「あ」
 校門の方まで来て、ふとスポーツバッグを漁る。国見が突然なんだといったような目で見てきたので、体操服忘れた、と答える。それに国見は、はぁ?と言ったような目をした。
「なんで忘れんだよ、そんなの」
「いや、財布探すのに一回出してそのまま。…わりぃ、取ってくるわ。先帰ってていいぞ」
「いいよ。すぐ戻るでしょ。待ってる。」
 そういった国見に礼をいって、走って部室まで戻った。
 部室まで向かうと、近づくにつれてなにか甘い匂いが漂ってきた。具体的に何、とは形容しづらいが、ひどく空腹を煽られるにおいだ。誰かが何か食べてるのか、と部活終わりでエネルギー不足の体が反応する。気を抜くと腹が鳴りそうだった。
 早く体操服をとってかえろうとドアノブを回してドアを開くと、いきなりむわりと甘い匂いが自分の鼻をついた。瞬間、全身の毛がぶわりと逆立つような感覚。開いた扉の中では、ロッカーの前でジャージを着た黒い髪の男が一人、床に這い蹲っている。見覚えのありすぎる丸い頭。
 大丈夫かと駆け寄りたいのに、おかしい。体が、うまく動かない。
「かげ、やま?」
 やっとのことで絞り出した声で確かめると、それは緩慢な動作で顔を上げた。いつもどこかを睨みつけるような目は潤み、眉はいつものように寄っているが、下がり眉だ。苦しそうに唇をかみしめている。
「ぅ…はっ、そこ、はやくしめろ…ッ!これ、やばい、おかしい…!!」
 顔を上げてかすれ気味に絞り出された声に、返事ができない。俺はじりと後ずさるのが精一杯だった。ごくりと生唾を飲む。
 そうだ、これはおかしい。
 そう思った瞬間から冷や汗がぶわりと吹き出す。指の一本も動かせない。動いたら、自分が自分じゃなくなるような気がする。ダメだ。これはダメだ。
 初めてだが分かる。Ωの発情期だ。そして自分はそれに煽られている。影山の、蛍光灯の下で輝いている髪も、いつもの数段赤い顔も、潤んだ目も、赤い唇も、伸ばされた手も、体も、全部自分のためにあるような気がしてくる。それは全て自分のものなのだから、好きにしていいじゃないか、とどこかが大声で叫ぶ。悪いのは影山だ。Ωのくせに、抑制剤をちゃんと服用しなかった影山が悪いのだ。αとΩなら、どちらが悪いかなんて考えなくたって分かる話だ。俺は悪くない、なら
 そうじゃない!!!!ちがうちがうちがう!!!!!
「はやくッ!」
 影山の声にはっと我に返って、開いた扉をひっつかんで勢いよく閉じた。バタン!と大きく音がして、まとわりつくようだった甘い匂いがいくらか霧散する。緊張から解放されて、そのまま扉の前で座り込んだ。ドッドッと全力疾走をした後のように心臓が音をたてている。
 先代のαたちがΩを差別した理由が分かった気がした。恐ろしいのだ。こうやって本能をむき出しにさせられるということが。差別し、遠ざけることによって、それから離れようとした。それもあったのではないだろうか。
 しかし今はそんなことを考えているときではない。このまま影山を放って置いてはいけない。この匂いにつられた誰かの本能をむき出しにさせたら、今度こそ影山は危ないだろう。
「ほけん…しつ…!」
 俺は、立ち上がってもう一度走った。学校の保健室には基本的に抑制剤が常備されている。保険医は万一発情した生徒に対応するために基本的にΩ性かβ性の女性だ。助けを求めるなら確実だろう。
 あの甘いにおいを振り切るように走って、保健室までたどり着くと、運良く保険医が帰る準備をしているところだった。俺の必死の形相に保険医は驚いて、どうしたの、と聞いた。呼吸を整えるのもそこそこに、告げる。
「かげやまが、ぶ、ぶしつとうで、」
 そこまで聞くと、保険医は全てを察したようで、机の上から救急箱のようなものを手に取ると、俺をみて「知らせてくれてありがとう。あなたは何もないわね?何もないならもう帰りなさい」と口早にいって、そのまま走って去っていった。


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