+31(完)


上質のコートをまとった智紀さんの背中をぼんやり眺めてから俺も歩き出した。
昨日の一夜はイレギュラーなこと。
二度はない、ことだ。

ホームに立ち、電車を待つ。
ちょうど向かいのホームに智紀さんがいた。
少しの気まずさを感じたけど、もうこれで最後だ。
遠目に、俺たちは笑いあった。
そしてホームに電車がくるというアナウンスが鳴りだし、智紀さんが乗る電車が来る。

そのとき携帯が鳴りだした。
見れば智紀さんで、近づいてくる電車の走行音を聞きながら受話ボタンを押した。

「はい」

もうあと何十秒かで電車が到着する。
ざわめくホームで、

『千裕』

甘い声がやけにはっきりと耳を打つ。
情事の最中を思い出させる声音に、携帯を持つ手が震えた。
なにも言えない俺をきにすることないように、言葉が続く。

『またね』

そうして切れた電話。
最後に見えたのは、やっぱり楽しそうに笑う顔。
電車が来て姿が見えなくなり、混んだ車内ではその姿を見つけることはできなかった。




"またね"

その声が脳内に響く。
いや、だけど、"また"はない―――……、きっと。

なのに俺の心はどうしてか動揺して、電車が来たのに乗り過ごした。
大人の男の気まぐれだ。
あの人と会うことは―――きっとない。

それでもあの声が俺の耳にこびりついて、離れることはなかった。



【one nihgt:END】


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