04

「おいそこ、腰が引けてるぞ!しっかりやれ!」

九番隊は現在草原にて全体演習を行っていた。
竹刀ではなく刃引きした真剣を使って全体の緊張感を高め、紅白に分かれて実戦形式で戦うこの演習は修兵が考えたものであった。
修兵自身は演習には参加せず、小丘で全体を見ながら時折先程のような指示を出しているが、指示に対する隊士達の返事も威勢がよく、また争いを好まない九番隊の保守的な隊士達にしては割と士気も高く、今回の訓練はかなり成功のように思えた。

「おーやってるやってるー。どう?修兵。調子の方は。」

そろそろ休憩にするかな、なんて考えていたその時、修兵の後ろに訓練不参加だったはずの露草が現れた。

「ああ、紅白に分かれて実戦形式での演習をやってるんだ。まぁいい感じだと思うぞ。」
「ふむ」
「露草は書類が終わらないから今日の訓練は参加できないって話じゃなかったか?」
「ちょっと休憩がてらね。皆に卍解させてやるとまで言ったのに演習初っ端から私がサボってちゃ示しがつかないし。」

露草が九番隊隊長として就任して早幾日。
道場での剣術稽古や武術稽古はほぼ毎日行ってきたが、全体演習を行うのはこれが初めてだ。
修兵としては演習の現況には自信があり、露草にもきっと満足してもらえるだろうと思っていた。
しかし修兵の意に反し、

「にしても…実戦形式にしてはぬるいね」

露草はがっかりだと言わんばかりだった。
え?と修兵は思わず顔をしかめた。

「こんなんじゃあどれだけやったって仕方ない。ストーップ!みんな一旦ストーップ!」

口元に手を当てながらそう叫ぶ露草。
彼女がやってきていたことに気づいていなかった隊士たちは、その声に驚いて動きを止めた。

「一回休憩入れて、仕切り直しにしよう!休憩後は私も参加するよ!」
「え!いや、紅白戦に隊長が参加するのはさすがに…」
「ん?ああ、そっかパワーバランスとか難しくなるかな。じゃあ一旦方式変えよう!次からはその鉢巻必要ないから、外しといてねー」

パワーバランスもそうだが、未だ露草を受け入れきれないでいる隊士達と露草の信頼関係では、紅白戦はまだ難しいのではないかと修兵は考えていた。味方側であるにしろ、敵側であるにしろ。
露草がそこまで考え至ったかはわからないが、何しろ気まずい紅白戦は回避出来そうで安心した。

しかし隊士達の方はどうやら露草の指示に不満らしく、近くの小川へと足を向かわせながら愚痴をこぼしていた。
隊士達側からしても、先程までの紅白戦は手応えがあったのかもしれない。突然やってきてなんなんだなどと、ひとつひとつの声は大きくはないが、声だって塵も積もれば山となる原理で、小丘の上にいる二人の元に届いてきた。

「…あいつらに注意してくる」
「いいよ別に。まぁこうなるだろうなとは思ったから」
「けど…」
「それに、これでいいんだよ。嫌われてるぐらいの方が次の訓練はやりやすいから。」

隊士たちの態度に露草は怒るわけでも傷つくわけでもなく、けれど何を考えているのかはわからない視線を彼らに向けていた。
露草は素直な性格ではあるが、こんな風に腹の中を見せないことも多いと修兵は感じていた。

隊士たちにとって露草の第一印象はあまりいいものとは言えない。
露草の仲間を死なせたくないという思いを聞いて多少変わったところはあるかもしれないが、それでも露草の若さ、性別、小柄でか弱そうな見た目、長い遠征による護廷隊に対する無知さ、素直だが横暴でわがままになりがちな性格…などなど、とにかく露草には隊長としては受け入れ難い要因が多すぎた。
そして日が経つごとにその印象は改善されるわけではなく、むしろ悪化していた。
露草が特に何をしたというわけではない。強いて言うなら特に何も無かったことが問題だった。
あの事件以降何事もなく平和を保っている瀞霊廷内では、露草の日々はデスクワークと鍛錬の繰り返しでしかない。
そんな中で隊長らしい何かをしろなんてのは実際無理があるが、隊士達の中では“隊長らしくない隊長”に対する不満が加速してしまった。
しかも隊士達が好き勝手に陰口を言おうが文句を言おうが露草は反論することがないので、彼らも図に乗って『何かコネを使ったに違いない』『あんなの弱いに決まってる』など今や言いたい放題なのが現状だった。

少なくとも修兵はこの状況をよく思っていない。
が、陰口叩くな文句を言うなと注意するのは簡単ではあるが、それでは根本的解決には至らない。
露草が反論をしないのもそれがわかっているからかもしれない。
けれどこんな状況では隊がまとまるわけがなく、次の有事にも備えられない。九番隊が新たな隊として前を向くために今何をどうするのが正解なのか、ここ数日修兵は考えあぐねていた。

「修兵は引き続きここで見といてね。ちょっくら行ってくるから。」

休憩を指示してから約十五分後、露草はそう言うと小丘を離れ、先程まで隊士達が紅白戦を繰り広げていた草原に降り立った。

いまいちやる気があるのかないのかわからないその背中。
彼女のことがまだ掴めない。それも隊士たちの不満を呼ぶのだろう。
…いや、正しくはそうではない。隊士たちも、気に入らないということぐらいで腹を立てているわけではない。
彼らは不安なのだ。
この隊長で大丈夫かという不安…安心を得たいという気持ち。それが不満になってしまっていたが、じゃあ一体どうすれば安心できるのか…本人たちにもそれはわからない。

「休憩終了ー!そんで集合ー!」

露草の号令に、隊士たちは渋々といった様子で集まった。
隊長の号令にも関わらずこんなにたらたらと歩く隊士達の姿など見たことがないと、修兵は不安げに眉を寄せた。

「はい、じゃあ訓練の続きしまーす。」
「一体何するんですか、隊長。」

隊士はわざと隊長≠強調させてそう言った。

「想定演習です。もし隊の中で反乱者が一人出たらどうするか。」
「「「!?」」」

露草の言葉に皆が目を丸くした。
それは東仙隊長のことを言っているのかと、思わず修兵も拳に力が入る。
馬鹿にしているのか、嫌がらせか、揶揄される覚えは無い。怒りを顕にした隊士達から口々に、隊長相手とは思えぬ罵声が飛ぶ。

「…私が君たちに嫌がらせするためにこの演習を考えただなんて、本気で思ってんの?」

いつもより幾分か低く、めずらしく怒りを孕んだ声と、膨れ上がる露草の霊圧が隊士達を圧倒する。
一瞬にして空気が張り詰めた。

「一度失敗したことは、二度と繰り返さないよう対策を講じる。当たり前のことでしょ。」

露草が刀を抜いた瞬間、誰かの喉がゴクリと鳴った。

「君らはなぜ前隊長の反乱を止められなかった?隊長だから、強いから仕方ないの?違うでしょ。君らは止められなかった己の腕を恥じなきゃいけない。無駄に自信を持った剣を振ってる場合じゃない。」

みんなこの事は気にしてるみたいだったし触れないつもりでいたけど、あまりにもきらきらした顔で自信満々な紅白戦なんてしてるから我慢できなくなっちゃった。
後に露草は修兵にそう語った。
訓練の様子に満足していた修兵が気まずい思いをしたのは言うまでもない。

「反乱者は一人。たった一人。それを迅速かつ被害を最小限に捕まえる。もしくは殺せ。」

露草のいつものほがらかな笑みは消え失せ、ぼんやりしがちな目は獲物を前にした獣のような鋭さを帯びた。
これまで剣術にしろ武術にしろ、露草は修兵と共に指南役として稽古に参加していたが、思えば隊士達がその腕を見る機会は無かった。
それもあって弱いだなんだ勝手な評価が一人歩きしていたが、今ならわかる。

隊長≠ニいう存在と自分たちの格の違い。

圧倒的な露草の霊圧の渦に飲み込まれ、隊士達は指先一本でさえも動かせずに固まっている。

「その反乱者役はもちろん私。鬼道でも何でも使っていい。本当に反乱が起こったと思って、全力で私を止めること。…殺すつもりで構わないよ。」

隊長自ら、随分体を張った訓練だ。
二百人弱の隊士達に対して露草一人の多勢に無勢。隊士達は刃引きの刀とはいえ、もし当たりどころがわるければ…

「あ、そういえば、刀。斬魄刀使っていいよ。私が持ってるのもそうだし。」

露草の言葉に修兵は呆れるような惚れ惚れするような、複雑な気持ちで息をついた。
刃引きの刀でさえ心配したのに、斬魄刀を使えとは。
けれど露草としてはそこまでしないと意味が無いのかもしれない。訓練の趣旨としても、露草が己の力を示すにも。

隊士達が刀を持ち替える暇を作るためか、膨大に膨れ上がっていた露草の霊圧は瞬時になりを潜めた。
強者こそ自分を弱く見せるのが上手いという。隊士達はそれを身をもって体験していた。

「というわけで、ガチでやらないとそっちだって怪我するからね。」
 
隊士達全員が刀を持ち替えたのを確認し、露草は少し腰を落として下段で刀を構える。
修兵は自分が隊士達の輪の中にいないことが残念なような、安堵するようなどっちつかずな思いで、再び膨れ上がる露草の霊圧に固唾を呑んだ。

「いつでもかかってきていいよ。」

そう言われても隊士たちは動けない。刀を構えた状態で冷や汗を流しながら固まり続けている。

「…のろのろしてると――」

一瞬で一人の隊士の元に移動した露草。

「また失敗しちゃうぞ?」

誰も反応できていなかった。
その隊士が後ろに吹っ飛んだことで、やっと露草の居場所を把握する。

「最初に言ったでしょ?私って平和主義なんだから。無駄に仲間を傷つけるような真似させないでよね。」

言葉はいつもの露草だが、雰囲気はまるで違った。
距離のある修兵にすら届く露草の闘志がびりびりと肌を刺す。彼女は本気だ。

「う、うおぉおお!!」

勇気ある一人が飛び込んだのにつられて、隊士たちは一気に動き始めた。
それにニヤリと笑う露草。
暗い瞳が一瞬、ゆらりと鈍い炎を灯した。

「無茶苦茶に飛び込むな!お互いの刀で怪我するよ!」

「広範囲への技は周りを確認して使え!仲間を殺したいの!?」

「私の動きを予想して動け!私の動きを追ってちゃ遅いでしょ!」

「今何してるかわかってる!?格上の相手を自分一人でどうにかしようとしない!連携とれ連携!」

露草は隊士たちの猛攻撃を全てかわし、時には仲間の技に巻き込まれそうになった隊士達を助けながらも的確に指示をする。
もちろんやられっぱなしではなく露草も反撃はするが、隊士を斬りつけることはしていない。全て峰打ちか打撃。それでも、隊士は一撃を食らうともう立てないでいた。
結局、それから十分もしない間に隊士たちは全員地に伏した。

「もう終わりー?まったく…こんだけいて私に傷一つつけられないの?」

始解すらしていなかった刀を鞘に戻した露草。
先程までの覇気も威圧感もまるでなく、またもやどうしてこれに負けたのかわからないと感じるぐらい、あまりにも普通の女がそこにいた。

しかしこの多勢に無勢でありながら手も足も出ず、今なお立ち上がることもままならない体の痛みに誰もが思い知らされた。
隊長≠フ力は間違いなく本物だ。

「けどさっきの緊張感はよかったよ。私もちょっとぴりっとしちゃった。もっとちゃんと連携を覚えればみんなはまだまだ強くなれる。またがんばろ。…さ、じゃあ修兵、みんなを四番隊へ連れてってあげてー!」

一人呆然としていた修兵に唐突に声がかかった。
まさかこのために自分は残されていたのだろうか。

「打ち身だってほっといたらダメだからね。全員ちゃんと手当してもらうんだよ。」

「ね?」といたずらっ子のように笑う露草のその表情を見て、未だ地面に座り込む隊士たちは毒気を抜かれた気持ちになった。
最初はかなり頼りなさげで。さっきはあんなに恐ろしくて。今はこんなにも愛らしい。
不思議な人だと思わざるをえなかった。

「じゃあおつかれー」
「あ、え、蒼井隊長!?どちらへ!?」
「言ったでしょー私ちょっと休憩のつもりで来ただけだから。執務室に戻るよー。」
「ちょっと休憩…」

そう言えばそうだった。
大きなあくびをしながら隊舎の方へ戻って行く無傷の露草を、皆黙って見送るしかなかった。

「…隊長のこと、コネだなんだ言ってた奴は反省しろよ」

思わず笑ってしまった修兵の言葉に、隊士たちは苦笑しながら俯いた。
いっそ清々しい。隊士達の不安に露草は当然気づいていて、説き伏せるでも時を待つでもなく、圧倒的な力でねじ伏せた。
そのうち認めてくれたらいい、なんて言っていたにも関わらずしびれを切らすのは案外早かったみたいだ。
しかしかなり強引ではあったものの、あの人についていけば俺たちは強くなれそうだと、彼らがそう思えるようになったのは間違いなかった。

「…今日は九番隊全員で飲みにでも行くか。もちろん露草――じゃねぇ、蒼井隊長も誘って。」

隊士たちは全員、「いいですね」と頷いた。




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