった。
表情はそんなに変わっていないけど、なんというか、雰囲気が。

「先生より高いですね」
「ふん、たかが植物だ」
「ふふ、負け惜しみですか?」

たまには、私のほうが先生をからかったりしてみるのも悪くないんじゃないか?
なんて笑ってしまった。

「・・・・・・」
「わっ」

不意に先生の手が頭に押し付けられるのがわかった。ぎゅうっと。
いたいいたい、ていうか私今汗かいてるかもしれないから、そんなに触らないで欲しい。

「そういうお前は相変わらず小さいな?」

(宮田先生にしては)満面の笑みで私を見下ろしながら、二度三度と手に力を込められる。
うわあめっちゃ笑顔が黒いんですけど!

「普通です普通!その子が大きすぎるんです!」

私は責任を押し付けるように、その赤い頭を懸命に支えている花を指差す。

「ダリアは自分の頭が重すぎてなかなか自力では大きくならないんだ」
「へえ」
「まるでどっかの誰かみたいだな?」

そう言いながら彼は、自分の腕についている時計を私の前に差し出す。
9時20分。

「わああああああああ!?」

そうだった!
おしゃべりに夢中になっている場合じゃない!
宮田先生はここでぼーっとしているかもしれないが、看護師の仕事は雑用から何からいろいろあるのだから!
今日は確か美奈との出勤だったはずだ。

背後でがたんと音がして、ちょうど皆が裏口から選択したタオルなんかを日向に干しに行くところだった。

「やっば・・・先生、またあとで!」
「遅刻の反省文。400字でな」
「ううう・・・」

それがふざけて言っているのか本気なのかわからない、けれど今日の私は、医院のみんなに頭が上がらないのだから。

「お昼ご飯を抜きにして頑張ります・・・」
「ああ、遅れるなよ」

さっきまでの清々しさとは打って変わって、にやりと意地の悪い笑みを浮かべるのは、いつもの宮田先生だった。
情けない顔で一礼して、急いで中に走る。
医院の中は、適度にクーラーが効いて涼しい。

それにしても、わざわざあのめんどくさがりな宮田先生が外に行くなんて。
暑いだなんだと言ってなかなか外出もしないのに。

本当に今日はいろんなことが重なる。
こんな日もあるものだと、ひとり小さく笑った。







20140520

ダリア

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