あかいろ
メネシスの囁き

※麦わら海賊船に乗る刀鍛冶の女の子の話。
付き合ってない。続かない。



一昨日までいたのが夏島で、昨日着いたのが冬島だった。
その寒暖差にやられたのかどうかはわからないが、今朝からユメは熱を出して寝込んでいる。
伝染るかもしれないからと女部屋を出て医務室のベッドに大人しく横たわっていたのだが、買い物に行くチョッパーには「ちゃんと寝てろよ!絶対だからな!勝手に空飛び回ったり刀研いだりするなよ!ベッドの外は寒いぞ!」と念を押された。そこまでユメ自身はチョッパーの指示に対して聞き分けのない方ではないが、なにせクルーの大半が普段からほとんど彼の指示を守らないためにちょっとした患者不信になっている。
チョッパーも大変だなぁと思いつつ、ユメは「わかってるよ。」と、患者を残して行くことに少し後ろ髪の引かれるような顔をする彼を笑って送り出した。

パタンと閉まるドアを見届けて小さく息をつく。
ユメの体は丈夫な方だ。体調を崩すのなんて、初めての酒でひどい二日酔いをした時以来だった。
外は寒いと言われたけれどベッドの中は少し暑い。起きていてもすることがないので寝てしまいたかったが、どうにも息苦しいし寝苦しくてなかなか眠れなかった。
仕方なくぼーっと天井を見つめる。クルーたちはみんな街へ出ているのだろう、この船の普段の昼間なら考えられないぐらい静かな時間だ。

少しさびしい。
久しぶりの感覚だった。この船に乗ってからというもの、そんな気持ちとは一切無縁だったから。
その時、コンコンコンと医務室の扉が軽くノックされた。
ユメはチョッパーが忘れ物でもしたんだろうかと考えたが、開いた扉の前にいたのはおそらく今日も船番をしていると思われる男だった。

「ゾロ…どうしたの?」
「具合はどうだ?」
「結構つらいかな。…で?何したの?なんか変なものでも斬った?ちょっと今さすがに動けないから…刀はそこか鍛冶場にでも置いといて、またあとで見るから。」
「は?」
「え?」

わざわざこんな場所にやってくるほどの何をやらかしたのかとユメは刀のことばかり考えていたが、そういうわけではないのかゾロはあからさまに不機嫌そうな顔を見せた。

「なんで俺が単純にお前の様子を見にきたって考えがねーんだ。何もやらかしてねーわ。」
「へ…」

そんな気が使える人間だったっけ?
とはさすがのユメも口にはしなかったが、意外だという表情は隠せなかった。
それを見てさらに口をへの字に曲げるゾロだが、別にそれで部屋を出るわけでもなく黙ってベッドの隣の椅子に腰掛けた。

「ごめん…心配してくれてありがとう…。でも風邪うつるかもしれないし、離れてた方がいいよ。」
「風邪なんか引くほど俺はやわじゃねぇ。」
「あーもう、はいはい、わかったよ。けど私、今から寝るよ。」
「ああ。とっとと寝てさっさと治せ。」

出ていかないんだ、とこれまたユメは不思議な気持ちだった。
暇があればとにかく体を鍛えているような男なのに、わざわざ人の睡眠を見届けようとはどういう風の吹き回しだろうか。
…単純に心配してくれてるんだとしたら、結構うれしい。

無意識に口元が緩む。それまで感じていた息苦しさが少しやわらぐような気もした。
このいい気分のまま寝てしまいたい。
けれどどうやら先程よりもかなり熱が上がっているらしく、寝苦しいことには変わりなかった。

「眠れねぇのか?」

寝ると宣言した割にいつまでも布団の中でもぞもぞと体勢を変えるユメにゾロが問いかけた。
ユメは虚ろな視線をちらりとゾロに寄越して小さく頷く。

「薬は。」
「…次に飲んでいいのは四時間後だってチョッパーが言ってた。」
「長ぇな。」

汗ばむユメの額にゾロが手のひらを置いた。
冷たそうな手にはとても見えないのに、少しひやっとするぐらいそれが冷たいのにユメは驚いた。

「ゾロって手、冷たい人だったっけ。」
「ああ?ばか、お前のデコが熱いんだ。ちょっと待ってろ、手拭い濡らして持ってきてやる。」
「…ありがとう…」

ゾロって看病とかできるんだ。
ユメは失礼なことを考えた。

それから少しもしないうちにゾロが手拭いを持ってきてユメの額に乗せた。
不思議なもので、別に手拭いに熱を下げる効果があるわけでもないのにこれだけのことで少し楽になるものだ。
心無しかユメの表情もやわらかくなった。

「…もう一つお願いしてもいい?」
「なんだ?」
「手貸して。」

ユメが布団の脇からゾロに向かって手を差し出すと、ゾロは何の躊躇もなくその手を握った。
するとユメはその手に指を絡ませ、口元だけで微かに笑う。

「このまま握ってて。そしたらなんか…眠れそうな気がする。」

水に触れてさらに冷たくなったゾロの手の温度がユメの手のひらに伝わる。
それが気持ちいいのもあるが、何より大きな手に包み込まれる安心感がユメの眠りを促した。
苦しいだけではない、穏やかな心地で目を瞑る。
先程までとは打って変わって一瞬で意識がふわりと浮くようだった。

「おい、お前…他の奴にはこれするんじゃねぇぞ。」
「ん?」
「他の奴の手握って寝ようとするんじゃねぇぞ。」
「他の奴って?」
「エロコックとかルフィとかウソップとか。」
「どういうこと?こんなこと、ゾロにしか頼めないけど。」

ユメの言葉にゾロは軽く目を見張った。
繋いだ手に思わず力がこもる。

「だって他の人だと風邪うつしちゃうかもしれないし。ゾロはうつらないんでしょ?やわじゃないから。」
「…ああ?」

なんっだその理由。
ユメは色っぽさの欠片も無い、こちらを少しバカにするような、揶揄うような目をしている。
他の奴の手を握るななんて言った意味をちっとも理解していない。
ゾロはやれやれと息をついた。
さらに「あ、それと」とユメはくすくす笑う。

「なんとかは風邪ひかないとか言うしね。」
「…誰がバカだ誰が。……けど、そうだな…」

ゾロは徐に立ち上がって、ユメの顔の横に手をついた。
それに対してユメは眠たげな目をきょとんとさせて、少しの警戒心もない空気で「どうしたの?」と問う。
その次の瞬間には二人の唇が重なっていた。

「うつせるもんならうつしてみろ、ばーか。」

それはほんの数秒触れるだけで離れたが、ユメが目をひん剥いてさらに一度ほど体温を上げるには十分すぎるものだった。
してやったり顔で笑うゾロを見つめながら、ユメの頭には疑問符ばかりが浮かぶ。

ばーか?誰がばかだ私は風邪引いてるんだからばかじゃねーんだよ何言ってんだばーか。
そんな挑発のためにわざわざキスなんかしたのか?貞操観念どうなってんだ。てか絶対今ので熱上がったじゃんか看病になってねーだろばーかばーかばーか。

脳内ばかりは元気だが実際のユメはあまりの高熱にぐるぐると目を回していた。
言いたいことはたくさんあるけどもう全部後回しだと、とりあえず重くて仕方ない瞼に抗わずに目を瞑る。

「…おい、普通この状況で黙って寝るか?」
「うるせー…もうお前も寝とけ」
「…そうするか。おい、ちょっと寄れ」
「は?」

黙ってろの意味での寝とけだったが、ゾロはなんと当然のようにユメをベッドの端に押しのけると、そのベッドに乗り込んで腕を枕に眠る体勢を取り始めた。

「せっま!てかゾロ船番でしょ!がっつり寝ようとするな!」
「なんかあったら起きるからいいだろ。……ぐぅ」
「寝るのはや!!!」

普通のシングルベッドなんて筋骨隆々のゾロにはただでさえ狭いのに、なぜ病人と同衾なんてしようと思うのか。同衾させられる人間がどれほど肩身の狭い思いをすることになるかわからないのか。
さすがに怒りのあまり「起きろ!出ろ!」とユメはゾロの顔を鷲掴んでベッドの外に押し出そうとしたが、高熱でロクに力の入らないユメの腕力では眠っている相手でさえびくともせず、しかもあろうことか寝ぼけたゾロにその手を取られ、もう片方の腕で抱き枕よろしく強引に懐に抱き込まれてしまった。
そのあまりの手癖の悪さにユメは一瞬目の前のこの喉仏に噛み付いてやろうかとまで考えたが、思いのほか腕の中の居心地が悪くはないことに気づき、疲労感もピークに達していたことからもう諦めてこのまま眠ることにした。

だけどこのまましてやられてばかりなのも癪である。
ユメはぐっと顔を上げ、渾身の力を振り絞って首を伸ばして、だらしなく半開きになっているゾロの唇に再び口付けた。

「絶対うつれ。」

浮ついた気持ちは微塵もなく、一見睦言のような囁きはまごうことなき呪いの言葉であった。


そして翌日、呪いの甲斐あってかなくてか、見事にゾロは熱を出した。
打って変わってすっかり平熱に戻ったユメはそれ見た事かと笑いが止まらない。

「風邪なんて引くときゃ引くのに何を調子に乗ってたんだか。」
「…てめーの呪いのせいだろうが。」

ユメはぎょっと目を丸くした。

「あの時起きてたの?」

バレてたとなるとなんとも気恥ずかしい。
ユメは顔を赤くして、やってられるかと医務室を出ようとした。

「おい、待てよ。」

ベッドの脇からゾロが手を伸ばす。
昨日とはまるで立場が逆だった。
ユメはそれを目にとめて、はぁと小さなため息をついてから再びベッドの傍に戻る。
そして昨日より随分温かくなったその手をそっと握るのだった。


「あんま冷たくねーな」
「…うるせーばか」



back



- ナノ -