06 誤解は避けられない
「ふあ……」
「じゃあ、また来週♪」
「!?」

 沖矢さんが工藤邸に住み始めて1週間が過ぎた頃のことだった。
 朝目を覚ました時、女の人の声がドア越しに聞こえ、寝ぼけ眼が一気に開眼した。まさか朝から不審者――そう頭に浮かび、ベッドから飛び出し廊下に出る。ばたばたと廊下を走り玄関を覗き見ると、女の人が慌ててヒールの高い靴を履いて外に出るところだった。
 明るい茶色で巻いてある髪……その後ろ姿には見覚えがあった。

「有希子、さん……?」
「おはようございます」
「お、沖矢さん!おはようございます……」

 視界を遮るように私の目の前に現れたのは、私があげたエプロンを付けた沖矢さんだった。いざとなったら使う為に手にした竹刀を背中に咄嗟に隠し、何事もなかったような顔をして沖矢さんに挨拶を返した。

「竹刀なんか持ってどうしたんです?」
「え、いやなんでも?」
「朝ご飯を作ったので、綾瀬さんもどうぞ」
「ありがと……」

「あ、あのっ」
「なんでしょう?」
「さっき誰か、家に入れました?」

 エプロンを脱いだ沖矢さんと食卓に着き、沖矢さんが作っただろうご飯を食べる前にさっきのことを尋ねてみた。有希子さんのあの台詞からして、有希子さんは多分沖矢さんに会っていたはずだ。でもそんなに仲が良かったか、コナン君経由で知り合ったにしても、まだ大して時間は経ってないんだけどなあ。

「いえ、何のことです?」
「え?」
「あ、味噌汁どうですか?」
「うん、美味しいけど……」
「良かったです」
「……?」

 啜った味噌汁の味は美味しいのに、どこか違和感が拭えないものだった。
 ……なんで?有希子さんの家なんだから、家に入っても別におかしいことじゃないのに。どうして沖矢さんは、有希子さんが来たことを言わないんだろう。



「そういえば莉乃、アパート見つかったの?」
「うん、なんとかね」
「良かった〜!こないだのやつれ具合超ヤバかったから、皆心配してたんだよ?困った時は誰かの家に泊まってもいいからね!」
「はは、ありがと……」

 大学の食堂で友人と昼食をとっていると、友人に私の住まいの話を振られる。最近は引っ越しとか手続きとかで、昼休みも時間を取られてたから、こうして友人とお昼ご飯を食べるのも久しぶりだった。
 住まいは見つけられたけど、代わりに変な男が途中から付いてきた。なんてふざけたことは、もちろん友人に言えるわけがない。しかも子供に騙された、なんて言ったら絶対にしばらくネタにされる。

「……ねえ、もしもなんだけど」
「んー?」
「一緒に暮らしている子が、他の人の彼氏をこっそり家に入れてたら、それって」
「二股でしょ完全に?」
「だ、だよねー……」

 友人からの迷いのないずばっとしたコメントに、嫌でも納得してしまう。有希子さんは既婚者なんだから尚更やばいのに、どうして沖矢さんと朝会ってたんだろう。
 ……本当は朝会ってるんじゃなくて、もしかして夜からいたの?だとしたら、沖矢さんが夜中に玄関のカギをこっそり開けて、私にバレないように有希子さんを招き入れたってこと?
 冗談じゃない。優作さんにバレたら、沖矢さんらだけが悪いのに私まで泥沼に巻き込まれる!

「ところでそのワンピ」
「ん?」
「よく着てるね。彼氏がくれたの?」
「彼氏じゃないっ!!」



 それからまた数週間が経ち、有希子さんが1週間置きに早朝、工藤邸から出ていることだけは確認できた。沖矢さんは今までと変わらず、何食わぬ顔で一緒に食事を摂ったり、朝ご飯以外一緒に作ったり……そういえば、たまに朝食がやたら美味しくなってる気がするけどそれは気のせいかな。

「……ふああ」

 とにかく、有希子さんがいつ来るのかはっきりさせる為、私はリビングのソファに座り込み、有希子さんが家に入るまで待つことにした。
 明日が、最後に有希子さんを見てちょうど1週間になるからきっと来るはず。ずっと起きて、沖矢さんが玄関を開けた瞬間、2人に言うべきことを全部言う。

「寝不足は肌に悪いですよ」
「……沖矢さんもね」
「どうされました?」
「ちょっと気になることがあって、眠れないんです。でも、沖矢さんに相談しても絶対解決しないので、私のことは気にせずベッドで寝て下さい」
「僕もやることがあってね。どこでも出来るから、ここの電気を点けるならここでやります」
「ご自由に」

 ジャージ姿の沖矢さんがリビングに入り、私の向かいのソファに腰かけた。
 ここにいるなら沖矢さんの行動も監視しやすい。なんか勝手に作業するみたいだし、放っておこう。私も観たいドラマの録画溜まってたし、観ていればその内朝になるでしょ。

「おや、海外ドラマよく観るんですか?」
「主演のFBI捜査官が渋くていい役なんです。相棒の元スパイもいいんですけど、断然FBI捜査官派ですね」

 強いて言うなら、あのおちょくってるようなスタイルがどうも最近イラッとさせられる。十中八九、目の前にいる男を見てる気分に一瞬でもなるからだ。
 カチャ、と何か擦れる音がし、テーブルを見ると沖矢さんが目の前にカップを置いたところだった。カップの中のコーヒーが湯気を立て、香ばしい匂いが私の鼻をくすぐりにきた。

「コーヒーを淹れたので、宜しければどうぞ。砂糖はもう入れてありますよ」
「あ、ありがと」
「綾瀬さんは、部活などされていたんですか?」
「なんですか急に……やることあるんじゃなかったんですか」
「食事の時以外だと、こうして一緒にいる時間はあまりないからね。
 同じ家に暮らしているのに、それは少し寂しいと思いませんか?」
「……それは」

 沖矢さんも、私に言ってくれないことがあるからだよ。本音を言ってしまえばそうだ。でも、朝になるまで言うわけにはいかない。

「知られたくないからです。友人でも身内でもない“よく分からない”人に」
「確かにそうですね。でも、少なくとも“他人”ではありませんよ。それに、言わなくても君がどんなものが好きか嫌いかくらいは分かってきましたよ」
「へー、例えば?」
「女の子らしい服が好きなところ。最近、大学に行く際によく着てくれてますよね」

 嬉しそうに語る沖矢さんに不意を突かれた。思わず飲んでいたコーヒーを噴き出すところだった。

「き、気のせいです!」
「気に入ってくれたみたいでほっとしました」
「勝手に納得しないで下さい!!」
「ああ、それと、バイト先を教えたくない程度に僕を嫌いなことも」
「それは事実です」
「どうしてそこまで嫌がるんでしょうか……」
「だってバイト先知ったら、沖矢さん私のシフトに合わせて店に来そうですし。バイトしてるところ見られたくないんです」

「そこまで顔を出しませんよ。でも、そうですねえ……綾瀬さんが何も教えてくれないなら、綾瀬さんを知る為という理由で、観察くらいはするかもしれませんね……」
「……!!」
「だから、せっかくこうして起きていることだし、色々教えて下さい♪」

 私が言わなくても、バイト先を調べて特定することを前提にした“たられ場”に、思わず背筋が凍りついた。
 その後、半分以上諦めた気持ちで、結局バイト先以外の質問にすべて答えてしまった。たった4、5個の質問だったのに、何故だか警察に取り調べを受けた気分で。おかげで再生していたドラマの内容は、まるまる1時間分頭に入らなかった。

「ご協力ありがとうございました」
「満足したようで何より……」
「まあ、さすがに勝手にバイト先を調べたりしませんけどね」
「……」
「ドラマ、最初からまた観ましょうか」
「え、沖矢さんやることがあるって」
「ああ、さっき終わったところです」
「……はあ」



「ん……」

 いつの間にか、ソファに座ったまま眠っていたらしい。沖矢さんが淹れたコーヒーから湯気は消え、完全に冷めている。
 起き上がろうとすると、体に掛けられていたブランケットがずれ落ちた。こんなの掛けた覚えは全くない。

「沖矢さん……?」

 リビングに沖矢さんがいないことに気付き、名前を呼んだ直後だった。

 ガチャンッ

「!!」

 来た、時間は――午前6時!慌てて玄関に向かって駆け出すと、沖矢さんが有希子さんを玄関に入れているところだった。ああ、よかった。とりあえず、夜中に沖矢さんがこっそり招き入れたという最悪の展開は避けられたみたい。

「――有希子さんっ」
「あら、確か英理の姪っ子……」
「そういうのは後でいいです。毎週毎週こっそり朝に沖矢さんと会って、何をしているんです?」

 有希子さんは沖矢さんを一目見てから口をもごつかせる。なんなのその反応、他人に言うにも言えないことなの?

「綾瀬さん」
「沖矢さんも、私のこと根掘り葉掘り聞こうとするくせに、全然自分のことは話してくれない。有希子さんと会ってることも後ろめたくないなら、どうして隠してたんですか!?」
「……」
「私、すごく心配したんですよ……沖矢さんが、隠れて有希子さんと会ってるの分かってから」
「まさか、昨日はそれで眠れないって」

「有希子さんが不倫してるかもしれないって思ったら、いつ泥沼に巻き込まれて、家を追い出されるか心配で心配で!!」

「「……はい?」」
「だって、沖矢さんが有希子さん来てること隠してたから、2人で宜しくない間柄になったんじゃないかって」

 沖矢さんと有希子さんはお互いの顔を見合わせる。やがて沖矢さんだけが笑い、私に一歩近づいた。

「よろしくない間柄、とは?」

 一歩、

「……え」
「もしかしたら、君の思う間柄かもしれませんよ」

 また一歩、

「いや、そんなこと言わなくても」
「言えないような後ろめたい間柄を考えたんですか?」
「い、いえ決して」
「ほー……」

 沖矢さんが一言話す度に私に一歩近づく。そうこうしている内に、最終的に私のパーソナルエリアに踏み入ってきた。
 堪らず私は後ろに下がろうとするが、すぐにリビングのドアによって阻まれることに。尋常じゃないくらいに沖矢さんが近づいてきた。にやにやとした笑みを浮かべる沖矢さんから、もう私は目を逸らすくらいしか抵抗出来なかった。
 ……待って、沖矢さんが悪いのにどうして私がこんな目に遭ってるの。

「こら、あんまりいじめないの!」
「すみません、つい」
「ついって……」
「ゴメンね、変な誤解させちゃって。えーと……」
「あ、綾瀬莉乃です」
「莉乃ちゃん、私が毎週昴クンに会ってることは、優作も知ってるのよ」
「え!?」
「“そんな堂々と不倫を……”って顔しないでよ!それは絶対ないから!」
「じゃあ、なんで朝早くに来て帰っていくんですか?」

「実は、有希子さんが朝食を作ってくれていたんです」

「……あ」

“あ、味噌汁どうですか?”
“うん、美味しいけど……”
“良かったです”

 そうだ、ここ数週間、何か朝食に違和感があった。あれは有希子さんの慣れ親しんだ味付けで調理されていたからだったんだ。沖矢さんも有希子さんの作り方を覚えて作ったから、彼女寄りの味になっていたんだ。

「莉乃ちゃんがご飯のこと教えてくれてるって話だったから、あんまり堂々と言えなくて……でも、女の子の朝の支度って結構時間かかるじゃない?」
「あー……まあ、そうですね」
「でも今は昴クンがいるし、急いでるときとか、これで彼に助けてもらえるでしょ?」
「そうですけど」

「でも、少し楽しみが減ってしまいましたね」
「……?」
「君が有希子さんに隠れて会っている僕にやきもきしている様子は、見ていて興味深いものでしたからね。昨日はそれが原因でずっと僕とリビングにいましたし」
「……〜〜っ!!」

 深夜から引き続き、沖矢さんに遊ばれているという事実に無性に腹が立って仕方がなかった。こっちは野営を張るところまで想像したのに。私を観察していたなら、不安に気付いたほしかった。

「すみません、何故だかいつも君をがっかりさせてばかりで」
「……っそんなこと、絶対思ってないでしょ」
「綾瀬さんの料理が嫌になったわけじゃありません。ただ、助けになればと思い、有希子さんに協力してもらっていただけですよ」
「……本当にそれだけ?」
「ええ」
「……――ちょっと!!」

 油断も隙もない。いつの間にか沖矢さんは自分の手を私の頭に乗せていた。
 条件反射でその手を振り払うと、沖矢さんは眉を下げて残念そうな顔をした。何なのその顔、さっきまでからかってたのに。せっかくほっとしたのに、そうやってまた私で遊ぼうとする。

「つれないですね」
「どういう意味だかっ」
「そういえば今日は、午前中に講義ないんですよね?綾瀬さんに朝食を作ってもらいたいんですが」
「……顔、洗ってきて下さいっ!!」

「作らないって言ってませんでしたね。多分、有希子さんの分も一緒に用意してくれますよ」
「あら、素直じゃないのね」
「じゃあ、言われた通り洗面所に行きましょうか」



「だいぶ上手くなってきたけど、まだちょっと甘いわね」

 有希子は昴の顎に両手をかけ、彼を上に向かせ首元を凝視する。彼女の指先は昴から離れると、手持ちのポーチを開き化粧道具を洗面台に並ばせる。

「少し怠っていたみたいです。綾瀬さんが特に気にしている様子もありませんでしたし」
「そりゃそうよー。まさか一緒に暮らしている人が架空の人だなんて思わないもの。それじゃあ、最初からまた教えるから」

 昴は1つ頷くと、ジャージのジッパーを鎖骨まで下げ、首に装着していたチョーカーを外す。更に顎下に指を掛けると、継ぎ目が少しずつ広がっていく。
やがて皮膚だと莉乃が認識していた皮が、顔から一気に剥がれた。

「何度も足を運んでいただいて申し訳ありません。またご指導、お願いします」

 その時の顔と声は明らかに、莉乃が認識している沖矢昴のものではなかった。

++++++++++
3話目で莉乃さんが洗顔と思っていた時は、マスクの継ぎ目を直していたようです。
特殊メイクとかって雨でも落ちない仕様なのかな。
最新技術ぱないの。

↓↓海外ドラマ視聴中↓↓
『ピーターまじいいわ……字幕版も吹替版もおいしい』
昴「ええ(吹替版の声が、地声と被るような……)」

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ええ、被ってますとも。
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