よみもの



8.かわいい弟の行く末が心配です




 本日はお休みをいただいています。

 いつもは臙脂色の女官服に髪をきっちり結い上げた格好ですが、今日は町娘が良く着るような若草色のワンピースに、長い茶色の髪を背中に垂らしています。ノギク様付きになってから外に出かけるのが初めてのせいか、騎士のギュンター様などに「なんだお嬢ちゃん、デートかい?」なんてからかわれたりしました。

 ノギク様からは「これを着ていくといいよ」なんて、真面目な顔で破廉恥な下着をいただいたり、カサンドラ先輩やジュリア先輩からも微笑ましそうな視線を貰いましたが、違います、デートなんかじゃありません。相手は弟ですから。


 弟のマリウスは私より3つ年下の12歳です。

 私と同じ真っ直ぐな茶色の髪に紫色の瞳を持つ、優しい顔つきの少年です。父に似て心根も優しい子ですので、母のような商魂逞しい、元気ありあまる女性には勝てません。

 父と同じく家では小さくなっているであろう弟を心配し、会いに来たわけですが……。



 弟は少し雰囲気が変わっていました。

 私がお城にご奉公に上がる前よりも背が伸びて、私よりも大きくなっていたのです。声変わりも始まったようで、少し声が掠れていました。しかも待ち合わせたカフェにやってきた私を見るなり席を立ち上がり、慣れた様子で椅子を引いてくれたのです。
 姉ちゃん、姉ちゃんと半べそかいて私の後を追ってきていたあの弟が成長しています。

「どうかした?」

 柔らかな微笑みを浮かべる弟に、これは、と思いました。

「マリウス、なんだか男の子みたい」

「何言ってんの、姉さん。僕は元々男だけど」

「『姉さん』!」

 呼び方まで変わっています。

 姉ちゃん、姉ちゃんと半べそかいて私の後を追ってきていたあの弟が! このいい男スキルの上昇具合、きっと彼女が出来たに違いありません!

「やっぱり、マリウスったら彼女が出来たのね!」

 お姉ちゃんより早く彼女を作るなんて羨ましい! ……と心の声がそのまま出そうでしたが、ここは淑女らしくにっこりと微笑み、弟を祝福します。

 けれども目の前の弟は、店員が運んできたお茶のカップを持ち上げながら、顔を顰めました。

「彼女? やめてよ、気持ち悪い」

「き、気持ち悪い?」

「そうだよ。女なんて……」

 マリウスはどこか遠くを見ながら、ぎりっと歯軋りをしました。

「優しい言葉の裏には打算しかないし、表では仲良くしてても裏では罵り合いの蹴落とし合い、集団で襲い掛かってくるし、愛だのなんだの語っても結局は金だし」

 お茶を持つ手がプルプル震えています。

「い、一体何があったの!」

「……姉さん。今やフューラー家は貴族なんか目じゃないくらいの豪商なんだよ。借金にまみれた下級貴族が娘を餌に融資を受けようとするくらいにね」

「ま、まあ……」

「身分的にこっちが逆らえないのをいいことに、父親の権力を笠に着た我侭し放題の馬鹿女の相手なんて疲れるだけだっていうのに、馬鹿だから分からないんだよね。ホントあの馬鹿どもは人の話なんか聞きやしないし、本人の意思を丸無視して僕の奪い合いとか始めるし、貴族令嬢のくせに殴りあい、罵り合いの大喧嘩だよ! もう僕はそんなのいいって言ってるのに母さんときたら、フューラー家に箔をつけるのに最も相応しい家の令嬢を厳選して見合いさせようとするし! もう、やってられないよ!」

 ダン、とテーブルを叩いて俯く弟に、私は開いた口を閉じることが出来ませんでした。

 私がいない間に、弟の身に大変なことが起きていたようです。ああ、何故すぐに助けてあげられなかったのか。てか父さんは何をしていたのか。これでは女性不振に陥っても無理はありません。

「マリウス……ごめんね? そんな大変な目に遭っていたなんてお姉ちゃん知らなかったわ。でも大丈夫よ、お見合いなんてやめるように母さんを説得してあげるから」

「それならもう大丈夫だよ」

 ふう、と深く息を吐き出して、弟は顔を上げました。その顔はどこかすっきりしています。

「姉さんがお仕えしているノギク様のデザイン画のおかげで、フューラー商会は更に大きくなったんだ。皇都で一、二を争う我が家に盾突こうなんて馬鹿な貴族はほとんどいなくなったよ。たまに本当に頭の悪い馬鹿が言い寄ってきたりするけど、ちゃんとあしらえる様になったから。……ホント、姉さんとノギク様には感謝してるよ」

 なんということでしょう。

 ノギク様がウチに委託してくださった下着のデザインのおかげで、弟の将来が護られたようです。ノギク様、感謝いたします……!

「だからもう、女なんかいいんだ。僕は商売に生きるよ」

 ふっと笑みを零すマリウスの顔は、とても12歳には見えないくらい老成されていました。そ、そんな顔をするにはまだ早いですよマリウス! 貴方はまだ12歳の学生なんですよ……!

 それでも、ずっと傍にいられない姉が弟にしてやれることなどありません。とりあえずマリウスが自分の将来に向けての目標を定め、強く生きていることを確認出来ただけでもよしとするべきでしょうか。



 なんとも言い難い感情を抱えながら、弟とともにカフェを出ます。すると、通りの向かいに建っていた劇場から、どっと人が溢れ出てきました。

「あ、ノギク様たちの舞台……」

 チケットが完売続きで、手に入るのは三ヶ月以上先と言われている『星を越えた恋人たち』。あくまでもリィシン様やノギク様はモデルというだけで、物語が真実であるとは限らないのですが、皇都民にとってはこれが真実となって伝わっていくのでしょうね。

 劇場から出てきた皆さん、目を潤ませて満足げな顔をしています。涙と萌えが止まらない壮大なラブストーリー。私も観たいのですが、チケットが取れません。

「ねえ、マリウスはもう観た?」

「ああ……うん。どっかの馬鹿令嬢に付き合わされて貴賓席から何度か」

「な……なんて羨ましい!」

「別に。どんなに素晴らしい舞台もつまらない相手と一緒に行けばつまらないものだよ。……まあ、舞台の内容は良かったよ。でもあれは、ちゃんと想い合ってる人と観にいくべきだね……」

 あっ、マリウスの目が遠い。

 ごめんね、お姉ちゃん、気遣いが足りませんでしたね……。


 少ししょんぼりしながら家への近道である路地裏に入ったときでした。

「離してくださいっ!」

 少女の甲高い声が聞こえてきました。顔を上げると、平民らしき格好をした少女が二人、ガラの悪そうな男たちに取り囲まれていました。波打つ金髪の少女が大柄な男に手首を捕まれ、引きずられています。それを止めようともう一人の黒髪の少女が手を伸ばしていますが、他の男に羽交い絞めにされ、身動きできないようです。
 
「誰か、誰か助けてくださいっ!」

 黒髪の少女が助けを求めて視線を彷徨わせ、そして私たちに気づきました。「助けてください!」と叫び、不安と恐怖に涙を濡らした少女を、大柄な男が無理やり押さえ込み、金髪の少女と共に連れて行こうとします。……これは見過ごすことは出来ませんね。

「マリウス、通りに出て人を呼んできなさい。出来れば警邏の詰め所にいる兵士に連絡してもらって」

「でも姉ちゃん!」

 緊急事態のせいか、弟の私の呼び方が昔に戻っています。ふふ、なんだ、すっかり変わったわけではないのですね。お姉ちゃん何だか安心ですよ。

「平気よ。私を誰だと思っているの?」

 安心させるように微笑んだら、良い子の弟は少し迷いながらも頷いてくれました。くるりと踵を返し、今来た道を急いで引き返して行きます。

 それを見送ってから、前方にいる男たちを見据えます。大柄で人相の悪い男たちが五人。助けを乞う少女二人を無理やり連れて行こうとしているところから、どう見ても悪人ですが、一応確認してみましょう。

「貴方たち、その二人をどこへ連れて行くのですか」

「ああん? あんたには関係ねぇだろ」

「助けてください! この方々は人買いです!」

「黙れこの」

「おい、あの女も連れて来い、面倒臭ぇ」

 私の問いに対する正確な返事はいただけませんでしたが、十分でしょう。治安が良いと評判の皇都でも、稀にこのような方が現れるのです。

「惑星王のお膝元で非道なる行いをするとは許せません。覚悟なさいませ」

 太腿のホルスターから素早くナイフを三本抜き取り、少女たちを押さえつけている男たちの足に向かって放ちます。短く悲鳴を上げて隙を見せる男たちに肉薄し、まずは黒髪の少女を捕まえている男の顎に掌打を浴びせ昏倒させます。すぐに金髪の少女を捕まえていた男も少女から引き離し、投げ飛ばしました。

 その後ろから別の男が私の腕を掴み、捻りあげようとしましたが、それをすぐに外して懐に潜り込み、肘を鳩尾に打ち込んで倒します。

 あと二人。

 そう思いながら少女たちに逃げるよう促そうと振り返ったとき。助けを呼びに行ったはずのマリウスが青い顔をして引き返してくるのが見えました。その後ろに三人ほど、人相の悪い男を引き連れています。

なんと、仲間がいましたか。

「マリウス! 女の子たちを背にして壁に張り付いていなさい!」

「! はい!」

 マリウスはすぐに表情を引き締め、怯えて震えている少女たちの手を引っ張って背に庇いつつ、壁に張り付きました。それを視界に入れつつ、残り二人と相対します。マリウスを追ってきた三人がここに到着するまでに決着をつけ、家のある方の通りに抜ければなんとかなるでしょう。

 そう算段をつけますが、実は少し、焦っています。

 私は母の紹介でやってきたミネルヴァ師から色々と術を仕込まれましたが、さすがに体格差のありすぎる男性を複数相手にするのは慣れていません。最初の三人は不意を打てましたから一気に決められましたが、次はどうか。

「このアマァ!」

 男たちは顔を赤くして、腰に差していたナイフを引き抜きました。私も左太腿からナイフを二本抜き、両手に持って応戦します。

 ああ、ですが、やはり二人を同時に相手するにはキツイ。

「マリウス、そっちの通りへ走って!」

「行かせるかよぉ!」

 私と相対していたうちのひとりが、マリウスたちの進路を塞ぎます。

 私は目の前の男に手一杯で、助けに行けません。そしてついに、追手が追いついてきてしまいました。あっという間に囲まれます。

 どうしよう。どうしたらマリウスと少女たちをここから逃がせるだろうか。

 大男のナイフを避け、更に襲い掛かってくる者たちをかろうじて捌きますが、ギリギリの戦闘をしている状態では良い考えが浮かびません。

 少女たちのか細い悲鳴が聞こえ、マリウスが大男が翳したナイフから彼女たちを護ろうと、精一杯手を広げて二人を抱きしめたのが見えました。


 マリウス──!


 喉元まで出掛かった私の叫びは、新たな人物の登場によって塞がれました。


「大の男が寄ってたかって、こんな小さい子たちを苛めたら駄目じゃないか」


 そんな声が聞こえてきたかと思ったら、マリウスに襲い掛かろうとしていたナイフが高い金属音を響かせて弾かれました。そして、ほぼ同時に私の周りを取り囲んでいた男たちからもナイフが弾き飛ばされます。

 一体、何が起きたの?

 そう考える私の横に、いつの間にか男性が立っていました。

 変わった形の大きな剣を肩に背負った、町人風情の男性です。身長はあまり高くありませんが、なんというか……その姿以上に、大きく見える方です。

 深くキャップを被っていたその男性は、私の方に深い青の瞳を向けると、ニッと笑いました。

「怪我はない?」

「は、はい」

「良くがんばったね。後は任せて」

 言うなり、男性が振り上げた大きな剣が弧を描きました。……それだけだと、思ったのですが。

 周りを取り囲んでいた大柄な男たちは、その一振りで次々と地面に倒れていったのです。斬りつけたようには見えませんでした。その切っ先が男たちを掠めたようにも見えませんでした。……でも確かに、その剣は男たちに衝撃を与え、倒してしまったのです。

「……ありがとうございます」

 あまりのことに、頭がうまく働きません。けれどもお礼だけは伝えなければと、男性を見上げます。

 男性は人懐こい笑みを浮かべて、小さく頷きました。

 ああ、このお方は。

 優しそうな深海色の瞳。深く被ったキャップの下から僅かに覗く燃えるような赤い色の髪。何より、腰の後ろに納められた変形する剣は。

「──ありがとうございます、フェイレイ様」

 片足を引き、地面に膝をつけて、両手を胸に当てて頭を垂れました。

 リィシン様にそっくりなお顔立ち。けれどもリィシン様よりも少しだけ、大きく見えるお方──勇者フェイレイ様。

「あれ、君……」

 どこかで会ったことある? と小首を傾げるフェイレイ様に、私は頭を垂れたまま応えます。

「ノギク様付きの女官を勤めさせていただいています、マリオン=フューラーでございます。本日は非番にて、こちらに参っていました」

「ああ、そうなんだ。息子の嫁がお世話になってるね」

「とんでもありません」

「野菊は向こうのご両親から預かった大事な娘さんだからね。しっかり護ってやって」

「はい、心得ております」

 ですが、今回の件では私の至らなさを痛切に感じました。これは帰ってから騎士様やエーリッヒ様にお願いして、鍛えなおしていただかなければなりませんね……。

 決意を新たにしていると、騒ぎを聞きつけたのか、誰かが呼んでくれたのか、警邏の兵士が数人駆けつけてきました。

「あ、じゃあ俺は行くから」

 フェイレイ様は慌てたように深くキャップを被りなおし、その場を去ろうとします。

「フェイレイ様、本日は離宮にお戻りですか? リィシン様もノギク様もお会いしたいとおっしゃっていましたが……」

「うん、夜までには戻るから、ここにいたことは内緒にしてくれる?」

「はい……畏まりました」

「ごめんな」

 そう言い残し、路地を走っていったフェイレイ様は、角に立っていた平民姿の女性──もしかして、まさか、リディアーナ様でしょうか──の手を引いて、そのまま大通りへと姿を消しました。

 どうしたんだろうと不思議に思いつつ立ち上がると、フェイレイ様が走り去った方向に、小さな紙切れが落ちていました。

「なんだろう?」

 黄ばんだ細長い紙を拾い上げると、それは『星を越えた恋人たち』の舞台のチケットの半券でした。

 あれ、もしかしてフェイレイ様。お忍びで、ご夫婦で観に行かれたのですか? ご自分の子どもたちの舞台を。

「……ふふっ」

 私は半券を握り締めて笑ってしまいました。

 分かりました。リィシン様やノギク様には内緒にしておきますね。



 さて、マリウスと少女たちです。彼らは無事でしたでしょうか。

 振り返ってみれば、兵士たちが大男たちを縛り上げて連行していく横で、マリウスが少女たちに礼を言われていました。

「危ないところを助けていただき、本当にありがとうございました」

「いえ、僕は何もしていません。姉と……あの男性のおかげですから」

 どうやらあの方がフェイレイ様だったとは誰も気づいていないようですね、良かった。

「でも身を挺して私たちを護ろうとしてくださいました。……とても心強かったのです。ですからお礼を言わせてください」

 金髪の少女が、頬を染めて俯き加減に微笑みます。あらあら、良く見たらかなりの美少女ですね。マリウスより少し年上でしょうか。奥ゆかしい雰囲気で、平民というよりは、お忍びで遊びに来た貴族令嬢のようですが……。はて、私、彼女に良く似た人を知っているような気がします。

「後ほど改めてお礼に伺いたいと存じます。よろしければお名前を教えていただけますか」

 黒髪の少女も感謝の笑顔です。

「あー……その、僕、大したことはしていませんので。それでは」

 女性が苦手なマリウス、美少女たちの言葉に靡くことなく、丁寧に頭を下げて歩き出してしまいました。
 その態度が謙虚で硬派だと映ったのかもしれません。
 金髪の美少女がぼんやりとした目でその背を見つめていました。






 後日。

「ねえ、マリオン。貴女の家に近くに、貴女に良く似た茶髪に紫色の瞳の、12、3歳くらいの少年はいないかしら。私の妹が先日、暴漢に襲われそうになったところを助けていただいたのですって。でも名前も名乗らずに去ってしまわれたみたいで。お礼をしたいので探しているのだけれど」

 と、カサンドラ先輩が言いました。

 ああ! あの金髪の美少女、誰かに似ていると思ったら、なんとカサンドラ先輩でしたよ! 豪奢な金の髪に、綺麗な青い瞳、そして美しく愛らしい顔立ち!

「あれから妹ったらぼうっとしちゃって、屋敷の者が心配しているのよ。もしかして恋煩いかしらね」

 ふふっと微笑むカサンドラ先輩に、私は曖昧に微笑みました。



 マリウス。

 貴方、ランドーク侯爵家と縁を結ぶ気はありますか。

 もしも仮にそうなったとして、我が家がどこまで大きくなるのか、本当に恐ろしくもあるのですが。カサンドラ先輩を見る限り、妹君は良いご令嬢だと思うのです。女性不振の貴方を安心して任せられる方だと、お姉ちゃんは思うのですが……どうでしょう?















 

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