「莉乃さんが残したようなものは大方見つかったが……」
「というか昴さん、いきなり莉乃さんのクローゼット開けるのはさすがに引いたよ……」
昴はこれまで起きたこと、それに関係するものを時系列順に工藤邸中から探し出した。結果、莉乃が早朝に残した痕跡を全て発見し、それらの情報をコナンと誓司に共有した。
莉乃はそれぞれに記載された数字のうち1つをマーカーやシャープペンシルで囲い強調していた。
衣類の品質表示タグの問い合わせ番号、レシート・シールの印刷日時、電気製品のPINコード、チケットの座席番号、雑誌・本の巻末の刷数。しかし、バーボンのボトルの底に書かれた数字のみは3桁。
1桁の数字が重複も含めて10種類、3桁の数字が1種類。
「で、その10桁を時系列順に並べ直すと、“3571013972”になるとして……昴さん、この後は?」
「莉乃さんのことだから、時系列順を崩す必要はないはずなんだけど……さっきから、この数字に心当たりがないんだよ」
「3桁のやつは?それを使ってもダメ?」
「それは多分、用途が違うから敢えてまとめて書いたんだろう。ホテルの部屋の番号とか……この数値はこのまま使えばいいはずだ」
「なんでうちの妹はよく分かんねーもんしか残してねえんだよ……」
莉乃の残した情報を頼りに居場所を探そうとするが、それでも足りない。加工する必要はないにせよ、この数字だけでは何を示しているのか判断が付かない。
昴の手前のテーブルに置かれた灰皿には大量の煙草。最初はリビングでの喫煙に文句を言っていた誓司だったが、時間が経過するにつれ、音沙汰のない妹の安否が気になりそれどころではなくなっていた。
「……どうして、抜けているんだ」
「昴さん?」
昴の口から漏れた疑問に、コナンが反応を示した。
「いや、1つ気になっていることがあってね……僕と起きたことをこうして時系列を並べると、抜けていることがあるんだよ。彼女にとっても大事なことのはずなのにおかしいなって」
「それ、何か関わった数字とか覚えてる?」
「……」
昴は途中まで吸った煙草を口から離し、いっぱいになった灰皿に押し付ける。煙草がなくなった指顔の前で組み、昴は関係することを思い出し始めた。
“とりあえず尾行を撒くのには10個あれば十分じゃろ”
ルートの数。
“また映画、観ましょうか”
DVDのバーコード。
“1ヶ月も見てたんだぞ、今までそいつがバイト先に来てお前と喋ってるとこなんか見たことねえ!”
男のストーカー期間。
……どれも違う、場所を特定するようなものではない。
そもそも、数字は敢えて残さなかったということか?だとしたら、数字そのものではなく、数字に関係するもので場所を特定出来るものか。そんなものがあったか?
……いや、一度起きたこと自体を整理する必要があるな。どこかに見落としがあるかもしれない。
莉乃はバイト後にファミレスで食事をした後も、男に尾けられていた。撒くためのルートが全て挟まっていた手帳を男に拾われたことでルートどころか今の住まいも特定され、帰るわけにもいかず、その場凌ぎにコンビニへ逃げた。そこまでが、莉乃からの電話で聞いた話だった。
電話で助けを求められ、莉乃が逃げ込んだコンビニまで急いで車を走らせた。
“急いで入ったからどこの支店かも分からなくって……”
確か莉乃はどこの店か分かっていなかった。コンビニは支店名か住所が分からないと探しに行けない。あの時俺はどうやって辿り着いた?
“沖矢、さん”
“場所を聞いたのに―――が送られてきてびっくりしましたよ”
「……位置情報」
「え?」
「なんか分かったか!?」
昴はスマホをテーブルに置き、10桁の数字を打ち込む。その様子をコナンと誓司が覗き見る。
「位置情報は、フォーマット変換する前は全て数字で出来ていてね。莉乃さんが残した10文字をちょうど5文字目で区切り、更に片方を上2桁、片方を上3桁に分けると……」
「“35”、“139”……東京か神奈川の緯度経度……」
「あとは残りの数値を小数として、地域検索サービスで検索。足りない小数の分だけ範囲に誤差が出るが、その誤差の範囲で……部屋毎に番号が必要になる建物と、莉乃が残した番号の部屋がある場所を探すだけだ」
昴が建物の特定をしている間に、テーブルに置かれた誓司のスマホがメールを受信する。差出人は誓司の友人……誘拐犯からだ。それを手に取りメールの添付ファイルを確認した途端に、誓司は焦りを浮かべた。
「……おい、結果まだ出ねえのか」
「急かしてもネットは速くなりませんよ」
「これ見せてもか?」
「……!」
誓司はスマホの画面を昴に見せる。
【あまり待たせない方がいい。】
添付された画像ファイルには、変わらず拘束されたままの莉乃が写っていた。しかしさっきと異なり、口には布が押し込まれ、衣服にも乱れがある。ブラウスのボタンは胸部まで外され、下着らしき生地が晒されていた。
そんな彼女を覆う、人の影……誰が跨っているのかは明白だった。
「あいつやっぱり……」
「え?」
「おい、もう見つかったか?」
「……ヒットした、1番近いホテルは杯戸プライド」
「では、行きましょうか。誓司さんはそのまま帰れるように、2台で向かいましょう」
*
「苦労掛けるね、妹ちゃん。もう服戻していいよ」
「……拘束、慣れてません?かなり引いたんですけど」
「まあ、年取ると要らないこと覚えるんだよ」
兄の友人が私のスマホを下ろし、私に施した緩い拘束を解いていく。私もベッドから起き上がり、着替えを持って浴室に移動した。
服を脱ぎ、水着から下着に着替える。スマホで撮った写真は、兄の友人の影のせいで暗かったし、ほんの少ししか映ってなかったから、多分兄には見分けがつけられない。最初のメールできっと動揺してるから、余計に。
「お腹空いてない?」
「さっきラウンジで食べましたよね」
「じゃあ、ルームサービスでコーヒーとか頼む?」
「あ、じゃあそれで……」
兄の友人は設置された電話の受話器を取り、ホテルの従業員と連絡する。
誘拐とは名ばかりで、私のスマホを使って兄をただ煽るだけ。私への対応といえば、ラウンジでご飯奢ってくれたり、仮眠をとる間は鍵を持ってだけど、しばらく部屋から出てくれたりと随分と私に気を遣ってくれた。
礼を言い受話器を置くと、彼は椅子を回転させてベッドに腰かける私に振り返った。
「すぐ来るって」
「ところでさっきので興奮なんかしてませんよね?」
「恋人を取り戻す為にやってるんだ、そんなこと考えもしなかったよ。あと水着だって知ってたし」
「……そう」
“恋人”
さも当然のように相手の女性のことをそう呼ぶ、この人が不思議だった。人前でそんなことを躊躇いなく言えるということは、その女性を認識してるってことなんだから。
「ちゃんと、好きなんですね」
そういう認識を持って、接してるってこと。兄の友人は私に拍子抜けしたような顔をし、やがてそれは苦笑いへ変わった。
「ちゃんとって、変なこというねえ妹ちゃん……好きだから、裏切られるとすごく苦しいんだよ。ほんとに、息するのも忘れそうになることあるし」
「!」
息するのも、か……この人は、私と逆の考えなのかもしれない。
「……あの、ちょっといいですか」
「なに?」
「こんな状況で話すのも変だけど……恋人じゃない人に、キスされたんです」
「え……彼女付き」
「あ、それはないです、けど……その、そういう関係じゃないのにキスされて、怒れなかったんです。相手もそれに驚いてて……
自分でもよく分かってないんです。嫌いなのにどうして怒れなかったのか」
話さずにはいられなかった。本当はこの人じゃなくても良かったのかもしれない。けど今は、この人に話さないといけない気がした。
好きな人を好きな人だと認識できる、感情の整理が出来ているこの人じゃないといけなかった。
「嫌いなのは分かってるんだ、どうして」
「だって、キスされたら凄く頭くらくらして、もたれかからないといけなかったし……そういうこと……があったから、2人でいると息するの辛いし」
「妹ちゃん案外ばかなんだね」
「ばっ……」
何年ぶりにあったのかも分からないくらいに久しい人から、まさかの罵倒。こんな計画を練って、私に誘拐をけしかけたあなたよりは馬鹿じゃないつもりだ。
不満の表情を表していると、彼はイスから降りてベッドへ近づく。そして私の隣に腰かけ、私との距離をかなり詰め始めた。距離感のなさに気付いた時には、私は慌ててすぐに少し離れて座り直していた。そんな私の行動に彼は肩を小さく揺らして笑った。
「……さっきも言ったけど、僕も苦しいって感覚は理解できるよ。好きな人が相手の時のね」
「……?」
ちょっと、待って。この人今、何を前提に話をしてるの?
「妹ちゃんはちょっと極端に考え過ぎだよ。もっと色んなところに目を向けるべきだ」
「……色んなって」
「さっき、僕が近過ぎると思って離れたでしょ。それって好きじゃないから無意識にしたことじゃないかなあ。
……じゃあさ、そもそも、いくら眩んだからって相手にもたれかかるなんて、そんな近過ぎないと出来ないこと、どうして君は嫌いな奴相手に出来たの?」
「……そ、れは」
「ここでその人と同じことをすれば、その時なんで怒らなかったのか分かるんじゃないかな」
「そんな冗談……」
「冗談じゃないよ、あくまで実験」
彼の手が頬に伸び、私の顔を上げさせる。兄程ではないけれど整った顔立ちの彼が、私に顔を近づけようとした時だった。
「―――莉乃さんっ!」
「……!?」
子供の怒鳴り声と共に、廊下の方から何かが盛大に壊れる音。突然の出来事に急いで振り返ると、ベッドの上にへし曲がったドアロックだけがちょうど着地した。
最早ドア枠だけになった部屋の入り口には、萎み始めたサッカーボールをしゃがんで拾うコナン君がいた。その後ろには沖矢さんと……お兄ちゃん。
「オイてめえ、それは現行犯ってことでいいんだよなあ」
兄は拳を作り、それを片手で覆い指を露骨に鳴らし、部屋に上がり込んでくる。目が笑ってない……兄をあの画像で煽った後にこの状況を見られたのは良くなかった。
「誓司、よくここが分かったな」
「おー、勘がいい大人とガキがいりゃあ見つかるもんよ」
兄はベッドに近づき、兄の友人の胸倉めがけて腕を伸ばす。私はその間に入って兄の手首を掴んできっと睨みつけた。
兄の中では私が誘拐されたことになってるけど、それ以外の人の認識では私は実質共犯者。この人だけ殴られるのはあまりにも理不尽過ぎる。
「待ってお兄ちゃん、あの女の人……本当に取ったの?」
「……お前の言う通り、ほんとに恨まれたな」
「……じゃあ」
「でも、これ見ろよ」
兄は私の手を軽く払うと、自分のスマホを取り出し、画像ファイルを私と兄の友人に見せつけた。写っていたのは、兄の彼女だと思っていた女性だ。
撮影日は2月14日……私が横浜で兄と会った日だ。屋内でコートを脱いだ女性の格好は随分とラフで、本当に兄とデートしていたのか疑わしいくらいだったけど、彼女の奥に写っているものの存在で、私は彼女といた理由に気付いた。
「……ドレス」
「莉乃には言うの忘れてたけど、今の彼女と婚約してんだよ。で、こいつの彼女が新婦の立会人なんだけどよ、完成するまで新婦に内緒でこれ作りたいんだとよ。まーサイズ聞いてたし、被服専攻だったから何か察してたと思うけど……
で、生地とかレースとか選ぶのに相談相手が欲しいとか言ってきて、ちょうど俺のツテが横浜にあったから、一緒にそこまで行ってきたわけ」
「でも、なんでバレンタインとか紛らわしい日に……」
「ちょうど店で打ち合わせする時間があの日しか取れなかったんだよ。お前も1日くらい一緒にいられないくらいで文句言うなっつの……お前、俺の立会人なんだし、お前も当日まで知らねえ振りしとけよ?」
「あ……ああ」
「……やっぱり1発殴らせろ」
「お兄ちゃん!何もされてないからやめて!」