どうにもならないことは、この世にあまたに存在する。たとえば、ずいぶん前に俺の父親がでていってしまったこととか、母親が病に倒れたこととか、金がないこととか、いろいろ。
 上げればキリがないし、上げ連ねたところでどうなる、とも思う。そのどうにもならないことを、無視するなり正当化するなり少しでもよくしようとするなり、そういうことをして俺たちは生きていくものなのだと思う。
 妥協して、出来る限り自分がつらくない方向をとっていくこと。
 そうしていくのがこの世をうまく生きていく方法なのだと思っているし、そうしていくつもりだ。

「瞬木!ナイスシュート!!」

 回ってきたボールをゴールに決めた。入ったことに喜びを噛みしめていると、背後から大きな声。振り返れば、すぐそこに笑顔で手を挙げてハイタッチを求めてくる茶髪の天然パーマ。それに俺も笑って手を挙げてそれに答える。

「キャプテンこそ、ナイスアシストだったぜ!」

 ぱしん、と気味のいい音が響いて、キャプテンはさらに破顔する。
 どくん、と心臓が高鳴った。
 …これが、あまたにあるどうにもならないことの一つ。
 松風天馬。


 最初は、相成れないと思っていた。ただ純真にサッカーをして、すべてがどうでもよくなるような絶望なんてしたことがなければ、しないようなやつなんだろうと思った。どんなことも、頑張ればなんとかなると思っているタイプ。すごく、ムカついた。し、今もムカつく。

「いいところもわるいところも、全部ひっくるめて瞬木隼人だ!俺の仲間の、瞬木隼人だ!」

 その言葉を聞いて、俺は確かに救われた。自分は自分でいいんだと思えて、ほっとした。たぶん、これが大きなきっかけになって好きになったんだと思う。
 けど、なおさら遠い奴だなと思った。自分とはまるきり正反対で、やはり相成れない。
 キャプテンがそういったように、あこがれているのだと思う。無条件に人を信頼することが出来るキャプテンが、ムカつく。けど、羨ましくて、好きだ。アイツのそばにいると、自分もいつかそうできるような気がしてくる。
 その誰もに平等に注がれる優しさが、信頼が、好きで、憎たらしかった。自分だけにそれが注がれればいいのにと夢想する。けど、そういうところが好きなんだから仕方がない。それに、すべてに平等なのだから、なにをしなくてもそれは自分に注がれるのだ。
 それで、十分じゃないか。
 これ以上求めてはいけない。これで満足しなければやってなんていけない。
 逸脱しないように。あくまでチームメイトとして。悟られないように。それさえ気をつけていれば、この生ぬるい幸せが変わることなんてないのだから。
 そう思っていた。


 ふと、着替え室にタオルを忘れたことを思い出してそこに引き返した。少し扉が開いていて、中からキャプテンの声と剣城の声が聞こえた。大方、キャプテンと剣城はまだ残ってて一緒に自主練でもしていたのだろう。それくらいは容易に想像がついた。
 そしてドアを開けようとして、目を疑った。
 中で、キャプテンと剣城が、キスをしていた。剣城を引っ張って、頬に唇を押しつけていた。すぐにぱっとキャプテンが離れると剣城はただただ驚いたような顔を向けて、キャプテンはそれに照れたように頬を染めて笑っていた。それはもう、幸福そうに。
 それを見て、こらえようのない吐き気がこみ上げてきた。腹の中のものすべてがかき回されているような感覚だった。うえ、と一度えづくと、後につづいてきそうになって口を手で押さえる。
 そのあまりの気持ちの悪さに、すぐその場を離れて近くのトイレに駆け込んだ。一番奥の個室に入って、便器の中に胃の中のものを吐き出す。ばしゃばしゃ胃の中のものがすべて便器の中に落ちていって、水の中に混じった。
 きもちわるいきもちわるいきもちわるいきもちわるいきもちわるいきもちわるい!!!

「キャプテン、ホモだったのかよ…きもちわる…」

 そう口に出すと、さらに吐き気がこみ上げてきて、また便器に顔を近づける。だけどもう胃の中に吐き出すものがなくて、胃酸を絞り出すようになってしまった。しかも、吐き出すのに喉が焼けるように痛くて、口の中も気持ちが悪い。呼吸がうまくできない。すえたにおいがする。立ってるのが面倒くさくなって、そのまま床に座りこんだ。ぜいぜいいう俺の呼吸音。
 薄暗い便所で一人吐き続けて、そうしてこの上なく惨めな気持ちになっていたところに、こみ上げてきたのは怒りだった。

「ふざけんなよ…」

 声がかすれた。喉が痛い。裂けそうだと思う。苦しい。くるしい。
 でもそうする以外にこの思いを解消する方法が思い浮かばなかった。ありったけの声を振り絞る。

「ふざけんなよ!!どうせホモなら、おれにチャンスくれたって…よかっただろうが、」

 いいながら、苦しくなってむせる。呼吸もままならない苦しさに視界がにじんで、ぼたぼた床に水をこぼす。ぬるい。ぬるい。また吐き気がこみ上げてくる。
 また便器の中に顔をつっこんで、ない中身を吐く。浮かんだのは、剣城の頬にキスをした、あのキャプテンの嬉しそうな顔。この世で一番幸せですみたいな、あの顔。

(どうして俺じゃないんだよ)

 水面は、ぐちゃぐちゃでどろどろ。俺の涙で水面がゆれる。ひたすらに惨めだった。


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