黒猫徒然


高貴な囚人(3)
2013/11/19 23:18

就寝の支度が済むと、ルカは早々にサリーナを下がらせた。日中、あれこれと細々とした世話をやいてくれた少女は、自宅からこの後宮に通っている。早めに帰してやりたい。
スケッチブックを手に、長椅子に腰掛けるとつかえてくれている少女の似顔絵をえがきはじめる。
絵を描くことに熱中していたせいか、肩に手を置かれるまで王の訪れに気づかなかった。


「ムスタファ」


肩に置かれた手を握りながら振り返ると、この国をすべる若き国主がルカが描いていたスケッチブックをのぞきこんでいた。
その面立ちは端整であり切れ長の金茶の意志の強い瞳の印象的な猛々しい獣のような粗削りの野性味あふれる美丈夫のムスタファはルカの描いていた似顔絵を見ていたが、ルカがスケッチブックを閉じるとルカに目線を向けた。


「声をかけてくだされば出迎えましたのに」


「熱心に何かを書いていたようだったからな。ルカ、膝をかしてくれ」


緩やかに波打つ、銀の輝く髪を揺らしながら、ルカが頷くとムスタファはルカの膝に頭を置いた。


「今宵は、どなたのもとへ参られるのですか?」


ムスタファの見た目よりも遥かに柔らかな金茶の肩までの髪をゆっくりとすきながら、ルカは尋ねる。
心地よさそうに目を細めていたムスタファは、銀細工のようにしい波打つ銀髪を手のひらにのせ、そのまま軽く引っ張る。


「いや、考えていない。近頃後宮にいる女どもに飽いた。新しく側妾を迎えようと思っている」


ムスタファの、陰りを微塵も感じさせない言葉にルカは金茶の髪をすいていた手をとめる。
知らず、表情が険しくなっていきルカのその変化にムスタファはルカの膝から頭をあげルカに向き直る。


「・・・・ではどなたかに暇を出されるのですね」


いくら広大な敷地と部屋数を誇る、王の後宮とてやはり限りはある。新しく側妾を迎えるということは、部屋を空けるということだ。そしてそれは、王の寵愛の薄く、容貌も衰えてしまったものに暇をだし、新たにその側妾に部屋を与えるのだ。
王の後宮のなかで、何年も寵愛を独占し権勢を誇った側妾でさえも、王が飽きまた年齢を重ね容色が衰えれば暇を出されてしまう。
それ故、王の後宮はいれかわりがはげしい。
この後宮内で、暇を出されることなく部屋を賜り続けそしてとどまっているのは、後宮の出来た時分から、ルカだけだった。


「本来ならば、私こそがお暇を頂かねばなりませんのに、あなたのご厚意に甘えてもう十年もこちらに置いていただいているのですね。国に帰ればよいのでしょうが」


「お前は側妾とは違う。それにあの国には戻りたくはないのだろう?」


ムスタファの問いに、ルカははい、と首肯する。
郷愁の念を抱き、時折生国に想いにを馳せる感傷にひたりたくとも、その国をすべる国主たる国王の存在が、想いに制止をかける。
懐かしく、慕わしいがルカが、男性としてあるべき生殖器のすべてをルカの意志を無視して、この身体から摘出されてしまった。
あのときの、恥辱と喪失感は十年以上たった今でも、鋭い痛みとして、ルカの胸に無惨な傷跡をのこしている。
ムスタファの寵愛をうけ、尊い血をひく御子を孕むやもしれぬ側妾らとは違い、ルカは側妾とは名ばかりの、人質同然の身の上だ。


「・・・・ムスタファ、私を後宮から出していただくわけには参りませんでしょうか。あなた様の子を孕めぬ、男である私がいつまでもこちらに置いていただいているのは、とても心苦しいのです。いくら生殖器がないとは申せ私は男です。他の皆様方の目障りとなりましょう」


ルカの真摯な言葉に、ムスタファは無言で波打つ銀の髪を手に絡め無造作にひきよせる。
痛みに呻くルカを、ひたりと鋭く見据えたムスタファは冷ややかに眺める。


「お前はあのとき、私の傍からけして離れぬと、常に傍らに寄り添い続けると私に誓ったはずだ。その誓いを違えようというのか、ルカ」


「誓いを破るつもりなど、微塵もございません。私の立場を忘れたつもりもございません。ただ、いずれはあなた様の血をひく、尊い御子が誕生するであろうこの神聖なる後宮に、私のような不浄のものがいては何らかの障りがございましょう。そうなる前に、どうか私を別の場所へ、王宮が無理だと申されるのであれば、どこか別の場所へ移してくださいませんか。どのような場所であろうと、結構ですから」


元王子であるという矜持は、とうに捨てている。身の回りの世話を引き受けてくれる侍女も必要ないしどこか、小さな小屋でも構わなかった。


「駄目だ。王の後宮にいるからこそお前は無事でいられるのだ。忘れたのか、お前に一方的に想いを寄せた挙げ句、お前を汚そうとした不埒者を。後宮の外などに出れば、それこそ湧いてでるほど、お前に醜い欲望を遂げようとする男が、あとをたたぬに決まっている」


「まだあのときのことを覚えてらしたのですか?あれは本当にたまたまです。私はご覧のとおり、髪と瞳の色を覗けばどこにてもいる、ありふれたただの男です。それに、あのときの男も、本当に私に想いを寄せていたとは限りません。何かの、そう後宮のどなたの姫君と間違えたのですよ。何度もそう、申し上げているではありませんか」


まだルカが二十歳になる以前、生殖器を摘出してしまった影響もあるのか、線が細く背も低く、また髪を伸ばしていたせいか、ルカは暴漢に襲われかけたことがある。
後宮にどう忍び込んだものか、その暴漢はすぐに取り押さえられたが、ずっとルカを慕っていたのだと、わけのわからないことをわめき散らし、駆けつけたムスタファはその場で、王の後宮に忍び込んだ男を不敬罪で極刑に処された。
今思えば、あの男は後宮の異分子であるルカの存在をこころよく思わぬ側妾の一人の手の者ではないか、と思う。だからこそルカを慕っているとわめき散らし、ルカを窮地を追い込もうと、ムスタファの心にルカに対する猜疑心を植え付けようとせんがため、あのような虚言をはいたのではないか。
その芽は、思わぬ形で芽吹いてしまった。


「今はまだ、側妾ばかりですがこの後宮にはいずれ、あなた様の正妃である王妃が参られるでしょう。王妃様のためにも、そして何よりあなた様御自身のためにも」


ルカの長い髪を掴んでいたムスタファは、無言で手をはなし長椅子から立ち上がると、振り返りもせずムスタファは部屋から出ていってしまった。
初夜のあの夜、幼子のように駄々をこねる幼い少年王を宥め、慰め初夜の相手が男である自分であることを哀れに思いながらことをすませた。
ともに一つの寝台に横になり少年王を腕に抱き締め、誓いをたてた。
成長すれば、このような誓いなど忘れてしまうだろうと、ルカはただ少年王の一時慰めになればと誓ったのだ。
それを、未だに覚えていてくれるとは、思いもよらなかった。
七つも年下の、少年王の面影は、獅子にたとえられる青年王にはすでにない。
ムスタファを弟と、あるいは息子のように思っているルカはその幸福だけをただ祈り続けている。



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