お盆で母方の実家へやってきていた影山は、することもなくその一室の畳上でごろりと寝転がっていた。バレーをしようにもボールはないし、この暑さだ。うだるような暑さに気力のすべてを奪われてしまいそうだった。否、すでに奪われている。
何もしていないのに浮き出てくる汗が不快で、起きあがってシャツで拭う。ふと思い立って膝立ちで壁の隅の方で回っている扇風機の前で正座をしてみる。そよそよと風は気持ちいいが、なんとなく生ぬるい。がちゃがちゃと風力を変えるボタンをいじったあとで、影山はすっと立ち上がって、部屋を移動する。その途中で居間でテレビを見ていた母親にどこいくの?と尋ねられ、自販機、と単語だけで返す。それをきいて母親は納得したのか何もいわなかった。
引き戸の玄関を開けて外にでると、むわりとした空気と照りつける太陽が影山をおそった。それに外にでたことを後悔しそうになったが、引き返すのも負けな気がして、影山は一歩を踏み出した。
歩き出すと、じりじりと照りつける太陽が痛かった。少しでも避けようと山側によって、日陰になっている方を歩く。すぐそこにあったはずの自販機が遙か遠くに感じる。
影山がふと横を向くと、山へ続くらしい小道があった。木々に囲まれ陰になっているそれは人一人がやっと通れるほどの幅しかなく、その脇は雑草が生い茂っている。そのくせその道には草の一本も生えていなかった。
影山はそれをみて、涼しそうだ、と思った。蝉の鳴き声に混じって、一度、ちりん、と小さな音が鳴った。鈴の音だ、と影山は認識する。が、なぜ聞こえてきたのかはわからなかった。
そうやってぼうっと立っている間にも太陽は容赦なく照りつけてきて、影山は逃げるようにその陰の中へ入っていった。



影山は小道を進むことで確実に山を登っていた。すぐにでも何かしらの場所に着くだろうと考えていた影山の思惑とは裏腹に、歩いても歩いても全く行き止まりや人気のある場所に着かなかった。
影山は引き返そうか、と考える。いくら小さい頃に登ったことがあるとはいえ、今の装備を考えれば心許ない。サンダルの上に、手持ちは財布だけだ。飲み物すらもない。
しかし、山の中は汗が引いてしまうほどには涼しかった。背の高い木々が陰を作り出してくれているおかげで、日差しはほとんど届いておらず、まだ昼間だというのに薄暗いほどだった。地面はひんやりとしており、すこし肌寒くもある。さきほどまでのあの炎天下のアスファルトを思うと、影山はどうしてもすぐに戻ろうという気分になれず、着実に山の奥の方へと足を進めていた。
そしてその間に、進みにくくなったら引き返そう、と結論を出した。



その結論を出してから少したって、影山の目の前に鳥居と石の階段が現れた。左右に一つずつおかれている狐の石像に、あ、と影山は思わず声を出す。

ここに、来たことがある。

影山は唐突に思い出した。この山へ登った時に、この神社へたどり着いたのだった。頂上へつくと影山をつれてきた祖母と母とその友人たちが話をしているのに影山はつまらなく感じて、一人でそこから離れたのだ。そのときにたどり着いたのがこの神社だった。そこには同い年くらいの子供がいた。それで、日が暮れるまで一緒に遊んだのだった。別れ際に、また来てくれる?と小指を差し出しながらその子がいったので、影山は大きくうなずいて小指を絡めたのを覚えている。
そこまで思い出して、影山は懐かしいな、と思った。
鳥居をくぐって、階段をのぼる。ふと、ちりん、と鈴の音がした。誰かいるのだろうか。影山は、そうしなければいけないようなきがして、その階段をかけあがった。
影山はすぐに階段の終わりにたどり着いた。その先には、影山が思い出した記憶通り、そこそこの大きさの社があった。それは年期を感じさせる色をしているが、大きな破損箇所は見あたらない。賽銭箱の奥にある拝殿は、一番奥の、段になっているところの一番上に曇った鏡がおいてある。
影山がその社に近づいていくと、また、ちりん、と鈴の音が聞こえた。今度はわりかし大きな音で、影山は思わず後ろを振り返る。少し見渡すと、視界に人が映り込んだ。影山は、その姿に思わず、え、と声を漏らす。
その人の青と白のジャージには見覚えがあった。それと、茶色の柔らかそうな髪にも。影山が、まさか、と思いながらゆっくりと近づけば、北川第一中学校、の文字が目に入る。彼はまるでもてあそぶみたいに、赤と緑と白のボールが彼の頭上にあがって、その彼の手に吸い込まれる。直上トス。影山が彼のそれを間近でみるのは約三年ぶりで、軽く興奮を覚えるとともに混乱もしていた。
「及川さん…?」
確かめるように影山が呟く。小さな声だったがその声が聞こえたのか、彼はあげていたボールを受け止めると、彼はくるりと振り返った。彼は影山を視界にとらえると、にこりとほほえんだ。
「久しぶりだね」
影山は及川だと確信して彼に駆け寄る。いいたいことはたくさんあったが、駆け寄ってまず影山は言った。
「背、伸びました?」
「え、そうかな?わかんないけどそうなのかも」
近寄ると、影山が少し彼を見上げる形になっていた。彼は影山の一言に首を傾げていた。影山はそれに、まだ伸びるのかとむっとする。最後にあったときには意識するほどの差はなかったのに、昔に戻ったみたいだ。
「どうかした?」
「…別に。なんでもないです。……ていうか、なんでそのジャージなんですか?」
「懐かしいでしょ?」
彼はくるりと一回転するとふふん、となぜか得意げに笑った。それに、はぁ、と気の抜けた返事をして影山がジト目で見つめ返す。彼は特にそれを気にした様子もなく、持っていたバレーボールを影山に投げた。影山はそれを受け取って首を傾げる。
「まぁ、せっかくここまで来たんだからさ、一緒にする?」
「! いいんですか!」
条件反射でサーブ、といいかけた影山だったが、ここにはネットもコートもないことを思い出して口をつぐんだ。



ボールを二人の間で行き来させながら、二人は他愛のない会話をした。お盆で母方の実家に帰ってきたこと、烏野に新たに入ってきた一年のこと、青城と戦ったときのこと、国見や金田一と少しはなせるようになったこと。影山の話すそれらを、彼は時々からかうような言葉を発しながらも聞いていた。
「そういえば、キミはどこから来たの?」
「どこって、向こうの道から……あれ?」
影山が階段の方をみると、そこは森になっていた。見渡しても、それらしき道は見あたらず、神社は木々に囲まれていたのだということに影山は初めて気づく。じゃあ俺は一体どうやってここに?
彼はボールを受け止めると、首を傾げる影山に近寄ってきた。
「道、見失っちゃった? もうこんな時間なのに」
「え?」
「ほら、もう夕方だよ」
そんなはずはない。見失うほど不確かな道をたどってここにたどり着いたわけではないし、まして夕方だからといって帰れないほど奥に来た覚えもない。影山はそう言おうとした。
ちりん、鈴の音がする。
「ほんとだ…いつの間に…」
影山が呆然と呟くと、彼はにっこりとほほえんだ。
「今から下りるのは危ないからね。ウチに泊まっていきな」
「いいんですか?」
「しょーがないからね。感謝しなよ?」
「あざーっす!」
体育会系の元気な返事に彼はくすりと笑うと、影山の頭を撫でた。影山はそれに驚いて彼をみると、彼は愛おしそうに笑っていて、それにまた影山は驚いた。
「じゃあ、いこっか」
彼はそういうとするりと影山の手を握った。あまりにもさりげなく握られたので、影山は抵抗する暇もなかった。
彼に引かれて影山がつれていかれたのは、社の裏側だった。そこには社の前のものとは比べものにならないほど長い石の階段があった。影山はぎょっとして立ち止まるが、彼はなんとも思わないようで、どうかした?と振り返って影山に聞いた。ちりん、と鈴が鳴る。
影山はなんでもないです、と答えて、彼の後を追うように一歩踏み出した。


階段は長く長く続いていた。登っても登っても、その終わりが見えなかった。赤い夕日の光が後ろから射していて、登る階段に一つ影を落としている。
影山は彼に引っ張られるようにして歩いていた。たいしたことはしていないはずなのに体が重かった。自分の先を行く彼にはそんな様子は全くない。影山はそれになんだか悔しいような気持ちになる。
「あの、及川さんちってこんな奥なんですか?」
「そうだよ」
彼の答えのあとに聞こえてきた音に影山はまただ、と思う。また聞こえた。さっきから、彼が話す度に鈴がなっている。しかもその音はだんだんと大きくなってきていている。鈴のある場所に近づいてきているのだろうか。鈴が鳴る度に、影山は頭がぼんやりした。考えるのが疲れてくる、といえばいいのだろうか。そのくせに、何かに焦るように頭が回る。その感覚が気持ち悪くて、影山は思いついたことをすぐに口に出していた。
「今って、何時くらいですか」
「さぁ?わかんないけど酉の刻くらいじゃない?」
「それいつですか」
「え、わかんないの?」
「……なんか…変じゃありません?」
「何言ってるの、キミが泊まりにきたいっていったんじゃない」
「え?そう…でしたっけ」
「そうだよ。」
「さっきから思ってたんですけど、いつもみたいに呼ばないんですか」
「…どういうこと?」
彼はいきなり足を止めた。つないでいた手が後ろに引っ張られて、影山も立ち止まる。
「だから、いつもみたいに、」
飛雄って、といいながら影山が彼の方をみる。
影山が振り向いたその先。

彼の顔には、あるべきその顔がなかった。

「ッ?!??!」

目も鼻も口も、すべて抜け落ちて、輪郭だけの彼の顔を見て、影山は思わず握られていた手を振り払った。それから、がちん、と呪いでもかけられたみたいに影山の体は動かなくなった。恐怖に声が出ず、影山は喉の奥で悲鳴をあげる。
どうしたの?と影山が及川だと思っていた「何か」は影山に手をのばす。それを認識する前に、影山は彼を押し退けて階段を走ってくだっていた。バクバクと心臓が今までにないほど大きく音をたてている。
後ろから及川によく似た声が聞こえる。でも、何を言っているのかは聞こえない。ただ、笑っているような気がした。影山は振り返らずただひたすらに、長い長い階段を下る。早く下りなければ。はやく!はやく!
森だったはずの背景はゆっくりとゆがんでいき、最終的に影山の視界は恐ろしいほど綺麗な夕焼けに染まった。



影山はいつのまにか眠ってしまったようだった。あわてて身を起こし、ここは、とあたりを見渡す。どうやら拝殿のようだ。部屋におかれている、神社特有のもの、とでもいえばいいのだろうか、それらに見覚えがある。ずいぶん放置されているのか、案や隅に置いてある将椅には埃が厚くつもっていた。埃っぽくて、けほ、と影山は咳をした。
記憶はないが、影山はどうやらこの部屋で寝ていたらしい。それで、あんな夢を見たのだ。
何が起こったのかはわからないが、影山はとりあえずこの部屋から出ようと立ち上がって、段をゆっくりと下りる。部屋と外界をつなぐのだろう障子は、あのときは開け放たれていたのにきっちりと閉まっている。わざわざ閉めたのだろうか。……誰が?
影山が寝起きでおぼつかない足どりで壇から降りきったそのとき、影山の目の前の障子が大きな音をたてた。すぱん、というような音に、開いたのだ、と認識した影山は夢を思い出して思わず目をつむる。影山の耳にぜぇぜぇと荒い呼吸音が聞こえてくる。しかし近寄ってくる気配はない。影山はゆっくりと目を開く。

「トビオ、」

影山の目の前に立っていたのは、私服姿の及川だった。
肩で息をしていた及川は影山を視界にとらえると、顔を一気に不機嫌そうにゆがませた。そしてすぅ、と大きく息を吸い込んでふぅ、とはいた。そうして及川は呼吸を落ち着かせると、どすどすと踏みならすようにして影山に近づくと、ぎゅうっとその体を抱きしめた。あまりにも強い力だったので、影山はぐえ、と声を漏らす。
「すっごい心配したんだからな!ふざけんなよ!!」
「お、おいかわさ、ぐ、ぐるしい、」
影山の悲鳴に及川は力を緩める。げほげほとせき込みながら困惑した様子の影山に、及川ははぁ…とため息をはく。
「あーもう……お前、一週間もこんなところでなにしてたの?」
「は?一週間?」
「そうだよ!お前が突然いなくなったって、大騒ぎだったんだから!」
「えっと、心配かけてごめんなさい…?」
「わかればよろしい!ほら、早く」
ふいに、及川の体から力が抜けた。言葉も途中に、突然自分の方に倒れかかってきたので、影山はあわててその身体を支える。
どうしたのかと体をはなして影山は及川の顔を見る。及川は目を閉じていた。呼吸は聞こえない。まさか、と影山は背中に嫌な汗が伝うのを感じる。
思わず影山が視線を向かわせた先……
背後には、北一のジャージを着た『彼』が、立っていた。


prev next

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -