よみもの



黒衣の騎士






 二学期からセルティア学園に転入してきた少年Aは、たった今恋に落ちた。西日の差す放課後の図書室で、橙の光の中に静かに溶け込んでいたひとりの少女に。

 書架の前で背伸びをしながら手を伸ばしていたので、その白い指の先にあった厚い蔵書を取って渡してやったら。

 少しだけ少年Aを見上げた後、そっと視線を下にやりながら、ぎこちない口調で「ありがとう」と言い、ギュッと蔵書を抱きしめた彼女に。

 ビビビ、と雷撃を受けたかのような衝撃を受けた。

 これぞ恋。

 そう気付いた少年Aは、彼女のことが知りたくなり、次の日、仲良くなったクラスメイトに訊ねてみることにした。


「誰か、ハニーブラウンのおだんご頭の、天使のようにかわいい女の子を知らないか!」

 クラスメイトたちはきょとん、と目を丸くさせた後、互いの顔を見合わせた。

「色白で?」

「そう、色白で!」

 クラスメイトの質問に、少年Aは首を大きく縦に振った。

「細くて」

「そう、守りたくなるような」

「翡翠の目の」

「そう!」

「ツンデレ天使」

「そうそう! ……って、知ってるのかー!?」

 少年Aはクラスメイトの胸倉を掴んだ。

「そりゃ、2組のリディル=カーヴァンスだ」

 少年Aを宥めながら、横から別のクラスメイトが教えてくれる。

「でも、なあ」

「なあ」

 クラスメイトたちは目配せしあう。そして、少年Aの肩をポンポン、と叩いた。

「悪いことは言わない。リディル=カーヴァンスはやめとけ」

「なんでだ?」

「だって、なあ」

「ああ。ホラ、1組のフェイレイ=グリフィノーがいるしな?」

「なに? 彼氏か!?」

「いや、幼馴染だろ?」

「なら問題ないじゃないか」

「いや、幼馴染という名のただのバカップルなんだ」

「……でも幼馴染なんだろ? 彼氏じゃなくて」

「まあ、そうだけど。でもやめとけ」

「それがお前の身のためだ」

 クラスメイトたちは一様にそう言い、少年Aを説得しようとしていた。だが、少年Aは諦めなかった。

「彼氏じゃないなら何を遠慮する必要があるんだ。俺は諦めない!」

 少年Aはそう言い、燃え盛る胸の内をリディルへと伝えるべく、教室を出て行った。

 授業が終わり、帰り支度にざわついている廊下をかけていき、2組の教室の前まで来ると。ちょうど、前のドアからリディルがカバンを持って出てきたところだった。

 少年Aはすうっと息を吸うと、リディルに向かって叫ぼうとした……のだが。

 その前に首根っこを捕まれ、物凄い力で引き摺られていき、階段脇の暗がりへと投げられた。

「な、なんだっ?」

 おしりから廊下に転がされて痛みに顔を上げると、目の前で竹刀の先がピタリと止められていた。

 驚いて目を丸くすると、低い声が響いてきた。

「お嬢様に何の用ですか」

 短い黒髪に漆黒の瞳を持つ、美形だけど怖い顔の男が、鋭い瞳で少年Aを見下ろしている。男は髪色と同じ、真っ黒なジャージを着ていた。

「お、お嬢様?」

 少年Aは状況が分からず、混乱したまま訊いた。

「リディルお嬢様ですよ。今声をかけようとしていたでしょう?」

 黒ジャージの男の瞳が、一層鋭く光る。

「え、いや、そうですど……ええと、貴方は……?」

「お嬢様の兄上に仕える執事、兼この学園の教師です。担当は体育」

「先生ですか!」

「それで、お嬢様に何の用ですか?」

 目の前の竹刀が額にグリグリと突き刺さった。

「いでででで、先生がなんでこんなことを〜!」

 額を押さえながら後退ると、黒ジャージの先生は冷たさすら感じるほど、鋭利な視線を向けてきた。

「我が主人の命令です。お嬢様に邪な気持ちを持って近づこうとする輩は、すべて排除します」

「えええ〜!? そ、そんな横暴な! 権力で人を好きになる気持ちを押さえつけようだなんて、間違ってますよ!」

 少年Aは勇気ある少年だった。震えながらもそう反論すると、黒ジャージの先生は軽く溜息をついた。

「確かにその通りですね。では、チャンスを与えましょう」

 黒ジャージの先生は、竹刀を2本、少年Aへ渡した。

「君が3人の男を倒せたら、リディルお嬢様に声をかける権利を差し上げます」

「3人?」

「私と、兄上であられる理事長、そして……」

 黒ジャージの先生が振り返ると、大声でリディルの名前を呼びながら彼女に近づく赤髪の少年が目に映った。

「フェイレイ=グリフィノー。まずは、彼を倒してきなさい。彼すら倒せないような男は論外だという、主人のお言葉です」

 少年Aは何だかよく分からないが、竹刀を握り締めた。

 とにかく、あのリディルの幼馴染だというフェイレイを倒せなければ、声をかけることすら許されないということだ。

 少年Aは奮起した。リディルに声をかけたい一心で。

「フェイレイ=グリフィノー!」

 リディルと並んて廊下を歩いていたフェイレイを、仁王立ちになって呼び止める。

「決闘を申し入れるー!」

 少年Aの叫びに、周りがざわめいた。

「またかー」とか、「久々だねー」とか、そんな声が上がる。

 それには気付かず、少年Aはフェイレイに竹刀を放った。フェイレイはそれを受け取り、少年Aを見つめる。

「えーと……誰?」

 転校生である彼のことを、フェイレイは知らなかった。

 少年Aはフェイレイの隣に立ち、不思議そうにこちらを見ているリディルへ視線をやった。

「……まだ、名乗る名などない! フェイレイ=グリフィノー、俺と勝負だ!」

 スッと竹刀を構え、少年Aはフェイレイを睨み据えた。その構えは素人のものではない。そう、少年Aは前の学校では有名な、剣道部の有段者だった。剣には自信があるのだ。

 フェイレイは少しだけ困ったような顔をしてから、竹刀を構えた。

「えーと、よく分かんないけど、勝負すればいいんだな?」

「ああ!」

「面はつけなくていいの?」

「大丈夫だ。お前はつけといた方がいいぞ」

「そっちがつけないのに俺だけつけるのは卑怯だから」

 なんだか男らしいヤツだな、とちょっとだけ感心しながら、少年Aはグッと竹刀を握り締めた。

 周りのギャラリーがサッと避けてくれて、試合場となった廊下は一瞬の静けさに包まれる。

 フェイレイの構えはまったくの素人で、隙だらけだった。

 負ける気がしない。

「やあああああ!」

 少年Aは気合とともにフェイレイに突っ込んだ。

 すると。

 今まで優しかったフェイレイの深海色の瞳が、スッと闘気を帯びて鋭くなり、凄まじい威圧感を正面から受ける羽目になった。

「うっ……」

 一瞬だけ怯み、剣先がブレた、その隙に。ぱあああーん、と小気味良い音で少年Aの頭にフェイレイの竹刀が振り落とされた。

 わあっ、と周りから歓声が上がる。

 少年Aは何が起きたのかも分からないまま、ただ呆然と立ち尽くした。

「あの、大丈夫?」

 フェイレイに声をかけられ、少年Aは目をパチクリさせた。

「ええと、これで、いいのかな?」

 すっかり元の優しい瞳になったフェイレイに、少年Aは完敗したのだと、やっと理解した。ジンジンと痛みを帯びてくる頭に手を乗せながら、「ああ」と、それだけ呟く。

 フェイレイは竹刀を少年Aに返すと、リディルと並んで廊下を歩いていった。

 それをまだ呆然と見送っていると、クラスメイトたちが駆け寄ってきた。

「だから言っただろー? やとけって〜」

 クラスメイトたちの話によると、今までリディルに言い寄ろうとした男は皆、フェイレイと決闘させられているらしい。

 そう、あの黒いジャージの先生に。



 リディルに近づく者の前には、黒衣の騎士……ならぬ、黒ジャージの先生が現れる。そのことはこの学園の者ならば、誰もが知っていた。

 彼が現れたときに諦めると言わないと、必ずフェイレイと対決させられ、そして今まで勝った生徒は一人もいないらしい。

 フェイレイすら倒せないのに、更に黒ジャージの先生、更に更に、仏の顔をした鬼だと噂の理事長を相手にしなければならないのかと思うと、大抵の者は諦めざるを得なくなるのだ。

 しかし諦めきれずに何度も挑戦する者もあれば、不意打ちを狙っていった者もいる。

 だが、それをことごとくフェイレイ一人で跳ね返してきたのである。


 それを知った少年Aは、ガックリと項垂れた。




 ちなみに。

 ヴァンガードは子供だから見逃されている。ここでも子共扱いだったが、本人は知らぬことである。




「あの人、どうして決闘申し込んできたの?」

 学校の門をくぐり抜けてから、リディルがフェイレイに訊いた。

「さあ? 何でだろう。……もしかして、俺の強さに憧れて!? いや〜、照れる〜」

「……」

「あ、無視しないで! なんか突っ込んで〜!」



 本人たちはまったく事の成り行きを知らないまま、名乗ることも許されなかったひとりの少年の恋物語が、儚く散っていった。






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