CLOWN×CLOWN


眼差し×抵抗×生き辛い世界


全員が受からない長い道か3人しか受からない短い道か選べという選択。
短い道を選ぶよと、一番最初に自分の意思を示したのはナッツだった。

ナッツがこの試験を受けた目的を知った今、ナッツとしてはあの時長い道を選んだところで何も問題はなかったんだなと俺は気がついた。
すべてをばらしてクラピカの怒りを受け止めてまで、短い方の道を選ぼうとしてくれたのはまぎれもなく彼女のやさしさだった。


「僕はクラピカ君が大切だ。とってもとってもとってもね」


そう言ったナッツの本物の唇と目元には、化粧でわかりにくいけどやわらかな笑顔が浮かんでいて、その眼差しは本当にクラピカが愛しいんだって語っていた。
そしてクラピカももちろんナッツのことを想っていた。そんなのずっと前から、誰の目から見たって明らかだった。
だから目の前で始まった二人の諍いなんて見ていられなかった。
お互いがお互いのことをとっても想ってるのに、どうして争いになるんだろう。

思わず俺は二人の間に割って入った。
ナッツの気持ちは本当に、よくわかった。だけど俺は長い方の道を選ぶという選択をますます譲れなくなっていた。
ここで短い方を選んで、この二人を置いて進むなんてできない。
確かな根拠なんてなかったけど、それはしちゃいけないと直感的に思った。

多数決をとって長い道に決まった時、ナッツは何も言わなかった。
寄せられた眉と細められた目を見る限りでは苦しんでいるように見えたけど、口元には相変わらず笑みがあって何を考えてるのかはわからない。

そして現在俺たちは、長い道から短い道へ渡るために壁を壊そうとしている。
部屋の壁一面にかけられていた武器を使って石壁を砕くんだ。二人ずつ交代しながら作業をしているけど、そう簡単なことじゃない。
ナッツは部屋の壁にもたれかかったまま、俺たちを手伝おうとはしなかった。当たり前だよね、このままタイムオーバーになってもナッツは困らない。むしろそれで目的達成ができるんだ。


「試合やった時にさ、負けたのってわざと?」


俺が休憩の番になった時、ナッツに尋ねた。ナッツは「うん」と事も無げに返してきた。
「名演技だったじゃん」とキルアは茶化す。


「でもさ、あの男の人にナイフ向けた時に顔色悪くなったり汗かいたりしてたのはさすがに演技じゃないよね。迷ってたんでしょ、あそこで勝つか負けるか」


ナッツはそれには答えずに手の中でコインを遊ばせ始めた。コインが白い手袋の上を転がったり、一枚だったコインが二枚に増えたりまた消えたり。
答えないのは正解ってことなのかなって俺は勝手に決め付けた。


「あそこで3回負けてたら、クラピカだけじゃなくて俺たち全員が失格になってた。だから迷ったんだよね。ナッツってほんとにやさし――――」

「でも結局僕は負けることを選んだよ」

「…でも夢の中で、何度も何度も謝ってた」

「…!」


言ってしまえば5試合のうちのたった1試合の話だ。
それにわざととは言え負けたというだけで、この人は罪悪感に押しつぶされそうになるんだ。
一瞬目を覚ました時でさえ、クラピカに対して謝っていた。
今もすっごくいろんなことを考えて、自分を責めてるに違いないと思った。
俺が自分の意見を押し切らずにナッツの言うとおり短い道を選んでいたら、ナッツはさっさと楽になれていたんだろうか。

…ううん、違う。今年が終わったって来年があるんだ。ナッツはまた苦しむことになる。
ならいっそ、やっぱりクラピカは今年合格するべきだ。
それからのことは、二人でいっぱいいっぱい話し合って決めればいい。何にだって、解決策はきっとある。


「…勝手に無意味な謝罪をしただけのことだよ、自己満足に過ぎない。ていうか僕、やさしいとかそういうこと言われるの嫌いなんだ。やさしくなんかない自分に気づいてるから騙してるみたいで嫌気がする」

「どうして?ナッツはやさしいよ」

「ううん、違う」


ナッツはゆっくりと首を横に振って、ぽんと、彼女の隣に立つキルアの頭に手を置いた。そしてまた「ごめんね」と呟いたのだ。
キルアはゆっくり目を見開いてナッツを見る。俺はナッツが何に対して謝っているのかわからなかった。


「君の立場を知っていながら、ひどいことを言ったね。そんなつもりはなかったんだけど、考え足らずだった。ごめん」


キルアの顔が一瞬くしゃりと歪んだ。だけどその後すぐに俯いて「そんなこと…」と小さく漏らす。なんとか気丈に振舞おうとはしているようだったけど、実際その声は少しだけ震えていた。


「…僕が言った言葉に嘘はなかった。だけど僕は、君を彼らと同じ人殺しだとは思ってないよ」

「あ…」


俺はそこでやっと、ナッツの謝罪の意味に気がついた。
「君を…旅団と同じ、人殺しになんかしたくない」
キルアは、暗殺一家の人間だ。


「君と彼らの違いはよくわかってる。間違っても、君を拒絶したかったわけじゃない」

「ほんと…?」

「本当。それにあのブラコンお兄さんの手を抜け出して逃げてきたのにはそれなりの理由があったんだろう?僕は勝手にその理由をとてもポジティブに捉えてるんだけど、どうかな?それがあってるとしたら、僕は君を拒絶するどころかより一層好きになると思うんだけど」


ナッツの言うポジティブな理由ってのは、仕事が嫌になったからとかそういうのだと思う。
キルアは返事をしなかったけど、嬉しそうにナッツに飛びついていた。
俺は全然そんなこと気づかなかったけど、考えてみればナッツに同意した俺もたぶん同じ言葉をキルアに叩きつけたんだ。


「俺もごめん、キルア。キルアの気持ちまで考えれなかった。でも俺もキルアのことは好きだよ!」

「ば!す、好きとかなんだよそれ、はっず!」


…ナッツが言うのはいいのに俺が言うのはダメなんだ。キルアってやっぱ時々よくわかんないな。
それにしてもやっぱりナッツはすごい。クラピカのことをどうするかで頭はいっぱいなのかと思ってたのに、そんな別枠で起こしてしまった過失に今気づけるんだ。
キルアだってすっごく普通に振舞ってて、不自然なところなんかこれっぽっちも見せなかったのに。
俺たちにとっては些細なものに思える言葉一つが、キルアにとっては些細なことなんかじゃなくてとても重たいものなんだ。本当はつい声が震えてしまうぐらい傷ついてたんだ。
それにナッツは気がついた。それで正直に謝った。
それってどう考えたってやさしい人なのに、どうして本人はそれを知らないんだろう。


「ねぇナッツ…俺のことはどう思ってる?」


ナッツは今でも普通に話してくれて普通に笑顔を向けてくれるから、俺はどうあってもクラピカを合格させたくないっていうナッツの目的の邪魔をしたんだという事実を忘れそうになる。
本当なら嫌われてたり疎まれてたりしてもおかしくない。表には出さないだけで彼女は内心相当怒ってるのかもしれない。
だけど俺は図々しくも、そうであってほしくないと思っていた。
このやさしい人に嫌われてしまうのは嫌だと感じた。

ナッツは目を丸くして俺を見ている。同じようにキルアまできょとんとしていて、俺はちょっといたたまれない気持ちになった。


「…変な話だけどさ、僕はさっき…復讐するかしないかはクラピカ君次第だなんて言った君が、少し羨ましかったんだ」

「え…?」


思いもよらない答えに俺は戸惑った。
きゅっとナッツの目元がやわらかい弧を描く。


「僕にはない考えだった。というか…僕には絶対に選べない選択だった。あんな選択ができるのは、クラピカ君を信じてる証拠なんだなって思った」


すぐ傍ではクラピカたちが今も作業を進めている。
この会話を聞いてるだろうか。


「バレるわ失敗するわ、悔しい気持ちは確かにあった。でもね、自分でも馬鹿だなって思うぐらい、嬉しい気持ちもあったんだ」

「うれしい?」

「クラピカ君にはここまで彼を信頼してくれる、こんなにいい仲間がいるんだって…今更保護者目線になるのはおこがましいってわかってるけど、すごく安心した。君があの子と出会って友達になってくれて、本当によかった」


ナッツはそう言うと俺の額から頭にかけてをそっと撫でて、瞼の上にキスをしてくれた。さらに「ありがとう」と囁いて抱きしめられた時には、俺はちょっとだけ泣きそうになった。

大好きなクラピカの進もうとする道を断つっていう決断は、生半可なものじゃなかったはず。なのに、それをわかっていながら止めた俺なんかにお礼とか言っちゃうんだ。
可笑しいぐらいに、やさしすぎる。
たぶんこの場に俺がいるせいで、彼女は壁を壊す作業の邪魔すらできない。協力しないという、それが精一杯の抵抗。

チョコレートみたいな甘さを持つこの人にとって、世界ってすごく生き辛いものなのかもしれない。
あっちにもこっちにもやさしさをばら撒きすぎて、たった一つの願いを押し通すこともできなくなっている。
ナッツってとってもかわいそうな人なんだ。
気づいた時には胸が痛くて痛くて、未だに目頭が熱い。



それからなんとか壁を壊して、滑り台になっていた通路へ出ようとした時にナッツは戸惑いを見せた。
俺はそんな彼女の手を無理やり引く。


「ほら!ナッツも行くよ!」


ここでナッツだけ置いていくなんてありえない。これからナッツとクラピカにはいっぱいいっぱい話をしてもらわなきゃならないんだ。
その上でナッツがどうしてもクラピカをハンターにさせたくないって言うならそれも仕方ないだろう。
それでクラピカがハンターになれなかったとしたら、それだけの実力がまだクラピカになかったってことだ。

でもナッツはその時たぶんまた罪悪感に苦しむんだと思う。そして同じように来年も。
それは嫌だけど、このやさしいやさしい道化師は周りが何を言おうとその自己犠牲を止めないんだと思う。
そう想像するのは難しくない。
だけどそれがわかっている上で俺に何が出来るのか、考えても答えは浮かばなかった。




top

- ナノ -