さみしくなるね、とか元気でな、とか、別れの言葉を告げる声がすぐ近くで聞こえる。
 俺はできるかぎり息をしないように、ここにいるのがばれないように、物影に身をひそめていた。本当は最後に顔を見ておきたかったけれど、その前に涙が出てしまったから仕方ない。泣きながら出ていって変な風に見られるのは嫌だから。
 帰るって本人の口から聞いた時に、そうなの、またね、なんて言えればよかったけど、言えなかった。いや、正確には言いたかったけど、言えなかった。
 だって、少し考えればわかるけど、もう、本当に二度と、あえないだろうから。そうなら、また、なんてない。
 ああもう、なにやってんだ。俺。
 最後なのに、なんで会う前に泣いてるの?会ったときに泣くならわかるけど、自分のことがよくわからない。
 もう泣いちゃって会えないんだから帰ろう、と心のどこかが思う。でも、ここで会わなかったら後悔するよ、とそれに対してどこかが思う。その二つがせめぎあって俺はここから動けない。そうやってこのままここにいたら、それが一番後悔しそうだけれど。
 そうやって帰ろうか帰るまいか葛藤していると、ふいに大きな音をたてて俺の隣に積んであったものが崩れ落ちた。ガシャン、と金属が地面にたたき付けられる音が、やけに大きく響いた気がした。その音に、俺は本能的にそこから逃げ出していた。
 最後のチャンスが…と心のどこかが思う。その反対で、ホッとしている自分がいるのも気付いていた。
 でも、離れていったら、どんどん涙が溢れ出してきて、止まらなくなった。人気がないところまできて、走るのを止めたときには、ほぼむせび泣くようになっていた。喉がひりついて痛いのに、止められなかった。ぐずぐずと泣いていると、後ろから誰かが走ってくるのに気がついた。
「基山ヒロトッ」
 フルネームで俺を呼ぶその声には聞き覚えがあって、はっとなってまた俺は走り出した。よりにもよって、一番泣き顔を見られたくない人に追いかけられるなんて。だから、あそこから逃げ出したのに。
 走り出したが、泣きながら走って体力もスピードも持つはずもなく。一分もしない間にかなり空いていたはずの距離をつめられて、捕まってしまった。
 基山ヒロト、ともう一度彼は俺の名前をフルネームで呼んだ。振り向いたら引かれるかもなと思って振り向かずに、なあにと精一杯いつも通りの声をだした。
「こっちを向け」
 ぐっ、と掴まれている手に力がこもったのが分かった。たぶん振り向くまで離さない、という意味なのだろう。逃げられそうにないなあ、とのんきに思った。
 俺は涙を全く拭わず、振り向いた。俺はたぶん涙でぐちゃぐちゃの酷い顔をしているだろう。
 振り向くと、彼―――バダップくんは、涼しい顔をして俺の目を見た。
「なぜ、逃げた?」
 バダップくんの鋭い視線に、また逃げ出したくなる。嘘なんてついてもすぐにばれてしまう、というよりは、嘘をついたら大変なことになるような気がした。
「泣いてるのに、気がつかれたくなかったから」
 ふふっ、と一人笑う。それも今となっては意味ないけどね。また涙が出そうだった。
 バダップくんは、そうか、とだけいって掴んでいた手を離した。離されたところがすこし熱い。その熱が夢のように思われた。ああ、この熱も、泣き顔が見られたことも、帰るってことも、全てが夢だったらいいのに。
「あのさ、俺ね、バダップくんのこと好きだよ、」
 気がつくと、ふわふわした不安定な気分でそう言っていた。最後だしまあいいや、どうにでもなれ。泣き顔を見られて、なげやりになっていたのかもしれない。
 逸らしていた目を戻すと、バダップくんはとくに驚いた様子もなく、ただずっと俺をみていた。俺はもう一度、駄目押しするように、好きだよ、と呟いた。何故だか、また涙がじわっと溢れてきた。バダップくんの表情は全く変わらない。
 しばらく沈黙が続いて、なんの前触れもなくバダップくんは口を開いた。
「…ヒロト、さようならの本来の意味を知っているか?」
 初めてヒロトと呼ばれたことには気づかないふりをして、俺は首を横に振った。ううん、知らない。唐突過ぎて意味もなにも分からなかった。
「さようなら、というのは、さようならば、という言葉が変化したものだ。その、さようならば、というのは接続詞で、そうならば、という意味だ。つまり、さようならば、の続きは次に会ったときにしよう、と、そういう意味で別れの挨拶に使われるようになった。」
 へえ、と俺は頷いた。でも、そう話したバダップくんからはなんの表情も読み取れない。
「つまり、だな。俺もヒロトのことが好きだ。」
 えっ、と俺が戸惑いの声を漏らすと、バダップくんは少し笑った。けど、そのあとすぐに元の表情に戻った。
「だが、俺はこれから未来に帰らなければならない。だから、詳しく話をすることも聞くことも出来そうにない。」
「…だから、さよなら、なの?」
「そうだ。また会うとき、話そう。次に会うときは、いつになるか分からないが、必ずまた会いにくる。」
「…本当に?」
 俺がそう聞き返すと、バダップくんは、俺は嘘はつかない、と俺の目をしっかりと見て、しっかりといった。それがとても頼もしくて、さっきとは別の意味で涙がこぼれそうだった。







☆ ☆ ☆ ☆






 ばさばさっと音をたてて、手に持っていた資料が落ちていった。隣にいる緑川も、それを咎めたり拾ったりする様子を全く見せない。俺と同じようにぽかんとして動けないようだった。
「会いにきた」
 ヒロト、と目の前にいる銀髪ですらりとした軍服姿の男がそう俺を呼んだ。心臓がばくばくと音をたてて、うるさい。その度に胸の中の期待が大きくなっていく。
「も、もしかして、バダップくん…?」
 やっとのことで出した自分の声が思いの外大きくて驚く。それに目の前の彼は肯定するように少し笑った。その瞬間にふわりと気分が舞い上がって、目の前の彼に抱き着いた。それに緑川が一瞬遅れて、ちょ、社長!と慌てた。
「遅くなって、悪かったな」
「ううん、遅くなんてないよ。会えて嬉しい」
 俺がもしかしてこれ夢なんじゃないかって思うくらいに嬉しいよ、というとバダップくんはきょとんとした。それに今度は俺が笑う。
「あのぉ、積もる話があることお察し申しますが、社長はこれから会議があるのですが…」
 緑川にそういわれて思い出した。はっとなって少しバダップくんから離れる。
「なんだけど、どうしよっか?」
「それなら問題ない。最初からお前をさらう為にきたようなものだから」
 それこそあっという間もなく、バダップくんにお姫様抱っこされて、連れさらわれる。緑川が呆気に取られているところを抱えられながらみた。
 まさか、この歳になって軽々とお姫様抱っこされるなんて考えてもみなかった。かなり恥ずかしい。けど、ちょっと、ちょっとだけ、嬉しい気がする。
 我に返ったらしい緑川が後ろで、ヒロトのばかー、と叫んでいるのが遠くの方から聞こえる。
 照れ笑いを浮かべながらバダップくんをみつめると、バダップくんは昔のように不敵に笑った。





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