■ むかしのはなし



「江戸?江戸に何しに行くの?」

兄たちの話を立ち聞きしていた少女は、隠れていたことも忘れて思わずそう尋ねた。
そしてその言葉は、つい先ほどまで江戸入りへの期待に胸を膨らませていた兄たちの間にえも言えぬ沈黙を降らせた。
近藤さん、あんた説明してなかったのか。わ、悪いやっぱり言いづらくてな…。
視線だけでの会話が進む。物分りのいい少女はその沈黙に、少しの間だけ耐えた。でもいい加減痺れを切らすと、もう一度同じ質問を繰り返した。

「江戸に、何しに、行くの?」

それも単語に区切って丁寧にわかりやすく。

「美結、俺たちはな、江戸に行って本物の侍になるんだ」
「?すぐ帰ってくる?」
「…いや、帰ってこない」
「じゃあ私も行く!」

当然のように少女は言った。そして当然、「いいよ」と言ってもらえると思っていた。

「だめだ」

だけど一寸と置かずに返ってきた言葉に少女の顔が驚愕の色に染まる。まさか「いいよ」以外の返事が返ってくるとは思ってもみなかった。
やさしい兄が、自分を置いてどこかに行こうとしている。

「なんで?なんで駄目なの?総悟くんは行くんだよね?」
「俺は侍なんでねぃ」
「そんなのずるい!やだ、私も行く!」
「駄目だ、お前はここに残りなさい。俺たちは危険なところに行くんだよ。お前を守りきれるかどうかわからない」
「自分の身ぐらい自分で守るよ!私だって刀は使えるもん!」
「美結、わかってくれ」

ここまで自分たちを慕ってくれる少女を置いていかなければならない近藤たちとて、もちろん辛い。
だけど美結にはまだその気持ちを察することはできなかった。

「なんで?兄さんは美結と一緒にいたくないの?私は兄さんと一緒にいたいよ…!」
「美結…」

近藤の腕に縋りつき、近頃は滅多なことでは泣かなかった子供が涙を見せた。
歳は総悟と一つしか変わらないはずだが、こうして見るとどうにも子供くさく見える。いや、総悟の方が大人びているだけかもしれないが。
少女の言葉に感極まったのかそれとも少女の涙につられたのか、近藤の目にも涙がにじみ始める始末。このままでは「やっぱりつれてくぅ!」とでも言い出しかねないと思い、土方が口を開いた。

「美結」
「と、十四郎さん…」

はらはらと涙を零しながら美結は土方を見た。
昔は顔全面を涙と鼻水でぐしゅぐしゅにしながら嗚咽を上げて泣きじゃくることしかできなかったのに、随分ときれいに泣くようになったものだな、などと妙に感心する。
今年でもう十四になるんだったか。そりゃ確かにこの娘はあの頃の弱虫とは違う。本人が言うように、自分の身ぐらい自分で守れるかもしれない。

だけど、まだまだ子供だ。自分たちに巻き込んでいいほど大人じゃない。

「近藤さんは、お前のためを思ってお前をここに残すんだ」
「…ひっく…」
「それがわからないほど、おめぇは間抜けじゃねぇだろう」
「…っうん…」

美結はこくりと頷いた。
彼女はいつだって土方には逆らわないのだ。親より兄より、誰より彼の言葉に素直に頷く。
それを誰も彼もがよくわかっていて、これで美結のことは大丈夫だろうと、二人の姿を眺めながら安堵していた。

「おめぇが本当に兄貴を思うなら、おめぇは笑って兄貴を送り出してやれ。そんでここで今まで通り寺子屋行って、たまに刀振って、たまに俺たちに手紙書いたりして、平和に生きろ」

土方はそう告げてやさしく美結の頭を撫でてやる。
しばらくは泣き止まなかった美結だったが、やがて落ち着くとごしごしと目をこすって顔を上げた。

「いってらっしゃい、みんな」

作った笑顔は依然涙に濡れていて、無理をしている様子が痛々しかった。
けれど今まで見たどんな女の笑顔より、眩しかった。




 
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