1 お誕生日ですから。


「お先に失礼します」
「おい、三枝。ほらこれ」

一声かけて職場を後にしようとしたら先輩の野崎さんについ今日仕上がったばかりの絵本を手渡された。
お礼を言って絵本を眺めながら退社する。
表紙には妖精の絵と白いまるでベールのようなふ―――。
と、思考を遮るようにポケットにいれていたスマホが振動しだした。
取り出してみると智紀さんからのメール。
仕事が終わったっていうのと、待ってるね、という言葉。
それに俺も今終わって向かいますって返信する。
今日はまだ週の前半の火曜だ。
だけど今日はちょっと早めに退社した。
別に俺としてはどうでもいい日なんだけど、智紀さんがどうも気合入りまくっているみたいだったからしょうがなく。
……そんな今日が何の日かっていうと、俺の誕生日だった。
今日の待ち合わせはホテル。
もちろんビジネスとかじゃなくて俺には敷居が高く感じてしまう高級ホテルだ。
おそらくレストランで食事なんだろう。
泊まりはさすがにないだろ。平日だし。
付き合い始めてやってきた俺の誕生日だから智紀さんは一カ月前から今日は必ず予定を空けておくようにって言ってきてた。

「……一緒に過ごすだけでいいんだけどな」

別にホテルで食事しなくても、と待ち合わせのホテルへと向かいならが呟いて。
自分で呟いておいて俺はなに言ってるんだってひとり恥ずかしくなってしまった。


それから数十分して待ち合わせ場所に到着した。
重厚なエントランスに場違いさを感じてしまいながらシャンデリアが飾られたロビーをきょろきょろと見回すとすぐに見つかった。
ソファに座っている智紀さんは見知らぬ男性と談笑している。
智紀さんより少し年上なのか、きりっとした男らしい顔立ちをしたスーツがよく似合う男性だ。
話が弾んでいる様子で、俺は割りこんでいいのか躊躇ってしまう。
豪奢なロビーの雰囲気に浮くこともなく会話をしてる智紀さんを見てると、やっぱり大人だなって改めて実感してしまうというか。
まだ社会人になりたての俺とは違う、とちょっとだけため息がもれた。
どうしようか、と悩みながらも待ち合わせしてるんだしと足を進める。

「ちーくん」

すぐに智紀さんが俺に気づいて、片手を上げた。
俺を見て顔を綻ばせる智紀さんに俺も妙にほっとして口元が緩むのを感じる。
智紀さんの向かいに座っていた男性も俺に視線を向けると会釈してきた。
慌てて俺も頭を下げながら智紀さんの傍に辿りつく。

「遅くなってすみません」
「いいよ。全然待ってないし」

にこにこ笑いながら智紀さんは立ち上がる。

「それじゃあ鬼原さん。今日は偶然お会いできてよかったです」
「こちらこそ」

鬼原さんと言うらしいその人は凛々しい顔に微笑を浮かべた。

「似合うと思いますよ」
「ですよね?」

そして何故かふたりが俺を見る。
会話の内容がまったくわからず曖昧に俺も笑うと、軽く吹き出した智紀さんが俺の腕をとった。

「鬼原さん、また飲みに行きましょう」
「もちろん。俺も連絡します」

挨拶しあい智紀さんが歩き出す。俺もまた鬼原さんに会釈して智紀さんのとなりを歩く。

「仕事関係の方ですか?」
「んー。そんな感じかなー」

そんなってどんなだよ、と思いながらエレベーターの前へと来た。
ボタンを押しながら含み笑いを浮かべた智紀さんが俺の顔を覗き込む。

「かっこいい人だよねー。ちーくん惚れちゃだめだよ?」
「はあ? なに言ってるんですか」
「鬼原さんって大人の男ー……て感じだろ?」
「あの俺は男に興味ないんですけど」

なに言ってるんだよ、本当この人は。
呆れてるとエレベーターのドアが開いて、智紀さんが俺の手を攫い指を絡めながら乗り込んで。

「そーだねー。ちーくんが興味あるのは俺だけだよね?」

にこり、と笑いながら智紀さんは高層階のボタンを押す。

「……智紀さんって、本当」
「かっこいいって?」
「……」

それ以上何も言う気になれず、俺は会って早々に深いため息をついたのだった。

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