リピカの箱庭
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急ぎグスターヴァスに連絡を入れ、しばらくは屋敷でリース少年を預かることになった。……いや、なんでだ。いきなり騎士たちの訓練場に放り込むわけにはいかないのはそうなんだけど、そうなんだけど……!私だって一応暗殺未遂されてる身だし、リース少年はいまだ危険人物としてマークされる存在なのだけど、ピオニー陛下の要請を断れなかったのが一つ。そしてリース少年が想像以上に私を「気に入っている」のが一つ。あとは彼の身の上に同情してしまっているのが一つ。
私の一存で彼を引き取るわけにはいかなかったのでガイラルディアに尋ねたのだが、「レティの好きにすればいい」としか答えてくれなかった。となると、引き取らないという選択肢はなくなる。彼は被害者だ、しかも若い。シュタインメッツに洗脳され手駒と仕立て上げられ、自爆させられそうにすらなったのに彼自身が悪いとは私は言えない。
流石にあそこまでされてはシュタインメッツへの妄信も解けたようで、代わりにあの場で彼を助けた私への好感度が上がった……らしい。あの後バタバタしてリース少年はフリングス少将の部下に預けたのだけど、マルクト兵自体が一種のトラウマになってしまったらしく、怯える様子を見て城には置けないと陛下は判断したようだ。
「……どうしてあなたは」
「エドヴァルド、いいですか。この件はですね、私のせいではありませんとも」
「そうですが……」
そんなこんなでリース少年を連れて帰ると、エドヴァルドは深いため息をついた。いやほんと、迷惑はかけてるけども!
「リースにはルゥクィールをつけてやればよいでしょう」
「まあ、ルゥクィールは腕も立ちますが。甘やかすおつもりですか?」
エドヴァルドがリース少年を睨む。びくりと体を震わせる彼は、なんなら威圧的な男性に苦手意識すら持ってしまっているらしい。これから騎士団に入れることを考えるとあまり良くない傾向だが、とはいえトラウマを悪化させるわけにもいかない。監視要員として警戒されにくいルゥクィールは適任なのだ。
「そう睨むものではありません、エドヴァルド。アシュリークも目の敵にするものですから付けられないでしょう」
「それはそうでしょうね。しかし」
「しかし、何です」
「……騎士にするおつもりで?」
「騎士でなくともよいのですよ」
私もリース少年に視線をやる。彼は「……なんでしょう」と小声で応えた。ご落胤として振る舞っていたときの尊大な態度とは大違いだが、プライドが高そうな雰囲気は残っている。仕草も品があり、シュタインメッツも平民の孤児をよく躾けたものだと感心する。貴族の子息として通用する雰囲気がリース少年には残っていた。
「あなたが何にでもなれるとは言えません。今後しばらくは監視をつけますし、ホドグラドから出ることもできなくなります。わかりますね」
「……はい」
「しかしピオニー陛下は寛大なお方。あなたの学びの機会を取り上げることはなさいません。騎士団見習いを修了して優秀な成績を残したのならばそのまま騎士になることもできますし、それが難しいのならあなたから適性を示しなさい。職人でも学者でも、教会仕えでも構わぬのです。己のできることが何か自問し、どうすればよいか自分で考えなさい。便宜を計らうことはできます」
本来、騎士団見習いは既に塾で適性を示している子どもたちがなるものだ。リース少年はその段階を飛ばしているので、自分の将来を見つけるところを騎士団見習いと同時にやらなくてはならない。騎士団に入れるのはこちらの都合だが、こればかりは彼のやったことを考えると省くわけにはいかないし。
どちらかといえば恵まれているほうだろう。ホドグラドの子どもたちの中でも最初から親の職を継ぐことになっていて最低限しか塾に通わない子どもはいる。そこは成績や本人の意向を重宝するようにしているし、そのための奨学金制度も作った。けれどこういう仕組みはまだ稀なのだ。人はみな自分の将来を、預言によって決めるものだから。
「もし……」
リース少年はエドヴァルドをちらりと見てから、私に向き直った。何かを覚悟するように、小さく息を吐く。
「私に適性があるのなら、あなたに仕えることもできますか」
「……ッ、痴れ言を!」
エドヴァルドが声を荒げる。うん、まあ、なんというかね。予感はしていた。陛下もリース少年は私を気に入っていると言っていたし、吊り橋効果というか、あそこで助けたのが私だったからこうなっているのだろう。
「エドヴァルド。彼は私に訊いているのです。控えなさい」
「しかし!」
「二度言わせるつもりですか」
「あなたのお側にこのような者を近づけるわけにはいきません」
低い声でエドヴァルドが威圧する。このような者、ねえ。
……エドヴァルドの地雷、わかってて踏み抜くかもしれない。悪いことをしてしまうと思うけれど、そうなると彼にとって仕える価値のあるものではあり続けられないだろう。仕方のないことだ、私は本当はもう伯爵なんかではないはずだったのだし。
自分勝手になったものだと自嘲した。いや、これまでが勝手ではなさすぎたのかも。ガイラルディアにこの家を渡すことしか考えていなかったのだから、そんな飾りの人形に意志はいらなかった。だとしても今更お綺麗な偶像にはもうなれない。
「リース、あなたの評価はまだこのようなものです。何かを成したいのなら自身の価値を示し、認めさせなくてはならない」
しかしそんなハードモードを選ばなくてもリース少年は最悪しばらくは食いっぱぐれることはないだろう。だって監視がついてるし。平穏を愛して平凡に生きることだってまだできるのだ。皇帝陛下の暗殺を失敗した下手人でも。
「わかりました。……温情に、感謝しています。それからあなたに命を救われたことも」
「よろしい。下がりなさい」
「はい」
控えていたディートヘルムを呼んで部屋に送らせる。ルゥクィールをつけるように言っておいたし、グスターヴァスが連絡が来るまでは休養とさせておこうか。彼だってとんでもないことに巻き込まれてまだ整理をつけられていないはずだ。
「エドヴァルド」
「はい」
背もたれに寄りかかって細く息を吐く。目礼で返した彼に、私はあいまいに微笑んだ。
「呆れましたか?」
「……」
黙ったまま瞠目した彼の反応は想像していなかったので、こちらも驚いてしまう。そんなに意外な問いかけだっただろうか。
「私はレティシア様の盾です。呆れることなどありえません」
「ふふ、あなたも意固地ですね。……そうせざるを得なかったのはあなたも同じですか」
「何の話を……」
「いえ。よいのです、今日は休みます」
眉をひそめたエドヴァルドをそう言って下がらせる。彼がここにいることは、主だったお父さまの命令だ。彼だって未来を自分で選ぶことはできなかった――と言うことが、騎士の矜持を傷つけることくらいはわかる。だから言わないし、今は自分の意志でそばにいてくれることだって知っている。
試すようでよくないな、と眉間を揉んだ。この先どうなるかなんてわからないのだ、そして今はガイラルディアがいる。憂うことはないはずだ。
とりあえず、リース少年のことは面倒ごとを抱えてしまったのできちんと回るように信頼できる人をつけておかなくてはならない。グスターヴァスたち元ホドの騎士が今のホドグラドの騎士団のまとめ役で助かるのはこういう時だ。顔が効くし、ガルディオス伯爵家には忠実であろうとしてくれている。そこの選定もしておこうと頭の隅に書き留めて、エドヴァルドに言った通り休むことにした。
嫌でも時は進む。物語は佳境へ差し掛かる。じきにガイラルディアは旅立ってしまうだろう。そして、私は。

――私に差し伸べられる手は、まだあるのだろうか。


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