影山飛雄はαであると信じていた。
 人間の性別には六種類ある。男と女それぞれの、α、β、Ωで、六種類だ。αは人間的に優等とされ、βは中間、Ωは劣等。そうした差別的な階級制度があった。
 しかし、人権問題や平等が叫ばれる現代、それはしだいに減少の傾向にある。αは確かに社会的地位の高い、天才的な能力を持った人間が多かったが、天才的な能力を持った人間はβにもΩにもいないわけではなかった。性で分ける階級制度はすでに過去のものであり、男女それぞれ、αもβもΩも、法の下では平等。それが世界全国家の掲げる建前であった。
だが根付いた差別意識はそんなもので完全に払拭できるものではない。Ωと聞くだけでいやな顔をする者も少なくはないし、Ω差別を続ける地域というのは存在する。それは国際的な問題の一つだ。
 ……というのが、小中の社会科目で習う内容で、俺たちのような日本の学生の一般市民ではそういった感情を持つ奴はあまりいないと思う。
 ここ数十年で抑制剤の効力は飛躍的に向上して、正しく服用すれば副作用なくΩはβとなんら変わらない生活を送ることができるようになった。そんな今となってはΩをΩと見分けることは非常に難しい。小中の公民や保健体育ではΩは決して劣った人種などではなく、αやβと同じく、もしくはそれ以上に素晴らしい人間なのだと教えられている。
 そういった医学の発達や教育ももちろんだが、そもそも、Ωというのは個体数が少ない。たとえばαがクラスに一人いるくらいの割合だとしたら、Ωは一学年にいるかいないかの割合だ。つまり、そうそう見かけるものではないのだ。
 そして、俺たちは自分の性をひけらかすようなことはしないし、相手の性を詮索もしない。これは、誰に言われたでもなく勝手にできた暗黙の了解のようなものだった。性別を聞くというのは、重大なタブーであった。もちろん、誰それはαだΩだなんだと噂する奴はたくさんいるし、俺もする。だが、それはだいたい又聞きの又聞きであったり、勝手な憶測であったりした。自分の性をむやみに言い触らしたりしないし、相手にも聞かない。そうすることで俺たちは均衡を保っている。それはもしも誰かが、例えば親しい人間がΩであったときにどのような態度をとるか、自分でもわからないからだ。やっぱり、差別意識はあるのかもしれない。
 でも、もしΩであっても、害がないならそれでいいじゃないか。実際にこうやってつき合えているのだから。
 それが俺たちの言い分だった。都合の悪いことは知らないことにしておく。忘れておく。それが学生である俺たちの性に対する対処法だった。
 それで、話は変わるが、俺はずっと影山飛雄はαだと思っていた。あの天性のバレーボールセンスは、α性にふさわしいものだと思った。恐ろしいほどのバレーへ対する執着と、吸収力。練習したらしただけうまくなっていくあいつへの部内での評価は完全にそれだった。
 アレはαだから仕方がない。
誰もがそういって遠ざけた。影山はαだと勝手に確信していた。たとえそうでなくても絶対にΩではないと思っていた。あのいつ、バレーと結婚しますといいにきてもおかしくなさそうな男に、発情期が来る様など想像できなかったのだ。
 しかし、それはある日突然否定される。
 影山が練習を本当に珍しく休んだ日、帰りに公園でぽんぽんとボールを跳ねさせている影山を見つけたのだ。練習を休んだくせにこんなところで何してるんだ、と思って近寄ると、影山は何でもなさそうによう、と手を挙げた。俺がなんでこんなところにいるんだ、と聞いたら、やはりボールに触りたくなったのだと要点を得ないことを返された。そして俺は気づく。学校でみたときは制服で隠れて見えなかった首筋に、うっすらと歯形がついていることに。
 俺はぎょっとした。だって、首筋をかむというのはαがΩにする、つがい認証の行為だからだ。つがいにするとき以外でそんなことをする理由が思い浮かばなかった。
「おまえ、首…」
 声が震えた。声を発しながら、自分の血の気が引いていくようだった。それを聞いた影山ははっと気づいたように首筋を押さえる。てんてんと転がっていくバレーボール。
 しまったといった顔を隠しもしない影山に、俺はタブーを聞いた。
「おまえ、Ωなのか…?」
 すると影山はあきらめたように首筋から手を離して、だらりと手を下げた。そうだ、と小さく肯定の声が響く。影山はじっとこちらをみた。
「俺は、Ωだ。」
 いやにきっぱりとした肯定は、耳の中にどこまでも残った。


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