よみもの



7.碧色のおかあさん




 勇者の血族であるグリフィノー家は五人家族でした。

 父親であるフェイレイ様、母親であるリディアーナ様。お二人の御子であるリィシン様、リィファ様、そして、シルヴィ様です。

 シルヴィ様は養子であると伺っていますが、家族仲は大変よろしいそうです。私はまだそのお姿を見たことはないのですが、ノギク様のご友人でもあるシルヴィ様はノギクご懐妊の報せを受けて、お勤め先の世界平和維持機関ラルカンシェル本部より帰還なされました。


「野菊うううう────!!!!!」

 元気いっぱいな声を響かせてノギク様の私室のドアを勢い良く開けたのは、肩まである碧色の髪、同じ色の瞳を持つ可憐な少女でした。年の頃は私より少し下くらいでしょうか。白いラルク隊員の制服を初々しく着た美少女が、両手を広げてノギク様に飛び掛ってきます。

「野菊姉ちゃん、赤ちゃんおめでとう────!!!!!」

 ぴょーんと飛び上がったその小さな体。

 いけません、その勢いでノギク様に飛び掛られては、お腹の御子に触ります。私は咄嗟にノギク様の前へと動き、シルヴィ様を受け止めようとしたのですが。

 その前に、シルヴィ様の後ろから黒い腕が伸びてきて、シルヴィ様の首根っこを捕まえてしまいました。

「……子を宿した人間に、そのように飛びつくものではない」

 囁くような低い声とともに、ぬっと黒い影が現れました。

 シルヴィ様の倍にも見える高い身長に、上から下まで真っ黒なお姿。その中で輝く、赤い瞳。

 ひやりとしたものが私を包み込みました。大分抑えられているようですが、かなり高い魔力を有しているのが分かります。しかも、彼の気配は人のものではありません。……魔族です。

「はにゃあ、飛びついたら赤ちゃん怪我するだか。ごめんなんしょ」

 首根っこを捕まれ、手足をぶらんぶらんさせながら謝るシルヴィ様は、なんだか子猫のようです。そのシルヴィ様の気配も人のものではありません。後ろの男性と似たような気配です。
 シルヴィ様については竜種であると聞かされていましたが、後ろの男性についての知識はありません。騎士様がここへ通したということは、お身内の方で間違いないとは思うのですが、近づけて良いものか判断しかねていると、ノギク様がソファから立ち上がられました。

「シルヴィちん、久しぶりだねぇ。クーくんも」

 ほわわんと、いつものような和やかな笑顔で接するノギク様に、私も警戒を解きます。

 魔族との講和条約が成ってすでに五年が経過していますが、魔族の中には魔王を討った勇者様を未だに恨んでいる方がいると聞いていますから、顔を知らない魔族を主に近づけるわけにはいかないのです。ですが、ノギク様のお顔を見る限り、安全な方のようです。

 一礼してからすっと横に避け、いつものように壁際に立ち、背筋を伸ばして石像のごとく動きを封じます。お客様がいらしているときはいつもこの状態です。動かないで立っているだけというのは、地味に辛いものです。でも我慢です。

 するとシルヴィ様をブラブラさせたままクー様? がノギク様に近づきました。

「野菊姉ちゃん、赤ちゃんはどこだ?」

「ぷぷっ、まだお腹の中だよぉ。もう少しここで育てないと、外に出してあげられないんだ」

「ふうん、そうなのか。あとどのぐらい?」

「半年くらいかなぁ」

「半年か。んじゃあっという間だな! 名前は? 名前は?」

「あはは、まだ考えてるとこだよ。何がいいかなぁ」

「何がいいべな! 兄ちゃんみてぇな赤い髪ならイチゴがな! 野菊姉ちゃんみてぇな茶髪ならマロンがな!」

「それじゃ食べ物だよ」

「美味そうでいいべした!」

 シルヴィ様はクー様にぶらんぶらんされながら、興奮ぎみに手足をバタつかせました。外見は私と変わらない年に見えるのに、随分幼いのですね。魔族は人と違い、実際の年齢と外見の年齢が一致しないのでしょうか。

「それにしても、野菊姉ちゃん、魔力のいい匂いがするだ」

 くんくん、と鼻をひく突かせるシルヴィ様。

「私から魔力の匂い?」

「こりゃ赤ちゃんの魔力だべな。兄ちゃんに似た美味そうな魔力だなぁ」

 シルヴィ様のかわいいお口から涎が垂れそうになっています。ノギク様はお腹を庇うように後退りしました。

「シルヴィちん、食べちゃ駄目だかんね! こんなに小さい子の魔力吸い上げたら死んじゃうよ!」

「そんなに吸わねぇって。おれ、もう自分で魔力作れっかんね! んだがら、おやつ程度でだいじょぶだぁ」

「大丈夫じゃないっ! 駄目だよっ! シンくんの魔力で我慢して!」

「はにゃあ、今日兄ちゃんいねぇべした……」

「じゃあお父様とお母様!」

「父ちゃんと母ちゃんもまだ帰ってねぇだ」

「じゃあ……マリちん!」

「へっ?」

 急に名前を呼ばれて、思わず妙な声を上げてしまいました。いけない、いけない、ふいの呼びかけにもきちんと対応しなければ。

 佇まいを直すと、ノギク様とシルヴィ様、そしてクー様の視線が壁際に立つ私へ向けられていることに気づきました。シルヴィ様がキラリと碧色の目を輝かせ、クー様の手から逃れてぴょん、と床に下ります。

「ふうーん、あんだ、中々美味そうな魔力持ってんない」

「わ、私がですか?」

「んだ! ちょっと貰ってもいいだか?」

「あ……あの、貰うって、どのようにすれば……」

 少しくらい魔力が減っても問題ないとは聞いていますが、一体どうすれば?

 オロオロとノギク様とクー様に視線をやりますが、ノギク様はにこにこ……いえ、ニヤニヤと悪い笑みを浮かべられていました。クー様は無表情です。

「何もしねくてさすけねよ! んじゃあ、いっただっきまーす!」

 私よりも背の低いシルヴィ様は、ぴょん、と跳んで私にしがみ付くと、がぶりと首筋に歯を立てました。
 皮膚を食い破るような強い力ではありません。むしろ、くすぐったいのと痛いのと気持ちいいのがない交ぜになった絶妙の力加減です。背筋を這い上がってくる奇妙な感覚に思わず「ひっ」と声を上げてしまいました。

 ですが、それはまだほんの序の口。

 体内を巡っている魔力の流れが一気に吸い上げられると、体中に電流が走ったような衝撃が駆け抜けました。

「ふああああああっ!?」

 目の前が白く爆ぜます。な、なんですかこの感覚! 魔力を吸われるのと同時に腰に力が入らなくなって、シルヴィ様を抱えたまま崩れ落ちてしまいました。

 仰向けに倒れた私の上に跨って、シルヴィ様がペロリと舌なめずりしました。

「んまーい。マリの魔力はミルク味だな!」

「は、はぁ……?」

 魔力に味などあるのでしょうか。

「これは中々に刺激的な光景だねぇ」

 ノギク様、貴女様は何故そんな悪い笑みを浮かべていらっしゃるのですか。そんなお顔も愛らしいですけれど。

「……」

 そしてクー様は安定の無表情で、無言でシルヴィ様の首根っこを掴んで私から離してくださいました。

 でも私、何故か立ち上がれません。

 腰砕けになる。初めての体験です。




 座っていてもいいというノギク様のお言葉はやんわりとお断りさせていただいて、私は再び壁を背に彫像のごとく立ち続けます。

 ノギク様はいつものソファに、シルヴィ様はそのお隣に腰掛け、クー様は入り口付近の壁に背を預けて立っています。

「そっかぁ、姉ちゃんは泣いてるだか……」

 シルヴィ様はお姉様のリィファ様のご様子を聞いて、へにょん、と眉を下げました。

「ホルモンバランスのせいとか、色々あるみたいだけどねぇ」

「ホルモン焼きだか。それは美味そうだない」

「焼かないけどね。体の中にあるものね」

 ノギク様が突っ込みます。

「今度の休みに姉ちゃんのところに行って励ましてくるだ」

「それはいいね、シルヴィちんの顔見たらきっとリィちんも元気が出るよ」

「子育てなんてなんにも怖ぐねって教えでやんねぇど。おれ、子育ての先輩だからない!」

 ふん、とシルヴィ様は胸を張りました。……胸を張ってもなんの盛り上がりもない、とても清純そうなお胸です。

 えっ、それなのに子育ての経験が?

「えっ、シルヴィちん、いつの間に子ども産んだの!?」

 ノギク様も驚かれています。

「シンくん知ってるの? お父様やお母様には!?」

「父ちゃんと母ちゃんは知ってるだ。おれの子ども、三人いるんだっけ」

「三人!?」

 父親は誰よ! とうろたえるノギク様の視線が、扉近くに立っているクー様を捕らえました。

「まさか、クーくん!」

「違う」

 即座に否定されました。安定の無表情です。

「……そもそも、産んでいないだろう」

「えっ、どゆこと?」

「拾ったんだ!」

 シルヴィ様はまたもお胸を張られました。

「拾った?」

「んだ。おれ、父ちゃんと母ちゃんに拾ってもらって、こうして幸せに暮らしてんだ。だがら、おれも子ども拾って、子どもの母ちゃんになってやったんだ」

 つまり、勇者様と皇女様を見習って、親のない子を引き受けたということですか。

「つい最近拾ったのは、おれと同じ碧色の『龍』だ。龍之介みてぇなひょろんとしてる、カッコイイ龍なんだっけ」

「ヤツはお前を母だなどと思っていないようだぞ。……『古代竜』であるお前には、逆らえないようだが」

 クー様が後ろからボソリと呟きます。

「反抗期ってやづだな! でも大丈夫だ! おれ、母ちゃんだがらどーんと構えでいんだ!」

 どーんと、シルヴィ様はお胸を張られました。

「だがら、野菊もどーんとしてらんしょ! 母ちゃんっていうのはそういうもんだ!」

 えへん、とシルヴィ様は得意げに語ります。

「……うん、分かったぁ」

 ノギク様は少し呆然とした様子で、そう頷かれました。







 
 

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