夢のあとさき
幕間-5

クラトスとの決闘を控えた前夜。ロイドは部屋にいたところをゼロスに声をかけられて夜のヘイムダールを歩いていた。
ゼロスが自分のために怒っていることがおかしくて、嬉しい。それだけ自分の気持ちに寄り添ってくれているということだろう――そうロイドは考えた。
「明日さ、ちゃんとレティちゃんと話をしろよ」
一通り話を終えた後、宿に戻る途中にゼロスが呟く。ロイドもそれに頷いた。
「わかってる。姉さんが話聞いてくれるか、分かんないけど……」
姉とクラトス絡みの話をするのがロイドは少し怖かった。それはあのユアンとクラトスが訪れた夜、レティの様子がおかしかったからだ。あんなふうに怒っている(怒っていたのかということもロイドは確信を持てないでいた)姉は初めて見た。それが自分の今まで知らなかった家族――父親に関してなのだから、うまい言葉をかけることができなかった。
いつも素直なロイドがそう言うのをゼロスは意外に思う。そして大げさにロイドの背中を叩いた。
「何言ってんだよ。レティちゃんが話聞いてくれると思わねえのか?」
「そうじゃなくって!……俺だって、当事者だけどさ。姉さんと全然違うんだって思ったら……」
「そうやってレティのこと気遣えるんなら十分だよ。レティちゃんだってもう頭冷えてるだろ〜し?」
「そうかな……」
「そうそう」
何度かばんばんと背中を叩くとさすがにうっとおしくなったのか睨んできたロイドにゼロスは両手を上げた。ひらひらと手を振るとロイドがしょうがないなあとでも言いたげにため息をつく。
そうやって月明かりに照らされた道を歩いていると、宿の横、馬小屋の前に誰かがいるのが見えた。ロイドが思わず足を止めたのは、それが予想外の人物だったからだ。
「姉さん……と、クラ……むぐっ」
「しっ」
まさかここにいるとは思わず、大声を出してしまいそうになったロイドの口をゼロスが覆う。何するんだよ、とは言えなかった。
泣き声が聞こえてきたからだ。それはレティのものだった。子どものようにわんわんと泣く姉の姿はロイドにとって衝撃的なものだった。
そんなレティをクラトスは慰めるように抱きしめて、背中をぽんぽんと叩いていた。おとうさん、と繰り返して泣きじゃくるレティに少し困ったように眉を下げて、泣くな、と囁くのが聞こえる。そうしてレティがクラトスのマントを掴む指に力をこめるのだ。
ロイドとゼロスは隠れるように二人をただ黙って見守っていた。ロイドはどうすればいいかわからず、ゼロスは父と娘の逢瀬を、不本意ながら邪魔したくなかった。しばらくするとレティの泣く声はだんだんと小さくなっていき、そして聞こえなくなった。
ロイドは姉が泣き止んでほっと息をつく。思えば、レティがあんなふうに泣いているのを見るのは初めてだった。それがひどくショックだったのだ。年上で頼りになる姉はあんなふうに泣くことなんてないと無意識に思っていた。
そんな姉を泣かせるなんて、と思うが、同時にクラトスの前では泣いてもいいと姉は思ったのだろう。それはクラトスが父親だからだろうか――まるで他人事のようにそう思う。
対してゼロスは、泣き止んだ後もレティがクラトスから離れないのを訝しんで――そしてクラトスが娘をそっと抱き上げたのにそういうことかと息を吐いた。
子どものように泣いていたレティは、そのまま泣き疲れて眠ってしまったのだろう。レティと違って見守っていた二人に気がついていたクラトスがこちら、つまり宿の入り口に向かってくるのにロイドは慌てたが、ゼロスは悠然と男を見つめた。
「レティちゃんの部屋なら二階の左から二番目だぜ、おっさん」
「……そうか」
「えっ、おいゼロス……」
「いいんだよ」
クラトスはそのまま器用にドアを開けると宿の中に入っていった。それをぽかんとして見送ったロイドにゼロスが声をかける。
「俺さまたちももう寝るか」
「あ、ああ……」
金縛りにあったように動けなかったロイドはぎこちなく首を縦に振る。そしてゼロスを見た。
「なあゼロス」
「うん?」
「姉さんって、泣くんだな……」
あまりに馬鹿馬鹿しい言葉だったとロイドは自分で思う。ゼロスはため息をつくとぐしゃぐしゃにロイドの髪を掻き混ぜた。
「うわっ!」
「そりゃ、レティだっておまえの姉ちゃんだけど人間だ。……父親の前では泣きたくなることだってあるだろうよ」
「……俺の前では泣かないのに」
「姉ちゃんってのはな、弟の前じゃ見栄を張りたがるもんだ。レティがクラトスと戦うって言ったのだってそのせいだろ」
すこし拗ねているようなロイドが微笑ましいとゼロスは思う。十七歳の少年らしい一面は同時に姉を持つ弟らしいものでもあった。二歳の年の差がある以上追いつくことは決してないが、姉の葛藤を受け止めることくらいはいつかできるだろう。
「俺だって、姉さんに頼られたい」
「それじゃあ、明日訊いてみろ。クラトスと戦わせろって」
「うん」
「で、おまえは明日万全の調子で戦うためにもう寝なきゃいけない」
「そうだな。……わかった。おやすみ、ゼロス!」
「はいはい、おやすみハニ〜」
鼻息を荒くするロイドがすぐに寝着けるかゼロスは心配になったが、あの単純さがあれば大丈夫だろうと思いなおす。そしてとんでもないものに巻き込まれちまったかもなと含み笑いをしながら自分も部屋の扉を開けてシーツに飛び込んだのだった。


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