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 魔獣の奇襲から数日。王は護衛にロアールを連れ、城下町へ何度目かの視察に訪れていた。
 被害が大きかったのは、皮肉にもかつては王都で最も賑やかな商業区だった。大きな通りを挟んで両側にいくつも連なって建てられていた建造物は、ほぼ全壊。その殆どが個人商店で、店舗をそのまま持ち家としている者も多かったが、住むべき場所を失くした今では、彼らは王城に寝泊まりしている。騎士を増員したところに、更に多くの人間が転がり込んできたのだ。決して良い環境ではない。それでも彼らが王城を仮の住まいとする理由は、他に居場所が無かったからだ。貴族街と呼ばれる区域には立派な建物は存在するも、平民を受け入れる家というのはなかなか存在しなかった。シェルグは魔獣の襲撃によって王都に亀裂が生じたのだと感じたが、それは単なる切っ掛けに過ぎず、元々あった溝が深まったというだけなのかもしれなかった。
 普段は王城を見回る任務に就いている騎士が、復旧作業にあたっていた。慣れない手付きで、数日間まともな寝食を犠牲にしている。シェルグは作業者に休息を促した。彼の顔と言葉は、騎士たちに束の間の安らぎを与えた。

「王弟殿下……いえ、失敬致しました、国王陛下。陛下御自らにご足労頂けるとは」
「……そうだな。私など未だ位に及ばん」

 額の汗を拭って敬礼をする騎士に、シェルグはそう言って視線を逸らした。自信に満ち溢れ、苦難の中を闊歩するかのような佇まいの彼も、そういう表情を見せる時があるのだ。
 失言を詫びながら、騎士は戸惑う。自尊心の高い彼のことだ、ひび割れた矜持が鋭利な刃物と成り得る事もある。だがロアールだけは、表情を変えずにいられた。

「陛下。彼らはこの数日で疲弊しきっております。私からも詫びますので、どうか御慈悲を」

 騎士団長の言葉で、王は冷静になれたようだ。口角を上げて笑むと、城から運んで来た食料を作業者に分け与えるよう、ロアールに指示した。そして、

「私の方こそ悪かったな。この状況においては些細な問題に、神経質になり過ぎてしまった。お前らの働き有ってこその国だ。私一人が尊ばれる道理は無いな」

 シェルグは騎士たちにそう告げて、その場を後にした。

 建造物への被害は著しいものだったが、かつてシェルグも言っていたように、フィオナーサの施術によって住民が身体に受けた傷はすべて完治していた。彼女の治療を受けた者たちは、「暖かい光に包まれたかと思うと、痛みが退いていって、傷口も塞がっていた」と、こぞって話した。
 そんな嘘のような話は、普段のベルダートの人間であったならば不信感を抱いたに違いない。前王妃シャルアーネが掲げた隣国フリージアとの親交条約には、「異端の力とは関わってはならない」と記されたからだ。そう、フィオナーサの施術は、ベルダートで異端とされる紋章術によるものだったのだ。
 だが、時と状況が彼らの判断を改めさせた。危機に瀕し多くを失くした民の心身を救ったのが、フィオナーサの紋章術だった。もし彼女がいなければ、彼女の術が無ければ−−、その先の結果が絶望であったことは、誰しもが想像出来ただろう。
 この数日で、隣国からやってきた新王妃は、民からの厚い支持を受けることとなったのだ。

 道端で何やら話し込んでいた女性二人は、シェルグの姿を目にすると駆け寄ってきて、

「新王様。フィオナーサ様のご容態はいかがでしょうか」
「私たちを救って下さる為に、ご自身を犠牲にされたのかと思うと……」

 と王妃を案じ、目には涙まで浮かべていた。

「安心しろ。彼女は少し疲れただけだ。日々の疲労と同じだ。紋章は宿主を蝕む事など無い」

 その言葉で安堵した女性たちは、歩き出す王に何度も深く頭を下げていた。
 シェルグは彼女らの姿が見えなくなった後、

「これでは、どちらが真に敬われているか判らんな」

 と、ロアールの隣で静かに笑った。


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