あかいろ
そしてこの言葉を君に捧ぐ

「はぁぁぁやっぱ潔子さんはいいよなぁ」
「そうだねー」
「夢野ももう少しあの清廉さというかなんというか見習ってだなー…」
「西谷うるさい、黙れチビ助」
「な!」
「見習えたらとっくに見習ってるもん、ばーか」

私は潔子さんみたいな美人じゃない。
てきぱき動ける器量良しでもない。
せめてなんとかマネージャーっぽくなるようにと思って使ってきた「がんばれ」の言葉も、日常的に消費しすぎてもはやなんて価値のない一言に成り下がった。

だから私は心底羨ましいと思うのだ。
あの小さな小さな「がんばれ」の一言で、あれだけ部員たちを感動させられた彼女のことを。




「はいラスト一本ー!がん―――…」

がんばれ、といつもなら続くはずだった言葉を私は飲み込んだ。
目の前では田中のスパイクがバシンと音を立てて決まった。
当たり前のことだけど、私の「がんばれ」なんかなくったってみんな頑張ってる。
スパイクもレシーブも、出来るときは出来るし出来ないときは出来ない。私の言葉なんて関係無しに。

そんな事実に私は今更ながらに打ちのめされていた。
毎日私が叫ぶ「がんばれ」より、ここぞという時の呟きの「がんばれ」の方が選手にとっては価値があったんだ。

あの日から、軽々しく「がんばれ」と言うことを私は恥ずかしく思うようになった。
そうやって開けっぴろげに選手を鼓舞することができる点は、私が唯一潔子さんに勝てる部分なのだと信じていたのに…そうじゃなかったから。
勝ててる、などと感じてた時点で穴を掘って埋まりたいぐらいに恥ずかしいし情けない。
この体育館にこうして立っていることすらもはや恥ずかしい。

今まで私は何をしてきたのだ。美人でもない器量も良くない、今まで簡単に大事な言葉を浪費し続けてきた私は、これから何をするのだ。
マネージャーとしての私の価値はどこに存在する。
ここに私は必要か?

ぐるぐるぐるぐる。
潔子さんのことは大好きだ。とってもやさしくてかわいくて、すごく尊敬できる先輩だ。
…だからこそ生まれる劣等感、か。

どれだけ考えたって仕方ないぐちゃぐちゃとしたこんな汚い感情をどこにやろう。
別に潔子さんへの対抗意識でみんなの応援をしてきたわけじゃない。
ただ、選手のみんながほんの少しでも私の「がんばれ」で「がんばろう」って気持ちになってくれたら、って…そう思ってきただけだった。
だけだったのに。

「西谷ナイスレシーブー」

勝手に比べて恥ずかしくなって、マネージャーというものからすら逃げ出したくなってる私はかなり馬鹿だ。
わかってるけど、どうしようもない。
がんばってる選手に本当は今でも「がんばれ」って言いたいけど、言いたい気持ちを羞恥心が邪魔してくる。

潔子さんと私を比べたって仕方ないのに。
今更私が「がんばれ」を丁寧に扱ったって、それを雑に扱い続けてきた私の吐くそれの重みなんてもう大して変わらないのに。

「あー日向君どんまい!はいはいいつまでも悔しがってないで、が―――」

いつもの調子で口元まで上った言葉が、頭だけ出てまた戻る。
私の「がんばれ」は無意識の域で飛び出てくるのだ。嗚呼私は本当に、なんて乱暴にその言葉を使用していたんだろう。
同じ言葉でも、あの人が使えばあんなに価値を感じたのに。こうも違うとやっぱり憂鬱になる。

…いっぱい仕事しよう。
マネージャーとして、潔子さんのようにちゃんと選手を支えられる立場にならないと。

「あの、夢野先輩」
「ん?何かな日向君」

休憩中、キャプテンと練習メニューについて何やら大事そうな話をする潔子さんとは違い、有意義に時間を過ごせる方法がみつからなかった私はとにかくボールを磨いていた。とりあえずこういう時はボール磨いといて損はないだろ。
そんな私の顔を覗き込んで、かわいい後輩君は不安そうに言う。

「顔色は別に普通みたいですけど…先輩、どっか悪いとことかありますか?」
「へ?」
「なんか最近、先輩ちょっと様子が変だから…」

…態度に出してるつもりなんかなかったのに。
驚きつつも私は平静を装って「別になんともないよ」と告げた。
あまり他人に対して敏感ではないだろうと思われる日向君に疑われるほどだ、私は私が思っている以上に何かが変なのかもしれない。
これからは気をつけよう。そう決めて笑顔で日向君を練習に送り出した。

「…潔子さん、最近の私って何か変ですか?」
「え…?うーん………もしかして太った?」
「………マジですか……」
「冗談よ」

こんのおちゃめさんめ!
思わぬダメージを食らったがとりあえず潔子さんにこの薄汚い中身がバレてる様子はないなと思いながらコートを眺めた。
みんないっぱい汗を流してがんばってる。
マネージャーって、そういうのがこんなに間近で見れるのがいいんだよね。

「いいぞ西谷ーがんっ………」

ぬぐうううううううう…
辛い。部活が辛い。




***




「おい夢野!」

こんなことを繰り返すのはもう何日目になるんだと肩を落としながらの帰り道。
聞きなれた同級生の声に呼び止められて、めんどいながらに振り返った。

「何?」
「お前最近どうしたんだ!」
「…………」

この潔子さん馬鹿にまで気づかれてたか。
げんなりと私は歩を進める。西谷も隣に並んで歩き出した。

「それなんか今日日向君にも言われたけど、一体何がおかしいっての?まったくわからんわ」
「だってお前、がんばれって言わねぇじゃねぇか!」

思わず私は息を詰めた。
そのまま隣に目を向けると、奴は眉尻を上げて睨みつけるかのように私の目を見ている。
その目に囚われながら、息をするのも忘れて私は馬鹿みたいに固まっていた。

だってあんだけいつも必死にプレーしてるこいつが、そんなことに気づいてるなんて思わなかった。
外野の私の言葉なんて、浪費し続けてきた「がんばれ」なんて、意識して聞いてなんかないんだろうと。
潔子さんの「がんばれ」と違って露ほどの価値もない私の「がんばれ」がなくなったところで、誰も疑問になんて思わないんだろうと。

「い…言わないから、なんだっての。潔子さんを見て私も学んだんだよ、馬鹿みたいに『がんばれ』を繰り返してたって仕方ないんだなって」

うれしかった。気づいてくれたことが少なからず嬉しかった。
今までちゃんと聞いてもらえてたんだと思うと報われた気分になった。
だけどここで礼を返すのもおかしな話で、私はとりあえず適当に当たり障りなくしゃべった。

「ほら、あれだよ、これからは省エネの時代ですからね…」
「……お前馬鹿だな…潔子さんを見習うんなら、もっと他のとこだろうが…」
「んな!」

心底呆れたようにそう言われて、私のさっきの嬉しさなんてすぐに吹っ飛んだ。
やっぱりこいつはデリカシーとか思いやりとかそういうのに欠けるんだよな!

「うっさいなぁ、潔子さん見習えとかなんとか言ったのはそっちじゃん!」
「別に何もかも見習えってわけじゃねーだろ」
「何よ、私が『がんばれ』を言わないからって西谷が困ることなんて何もないでしょ、潔子さんのたまーの『がんばれ』の方が嬉しいんでしょ」

もう完全に私の台詞が愚痴になってきた。
こういうのやだな、自分が女々しいのがよくわかる。別に嫌味を言いたいわけじゃないのに、自然とそんな言葉になってしまう。
話し相手が西谷だから余計だ。
こいつがいつも潔子さん潔子さんってうるさいから、私は彼女のようになりたいと思ってしまう。
あーあ…西谷の言ったとおり、やっぱ私馬鹿だ。なんでこんな潔子さん馬鹿が好きなんだろう。

訳も分からず泣きたくなった。たぶん自分の言葉に大いに傷ついたんだろう。ばかだ。
「ごめん変なこと言った、忘れて」
自分の過失に謝って俯いた。まんま、焼きもちやく女の台詞だったな。
マジで穴掘って埋めてくれ。

涙腺が緩んで一緒に緩んでしまった鼻をすすりたくなったけど、そんなあからさまに泣いてますアピールをしたくなくて耐える。
その時西谷がなぜか私の手を掴んだ。びくりと思わず肩が震える。
そして奴は言った。

「何わけわかんねーこと言ってんだお前」

…ええ、ええ、そうですね、わけわかんねーですよね、私だってわからんですよさーせん。
もうほっといてくれよデリカシーなし男が。
投げやりになって私は思い切り鼻をすすった。
私の手を掴む西谷の手にぐっと力が入る。

「潔子さんの『がんばれ』は確かに嬉しい!けどな、夢野の『がんばれ』がないと俺は困る!」
「……は…?」

何を言ってるんだと私は顔を上げた。
西谷はまっすぐ私を見ていた。だけどめずらしく眉は困ったように寄せられて、ほっぺたはほんのり赤かった。

「いつも練習とか試合とかでお前が『がんばれ』って叫んでくれてるから俺、『がんばろう』って思うんだよ!だから言え!今まで通り『がんばれ』って俺たちに叫べ!」

ぽかん。
私は無意識に瞬きを繰り返した。その拍子に、瞳に溜まってた涙が落ちそうになって焦る。
え、ええっと…

「…私が『がんばれ』って言ったら、西谷は『がんばろう』って思うの?」
「当たり前だろ!」
「ほんと…?」
「…?ほんとだ!」
「私、潔子さんみたいに大事にその言葉使ってないんだよ?ほんとに雑に使うんだよ?それでいいの?」
「?よくわかんねーけど、別にいいんじゃねーの?とりあえず俺はお前に『がんばれ』って言われたいんだよ」

西谷の手がすごく熱い。
私は瞳を涙で濡らしたまま笑ってその手を握り返した。

鬱々としてた気持ちは一瞬でどこかへ消えた。
潔子さんのようにはなれない。けど私の浪費し続けた「がんばれ」が欲しいと言ってもらえるなら、これ以上うれしいことってない。

「ありがとう西谷。わかった、明日からちゃんといつも通りにするよ」
「お、おう!」

早く明日になってほしい。ここ何日かずっと溜め込んだ「がんばれ」を早く叫びたい。

「西谷」
「なんだ?」
「私、がんばってる西谷が好きだよ」
「…!」
「だから明日もがんばってね」

明日を待ちきれなくてフライング。
真っ赤になって無言で頷いた西谷は見ものだった。




日常的に使い続けた「がんばれ」の言葉。
それは決して浪費ではなく、すべてが君の糧だったのだと信じていたい。

私の言葉でがんばれると言ってくれた、君のため。
私は明日からもその言葉を贈り続ける。


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